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2000年11月 日本(10)
日時: 2013/12/08 14:20
名前: 化夢宇留仁

1920年代アメリカばかりなのもどうかと思い、現代日本を舞台にしたやつを一つ始めてみようかと。
しかし現代と言っても今そのまんまじゃあまりにも生々しいので、ちょっとだけ過去の2000年暮れにしてみました。
メンテ
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2000年11月 日本(1/10) ( No.1 )
日時: 2013/12/08 14:21
名前: 化夢宇留仁

2000年11月20日
植田篤は、目を覚ました。
また炬燵で眠ってしまったらしい。
昨日は何時まで起きていたのだったか。
彼は○県の○×大学2回生だが、ここ数日中古で買ってきたドラクエ7をなんとなくやっては飯を食べ、ごろごろするという怠惰な日々を送っている。
別にひきこもりという訳でもないと思うのだが、なんとなく全体的にやる気が出ないのだ。
ドラクエ7もただなんとなくやっているだけで、特別面白いとも思わなかった。
こんなことならさっさと実家に帰っておけばよかったのかもしれないが、コンビニを経営している実家に帰っても手伝わされるだけだと分かっているので、なかなかその気にならないのだ。
のろのろと起きあがり、インスタントコーヒーでも飲もうとやかんを火にかたところで、
ピンポ〜ン♪
ドアのチャイムが鳴った。
誰だろう?時間は午前11時過ぎ。誰とも約束した覚えはない。
ピンポ〜ン♪
親から食い物でも送ってきたのなら嬉しいのだが、こっちが帰るのを待っている状態ではそれは無い。
ピンポンピンポ〜ン♪
可能性が高いのはNHKの集金か、セールスマンまたは宗教の勧誘の類だろう。
NHKとは顔を合わせたくないが、特に予定があるわけでもないし、なにしろ暇である。
ピンポンピンポンピンポ〜ン♪
幸いと言うか、昨日は普段着のまま寝てしまったので、着替える必要もない。

こっそりとドアの前まで行き、のぞき穴を見てみる。
予想外の訪問者が立っていた。鞄を手にしたスーツ姿の若い女性である。可愛い。
あわててドアを開けようとしたが、前に同じようなシチュエーションで、ドアを開けたとたんに横からおばちゃんが現れて宗教の勧誘を始めたのを思い出した。
そんなチョウチンアンコウのような罠にかかってはたまらない。
もう一度のぞき穴を見てみると、彼女の姿は無かった。

植田があわててドアを開けると、共用階段のところでさっきの女性が振り返った。
「あ、いらしたんですか。よかった〜」
彼女はにこやかに近寄ってきた。
植田はきょろきょろとあたりを見回した。
どうやら彼女一人のようだ。
若い女性一人だからと言って、宗教の勧誘かも知れないし、セールスマンかも知れないのだが、彼は思わず愛想笑いを浮かべていた。

「銀の河友愛サークル・・・」
彼女の名は高田百合子と言った。
彼女が鞄から出してきたパンフレットの表紙を見て、植田は自分の馬鹿さかげんにうんざりしていた。
分かっていたのだ。ちゃんと予想していた。宗教の勧誘または悪質なセールスだということは。
しかし彼女の笑顔があまりにも輝くようで、あり得ない期待を抱いてしまったのだ。
植田はため息をつきながら彼女の説明を聞き流していた。
「あなたはこれがよくある宗教やセールスの類だと思われていますね?」
突然百合子が彼の目を見てきつい口調で言ったので、植田はとびあがった。
「いや・・・その・・・サークルでしょ?違いますよね。」
「はい。これは宗教でもなにかの販売でも、またセミナーでもありません。」
「じゃあその・・・先ほどから言われている例会というのは・・・」
「皆さんが楽しむために集まってるんです。サークルですから。」
なにを楽しむというのだ?それにどうせ入会金とかなんとかでバカバカ金を取られるんだろう。
「銀の河友愛サークルでは、入会金その他、一切の金銭を要求することはありません。まあ例会が終わった後の呑み会はほとんど割り勘になりますけど。」
ちょっと意外な雰囲気がしてきた。ほんとに単なるサークル活動なんだろうか。
「じゃあ会の運営資金は?あとそもそもなにを楽しむんです?」
「運営資金はほとんど会長の自己資金でまかなわれています。まあ会員の寄付もありますが、これも一部の人で、ほとんどの人は寄付もまったくしていません。」
会長というのは妙な道楽の好きな金持ちなんだろう。
「楽しみは・・・これは口では説明しにくいんです。ですから例会へ見学にいらっしゃらないかとお誘いしているわけで。もちろん法を破るようなことは何もありません。」
う〜むやはりよく分からない。
「どうもよく分からないんですが・・・そうやって誰彼かまわず人を集めてどうするんですか?」
植田の質問に、百合子は目をぱちくりさせた。
「どうもすみません。ちゃんと説明してなかったですね。私は誰でも手当たり次第に人を集めてるんじゃありません。例えばこの建物では植田さんのところだけです。」
「な・・・なんで?」
「それはもうあなたがこのサークルにぴったりだからですよ。」
聞けば聞くほどわけが分からなくなってきた。
しかし百合子の親しげな態度と、選ばれた優越感のようなものが、植田の思考を鈍らせていた。
ふと気付くと、彼はその妙な例会を見学しに行く約束をしていたのだった・・・
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2000年11月 日本(2/10) ( No.2 )
日時: 2013/12/08 14:22
名前: ウルタール

『四戸鐘市・四戸鐘町かぁ・・。』
一週間前に渡された住所記載の簡単なメモにまじまじと目を通し、
電車のつり革に掴まりながら、1人つぶやく様に言葉をはいた・・。
窓から見える喧騒な都会の景色から段々と離れ、
木々が逞(たくま)しく生い茂る、すこぶる環境の良さそうな景色へと
移り変わって行く・・。俺は景色をまともに見るわけでもなく、
つり革に掴まりながら、ゆらゆらと電車の揺れに
身を任せているだけであった・・。


{・・・ご心配される気持ちは十分理解出来ますけど、
まずは植田さんご自身の目で確認してみて下さいね。
貴方が当サークルを少しでもオカシイ、怪しい、と
お思いになられたら、その時点でお断りして頂いて
構いませんので・・。 けど、きっと植田さんは
気に入ってくれると信じてますから♪・・。 }


別れ際に、彼女にそんな事を言われたのを思い返し、
俺は物思いにふける。
『ま、気楽に考えるか、嫌なら断れば良いだけだしな。』
そんな事を思いつつ、自宅の駅からそれとはさほど遠くない、
かといって、馴染みの少ない【四戸鐘】(よこかね)駅という場所で
降りる事となる・・。

 自宅付近の都会化した町並みから比べれば、この四戸鐘市は
それほど発達した印象は受けず、駅前にバス停乗り場が
通りを挟んで1つずつ在り、コンビニがポツンと存在するだけであった。
『・・寂(さび)れてる感じだよな〜。大丈夫かよ・・此処(ここ)。』
駅に降り立ち、まず俺が思った印象は、そんな感じだった。
車の往来もそれほど激しいものもなく、
時々行きかう程度の交通量でしかなかった。
大して気にせず俺は渡されたメモに目を落とす・・。
目指す場所は、通りの向こう側のバスで7つ目の場所にあるらしい。
不満のない程度の舗装(ほそう)された道は永遠と思える位に長く、
普段であれば綺麗な自然で満ち溢れたこの景色も、
心を和ますものに映るのであろうが、一向に代わり映えのしない
鬱蒼とした樹木を眺めていると、どこか不気味な印象を受けてしまう。


{・・・ぜひ入会なさって下さいね♪今年は特に意味のある季節で、
2000年12月31日は、大イベントがあるんですよ・・。
きっと植田さんの思い出になると思いますから・・。 }


百合子という彼女は、別れ際の最後にこんなセリフを言い、
屈託のない微笑みを俺に向けてきた・・。あの時の彼女の
笑顔を忘れる事が出来ず、こんな所までノコノコ来たんだが、
今は、わずかな不安と期待感と好奇心で一杯だった。
程なくしてバスは目的地の場所で一時停止をし、俺は地面を踏みしめる。
一息つき、辺りをグルっと見回して見ると、
緑色(りょくしょく)豊かな若木が、空に両手を広げるが如く、
力強く咲いている。日差しはまだまだ強く、
射光に照らされた若木は心を癒す要素に感じ取れた。
幾分、空気も澄んでる感じがする。
停留所からすぐにそれと分かる小道があり、小道の入り口付近に
小さな看板で『銀の河友愛サークル』と書かれていた。
俺は歩みを速め、太陽の光が照らす美しい木々のトンネルを歩き始める。

【良い感じの場所じゃん。来て正解だな・・。】

そんな事を思いつつ、ふいに目の前に白色の外壁で覆われた
シンプルな建物が現れる。その外見は西洋の教会に酷似し、
屋根の先に備え付けられているシンボルが十字架でない以外は、
教会以外の何者でもない印象を受ける。いささか気になったのは、
その屋根の先のシンボル・マークで、少なくとも俺の知る限り
どの宗教にも無い形状であった。この時点で宗教関係の
サークルではなさそうと思い、ひとまず安堵した。
しかし、見れば見るほど奇妙な形をしたシンボルだと思った。
何かの正座を表す形状にも見えるし、左右対称な点からすれば
何らかの規則性を体言してる様にも見てとれる・・。

しかし、こんな木々の中に建物があるなんて
いささか面をくらったが、躊躇せずに両開きのドアの横に
備えつけてある呼び鈴を鳴らしてみる。
しばらくすると、人が小走りにドア方向に近づいてくる気配がし、
【は〜い、ただ今・・】と、感じの良い女性の声と同時に扉が音を立てて開かれる。
『あら、植田さん、やはり来て頂けたんですね。
会長もお喜びになりますわ。心から歓迎します♪。』

その女性は俺を見るなり笑顔を作り、ごく自然に
俺の右手を握ってきた。そして、うながされるままに
建物へと吸い込まれて行く感じで、中へと入っていく・・。

・・その女性は言うまでもない、【高田百合子】であった・・。
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2000年11月 日本(3/10) ( No.3 )
日時: 2013/12/08 14:23
名前: 秋山

「来て下さって本当に嬉しいですわ。」
植田は百合子の可愛い笑顔に見とれながら、促されるまま中に入りスリッパに履き替えた。
建物の中の印象も外観と同じく古い洋風建築らしい雰囲気で、所々現代的なリフォームの跡が見えた。
廊下には鼠色のマットが敷かれ、大きな窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。
正面の大きな扉が開き、小柄な少女が現れた。
年の頃は十二、三と言ったところ。整った目鼻立ちとグレーがかった大きな瞳。ハーフかクォーターだろうか?
「植田さん、この子はマリアちゃん。会長のお孫さんなの。マリアちゃん、こちらが植田さん。」
百合子に引き合わされ、二人はぎこちなく挨拶を交わす。
「マリアちゃん。植田さんの靴をお願いね。」
百合子に言われるままに、マリアは膝をついて植田のスニーカーを手に取る。
「俺の靴をどうするんですか。」植田は慌てた。
「お預かりするんです。誰かが間違えて履いて帰ったりしたら困るでしょ。」
百合子は笑顔で言った。
ダメだ。この笑顔には抵抗できない。
しかし、もしこのサークルが怪しい宗教団体や詐欺まがいのセールスだったらどうしよう?いざという時、靴がなかったら逃げられない。いや、逃がさないための人質ならぬ靴質なのかも知れない。スリッパのまま逃げられなくはないが、二万円もしたNIKEのスニーカーを置き去りにしたくはない。かといって…。
植田は百合子をチラリと見た。
百合子は笑顔のまま、小首を傾げる。
降参だ。その可愛い仕種に植田は白旗を揚げた。
「じゃあ、お願いします。」
「良かったら上着もお預かりしましょうか?」
BEAMSで買った一張羅のコートまで人質否コート質にされるわけにはいかない。
植田は慌てて首を横に振った。

「お気づきかと思いますが、この建物は以前教会として使われていたものを、会長が買い取ってサークルの本部にされたんです。」
植田のコートをマリアに手渡しながら、百合子は説明した。
奥のホールの中は、映画で見た教会そのままだった。
違っていたのは、十字架やキリスト像等の宗教的アイテムがどこにも無いことだ。
壁のステンドグラスにさえ聖人や天使の姿はなく、単純化された星空が並んでいる。
銀の河友愛サークルと言う名前からしても、夜空の星がこのサークルの象徴なのだろう。
そう言えば屋根の上のシンボルも、何かの星座の様だった。
「教会ってロマンティックですよね。私、ここに来るたびに思うんです。何て神秘的なんだろうって。」
百合子は感嘆した表情で言ったが、植田はドラクエ7を思い出していた。
(たのもしき 神のしもべよ わが教会に どんな ご用じゃな?)
出来ることなら冒険の書にセーブしていつもの日常に戻りたかった。
危険な冒険よりも怠惰な日常の方がマシだ。
俺はなんでこんなところまで来てしまったのだろう?
恐らくその答えは…。植田は百合子の横顔を眺めた。
百合子が振り向いて植田の手を握る。
「さ、皆さんお待ちかねですよ。」
ホールの奥に幾人かの姿が見える。
彼女に手を引かれるまま、植田は奥に向かって歩き出した。

「こちらが太平さんで、こちらが二階堂さん。霧島さんに、朝日さん。それから常盤さんに…」
百合子がメンバーを順番に紹介していく。
しかし、一度に言われても覚えられる訳がない。もともと人の名前を覚えるのは苦手なのだ。植田はメンバーの名前を片っ端から忘れてしまった。
「…そしてこちらが、本部代表の冷泉(れいぜい)さん。」
冷泉は面長の顔に満面の笑みを浮かべ握手を求めてきた。
「こんにちは、植田さん。ようこそおいで下さいました。会長はご高齢かつご多忙な方でして、普段は私が代わりに細々したことを取り仕切っております。どうぞよろしく。」
リンカーンの様な髭を蓄えた中年の男。
淀みなく響くバリトンは聞く者の心を揺さぶる深みがあった。
しかし植田にはその美声も何か芝居がかった物の様に感じられ、逆に胡散臭く感じた。
植田が黙っているのを話を続ける合図と取ったのか、冷泉は言葉を続ける。
「恐らく今、植田さんの頭の中には様々な疑問と疑念が渦を巻いている事でしょう。…ご安心下さい。何も心配されることはないのです。今から、私がひとつひとつ説明させて頂きますから。」
冷泉は一呼吸おいて説明を始めた。
「先ずこのサークルの活動内容ですが、会員みんなで会長を応援すること。そして楽しむこと。それだけです。応援と言っても会費の請求や労働奉仕などの要求は一切いたしません。サークルの運営資金は基本的に会長の自己資金で賄われておりますので。中には進んで寄付しようとされる方もおられますが、それは例外です。例えば、ここにいる方達も私を含め誰一人会費など支払った事がありません。」
何が可笑しいのか、メンバー達から笑いが起こった。
「ちょっと待って下さい。」植田が口を挟んだ。「応援するとか、楽しむとか、結局何をするのかさっぱり分かりません。具体的に説明して下さい。それにもう一つ気になるのは、自腹を切ってメンバーを楽しませて、それで会長にどんな得があるんですか。」
冷泉は満足げな笑みを浮かべた。
「活動内容は具体的には言い表し難いのですが、簡単に言ってしまえば社交クラブです。詳しいことは追々説明いたします。会長の目的は、一言で言えば恩返しです。昔、お世話になった日本の皆さんへの恩返し。会長は良くそうおっしゃいます。」
「日本の皆さん、…って?」
「会長はドイツ人です。ヘルマン・ズィルバーンバッハ氏と言います。」
ドイツ人ときたか。
怪しげな医学療法・健康グッズのセールスの類か、それともUFOはナチスの秘密兵器だったとか言い出すんじゃないだろうな。
「昭和初期、ズィルバーンバッハ氏はお父上と共に日本に来られました。その後、鉄鋼貿易で財を成され、次第に政府や財閥、軍部とも太い繋がりを持つ様になりました。しかし、第二次世界大戦後、GHQによって資産の大部分を没収され、氏は失意のままドイツに帰国したのです。その後、失われた資産を取り戻すためにズィルバーンバッハ協会を設立されました。その日本での拠点が、銀の河友愛サークルなのです。」
想像していたよりまともな話だったが、自分にどんな関係があるというのだ。そんなサークルのメンバーに選ばれる理由がないし、興味もない。植田は腕を組んで眉をひそめた。
「そんな話は自分には関係ない。と思われましたね?」
「ええ、まあ。」植田は図星を指されて、苦笑いした。
「それが、大いに関係があるのですよ。植田さん。」
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2000年11月 日本(4/10) ( No.4 )
日時: 2013/12/08 14:24
名前: マッドハッター

右手に吊革を握りしめ、俺は窓外をぼんやりと眺めていた。
一面灰色だった町並みの間にぽつりぽつりと斑点のように緑の染みが現れ、やがてそれが電車の窓の中を圧倒して行く…
あれからまた一週間が経っていた。
再び例会へと脚を運ぶ俺。
我ながら馬鹿馬鹿しい事だと思う。あり得ないような話に引っ張り回されて…
つい先日母親から「はやく戻ってきなさい!」と催促の電話があった。
「人と会う約束があるから、年内は帰れないかもしれない」とそのモンダイは先送りにした。電話口から母親の不平の声が返ってくる。適当なところで電話は切った。怠惰な生活をモットーとしている俺としてはコンビニ家業の手伝いはあとう限りの手段をもってしてさけるべき事態である「銀の河友愛サークル」の例会も帰省を引き延ばす口実にはなってくれる。
いや、本当に口実だけなのだろうか??
実を言えば実家に相談、というか確認したいことがいくつかあったのだが…

自己心理分析なんて柄でもないことにたまには頭を使ってみることにする。
高田百合子、好みのタイプだ。若くて美人、スタイルもいい。あんな女性に好意的に接してもらえて気分の悪い男がいるだろうか?いや、いない!断言する。
とゆーか、考えてみれば好意的かどうかはともかく身の回りに高田百合子と比較しうる女性がいるだろうか?
いない。
ここではたと気づいた。一日炬燵でドラクエしてれば出会いが無いのも当然である。
高田百合子を別にすれば、最近の女性との会話で思い出せるのは最後に大学に行ったときの学食のおばちゃんとのものであった。
「にいちゃん、大盛りにしとくからな!」「・・・(愛想笑い)」・・・俺は元来少食なのである。しかもこれを会話というのはおこがましい。
最初の例会に顔を出したのは彼女に惹かれたから、というのは確かだ。これを認めないほど俺は子供ではない。もてない男の(いや機会さえあれば俺だって!)生理的反射行動とでもいうか…そしてこれはこれでひとつの機会である。クリスマスも近いのだ。
・・・・・・・・・・・・・・
目の前の席の赤ん坊のむずかる声で我に返る。危ない危ない。しばし怪しい妄想にふけっていたようだ。昼日中からはあまりにも不健全である。
『妄想は22時以降、家に帰ってから!』
と、心の中の床の間の掛け軸に書き付けておく。
しかし色香に迷うのもそうは長く続くものではない。宗教の勧誘やセールスで何度も体験している。相手の意図が理解できれば一瞬で目が覚める。相手から(この場合俺から)利益を引き出すための手段に過ぎないのだ。そーなれば、そーであるが故に、如何に魅力的な笑顔も、声も、さけるべき煩わしいものと化する。
「銀の河友愛サークル」は違っていた。明らかに…
一切の金銭的負担はないという。少なくとも性急に金を搾り取ろうとしているようには思われない。
新手のマルチだろうか、と一瞬頭をよぎるものがあったが会員は限られたものだけ。そもそも金も人脈もないビンボー学生なんぞを勧誘するよりもっと効率のいい人選がありそうなものだ。
そして本部代表とかの冷泉が一週間前の例会で語ったことが気にかかっている。奇妙な、そして魅力的な話…

「それが、大いに関係があるのですよ。植田さん」
そんなことをいわれても思い当たる節などあるはずもない。戦前の話である。当然俺は生まれていない。俺のじいさん、ばあさんの世代だ。・・・俺のじいさんがそのなんとかバッハの知人だったりする可能性も考えてみる。ひょっとしてなんとかバッハが来日した折りに面倒みてやったとか…ご恩返しに遺産の一部を譲りたいとか…コンビニやめて左団扇で一生遊んで暮らせるとか…
とぎれることなくあふれ出す俺の妄想…それを遮ったのは冷泉のよく通るバリトンだった。
「ズィルバーンバッハ氏に直接お会いいただければ、あなたの疑問はすべて氷塊するはずです。ただ氏は先ほども申し上げたとおりご多忙でして…それに、これはあまりに重要なことですので私の口からは申し上げかねるのですよ」
妄想に輪をかけるようなことを口にする冷泉。重要なこと?なんだ??なんなのだ!!
興味津々の表情を見抜かれたのだろうか?(そうに決まっている)冷泉は周囲の一同を見回した。ひとりひとりの視線を受け止めると軽くうなずく。何かの了解をとったものらしい。
冷泉は俺を振り返るとコホンと芝居っ気たっぷりな咳ばらいして再び口を開いた。
「あなたに変に誤解されても困りますし…これだけは申し上げましょう。ここに集まったもの達はズィルバーンバッハ氏の縁者といっても良い方達ばかりなのです。…もちろん貴方も」
冷泉の言葉に俺の心臓はびくんと胸の中で跳ね上がった。なんと!ひょっとしてひょっとするかも…とめぐらした俺の妄想も捨てたものでは無い!都心の億ションで暮らす俺の姿が新たに妄想に加えられた。
「そ、そそそ、それって、あの、ドウイウコトデスカ?」
動揺を隠しきれずに思わず声がうわずってしまった。いや裏返っていたかもしれない。
「言葉通りに受け取っていただいて結構です。少しはその…このサークルの主旨がご理解いただけましたか?」
確かにある程度筋は通っているような気がする。宗教勧誘やセールスが目的ではなく楽しんでもらうことが目的というのもそれなら納得できる。しかし『縁者』、とはまたなんというか普段あまり使わない言葉だ。血縁関係がどこかであったりとか、そーゆーことなのだろうか?
自分がドイツの富豪(しかも高齢)の血縁者とは…
うぅぅ、妄想が!妄想が!!と〜まらな〜い〜♪

その日はその後軽く食事をしながらの歓談となった。ドイツワインらしきものも食卓に添えられている。どうやら俺の歓迎会といったところらしい。
最初は気を遣ってくれたのか、俺にいろいろと話しをふってくる。
『植田くんは何学部?』『将来どんな仕事につきたいの?』ありきたりの差し障りのない話題である。そんなこと聞いてどうするのかねぇ?やがてそれからも解放されて、ほっと一息つけた。
サークルのメンバーは俺を除けば30代から40代。みなの会話に聞き耳を立てるがそれ以降ズィルバーンバッハ氏(やっと覚えた)の話題は口の端に上ることはなかった。
各自仕事の話から政治の話題(主に愚痴だ)以前居酒屋でバイトしたことがあるが、そこで聞くことのできるサラリーマンの会話と大差ない。
こちらから聞きたいことが山積みでうずうずしていたところ、
「楽しんでますか〜?」
高田百合子である。笑顔がほんのり赤く染まっているのはワインがはいっているかららしい。
「え、えー、まぁ。食事美味しいですね」
本格的なドイツ料理(?)は初めてである。噂でしか聞いたことのない生ハムメロンも初めて口にすることができた。旨い。
「植田さんはワインはいかが?二十歳は過ぎてるでしょう?」
ワインという奴にはいい思い出がない。赤い奴はやたらと渋くてどこが美味しいのやらわからない。白い奴は辛くてこれまたどこがよいのやら…普段はビールぐらいしか飲まないのだ。それも金に余裕のあるときだけである。
「今日はシュペトレーゼのいいのが手に入ったんですよ」
高田百合子のこの笑顔にはかなわなかった『しゅぺとれーぜ』なるものをグラスに一杯ほどいただくことにする。
これがすっきり甘口で飲みやすい!適当な酸味もある。俺が以前飲んだのと同じ飲み物とは思えなかった。ワインは『しゅぺとれーぜ』に限る!一杯のつもりが二杯、三杯…あとはよく覚えていない。俺はそれほど酒に強い方ではないのだ。
いつの間にやら外は暗くなっていた。散会ということとなり冷泉が何か俺に言葉を掛けている。
駅までは誰かが自動車で送ってくれた。残念ながら高田百合子ではない。
ぐでんぐでんとまではいかないがほろ酔い加減の千鳥足で一人で電車に乗ってアパートに帰りついたようだ。
翌朝、炬燵の中で目を覚ましたとき例によって昨日着ていた服のままであることに気づいた。
トイレで用を足し部屋に戻ってみると、BEAMSのコートがハンガーに掛かっていつもの場所にちゃんとある。コート質は解放してもらえたようだ…はっと気づいて玄関に確認にいくとスニーカーも勿論ある。当たり前である。

インスタントコーヒーを淹れて人心地をつける。と、徐々に昨日のことが思い出されて再び胸がどきどきしてきた。
『大富豪の縁者』…信じられないような話である(いつの間にか「富豪」の前に「大」がついている)
しかし待て!落ち着け自分!!
信じられないような話にこそ人は引っかかるものだとか。以前英国王室の落としだねを名乗る男性(生粋の日本人である)に結婚詐欺にあい財産むしられた女性がいる、という記事を雑誌で読んだことがある。
しかし俺にむしられるような財産があるだろうか?ない。実家もコンビニ開業資金の返済でてんてこ舞いだ。財産どころか借金の山である。
そうだ!財布!!あわててコートのポケットを探ると財布は無事みつかった。もちろん中身は一円たりとも欠けていない。
そしてコートからはもうひとつ、次の例会の案内状が出てきたのだった。そういえば別れ際に冷泉に渡されたようなおぼろな記憶が…

ここ一週間つとめて冷静になって、色々と考えをめぐらせてみた。
かつがれているのだろうか?いい大人が何人もで学生をかつぐなど考えにくい。
ズィルバーンバッハに関しても自分なりに調べてみた。大学図書館でインターネット検索なるものを試してみる。…ちなみにパソコンは授業で使うぐらいしか扱ったことはなかった。…成果無し。そもそも「ズィルバーンバッハ」の綴りさえ正確にわからない。ドイツ語どころか8年間学んできたはずの英語さえちんぷんかんぷんなのである。日本の学校の英語教育って間違っている。
「銀の河友愛サークル」これも検索してみるが収穫はなかった。
あとは実家の祖母に確認するぐらいしか思いつかない。父方の祖父、母方の祖父と祖母は10年以上前に他界している。戦前の事を確認するには実家の祖母に話を聞くぐらいであるが、母親が電話に出るとうるさい。
どーしたものかと迷っているうちに例会の当日となってしまった。
もんもんと妄想と推測の日々を送るよりも、真実を明らかにするべく例会には顔を出しておいた方がいい…

四戸鐘町駅で停車した電車から慌てて飛び出した。
一人回想モードに入っていた俺はあやうく乗り過ごす所だったのだ。
前回同様乗降客はまばらだ。静かな駅である。俺以外に電車を降りたのは今改札を通ろうとしている女性が一人だけ。とはいえ例会の4時に間に合うように来ているのだから、平日の朝夕はもっと混雑するのかもしれない。
退屈そうな表情の駅員が宙に向かってうつろに声を上げる「ご乗車ありがとうございま〜す」
気の抜けたような言葉を背中に受けて、バス停留所へと俺は向かった。

停留所では一人の女性が案内板を見ていた。バスの時間を調べているようだ。さっき同じ電車で降りた女性…後ろ姿を一瞬見ただけだが間違いなさそうである。身長は俺より頭一つ低い。ジーンズに白いセーター。その上にポシェットをたすきにかけている。三つ編みのおさげが一つ、背中で風に揺られてぶらぶらしている。その先端はベルトの位置である。長い。大学生だろうか?根拠は希薄だがおさげ髪というのが社会人っぽく見えない。一心不乱に案内板を見ているその女性はどうやら背後のベンチに腰をおろした俺のことには気づいていない様子である。
「暁病院前って次のバス停まります?」
振り返りもせずにその女性が声を掛けてきたので俺の方がびっくりしてしまう。
暁病院前は俺の降りる停留所であった。
「ええ、停まりますよ。あと三分ぐらいかな…」
「よかった」
振りかえってこちらを向くとき長いおさげが体に巻き付くような運動をする。動きにくそうだな…風呂に入るのが大変だ。あの髪を洗うのにシャンプーは果たしてどのぐらい消費するのだろうか?
長い髪に気を取られてその女性の顔に視線がいくのが遅れてしまった。人なつっこい愛嬌のある笑顔に黒縁のメガネがのっかっている。
一瞬目が合ったが彼女は手に持った紙片にすぐに顔を向ける。見覚えのある紙…
慌ててポケットから「銀の河友愛サークル」の案内状を取り出す。同じ便箋だ。
「あの…君、『銀の河友愛サークル』?」
「え」

バスの中で彼女、村井 夏生(なつき)と情報交換会となった。
村井さんは今週高田百合子の訪問を受けたのだという。予想通り大学生の彼女は今回例会に参加するのは初めてとの事である。高田百合子が彼女に語ったことも俺の時とほとんど同じだった。
「怪しいとか思わなかった?」
「まー、最初思いましたけど。感じのいい人だったし、あんまり友達もいないからこういうのもいいかな、と」
屈託無く笑う。あまり深く考えないタイプのようだ。
俺は俺で自分の体験と推測を彼女に語って聞かせる。
「えー、そうなんですか?大富豪の血縁者?私が??」
「いや、まだ確信は持てないけどね。それらしいことを匂わされてねぇ…」
村井さんは再び案内状に目を落とした。
「…でも違うと思いますよ」
「え!なんで??」
「高田さん私を誘う時、こんな風に言ってましたよ『私は誰でも手当たり次第に人を集めてるんじゃありません。例えばこのアパートでは村井さんだけです』って。血縁者とか探してるんだったらそんな言い方します?」
「!」
そういえば…俺の時もそうだったような…
一週間かけて築き上げた俺の妄想の城(億ション)がガラガラと音を立てて崩れていった。いや、しかし…まだあきらめるのは早いかもしれない。いやきっとそうだ…
「じゃ、じゃあさ、このサークルは一体なんなの?」
意図したわけではなかったが、思わず彼女を責めるような口調になってしまった。
「私は行ったことがないのだからわからないですよ」
それは…その通りだった。

バスは暁病院前停留所に停まり俺達二人はそこで降りた。
村井さんは周囲の景観に素直に感動しているようだ。しかし俺はといえば最初に来たときのように周囲に目を配る余裕などない。一世一代の夢(妄想)に破れたばかりなのだ。
やがて白い壁の教会めいた建物が見えてくる。村井さんはここでも感嘆の声を上げていた。こんな事に素直に喜べる彼女が疎ましく感じられる。いや、冷静になれ!自分の卑しさをこそ非難するべきなのだ…
「あれ?外人の女の子…」
建物の前に先日「マリア」、と紹介された女の子がじっと立ちつくしているのにその時になって気がついた。黒いブラウスにスカート、白いソックスに黒のストラップシューズ・・・
「こんにちは」
村井さんが親しげに声を掛ける。ほんとに人見知りしない娘だ。
マリアはこちらに視線を向けることもなくじっと建物に見入っている。
俺と村井さんは互いに顔を見合わせるが、問いかけるような目で見られても俺もマリアのことはほとんど知らない。俺の歓迎会の時には部屋にいなかったはずだ。
言葉がわからない?いや、日本語がわからないのか?しかし先日は高田百合子の言うことには反応していた。挨拶はしたが言葉はその時交わしたかな?
マリアの視線を追ってみるとどうやら建物上部の例のシンボルを見つめているようだ。
どうしてよいやらわからず俺達は立ちつくしていた。建物に入ろうにもマリアが玄関口を塞いでいる格好なのだ。
やがてマリアがゆっくりと視線を俺達の方に向けた。
端正な顔立ちに大人びた瞳。彼女に見つめられた時、俺は一瞬背筋に冷たいものが走るのを感じた。…言っておくが俺はロリコンではない。
「こんにちは、えっと、マリアちゃん?」
村井さんが再び声を掛ける。
「…御祖父様とお話しをしていました…」
驚くほど流暢な日本語がマリアの口から発せられた。
「お祖父さんは今日は来てらっしゃるの?」
ここが妄想の城の生死を分けるポイントである。俺は思わず知らず甲高い声を出していた。
マリアは無表情に俺達を見つめる。
木立の合間から、早くも傾きかかった晩秋の太陽の光が彼女の顔を一瞬赤く染め上げた。
「…やっと集まったって…最後のインシ…」
メンテ
2000年11月 日本(5/10) ( No.5 )
日時: 2013/12/08 14:25
名前: ウルタール

「最後の因子・・?」
きょとんとした顔で二人は、マリアを見つめた・・。
「ソレって、どういう意味?」
村井がそれとなく問いただしてみる。 しかしマリアはそれ以上
何も語ろうとはしなかった・・。ただ、教会の屋根のシンボルを
見つめるだけである・・。 そうこうしてる内に高田百合子が
血相を変えてこちらへと向かって来る。
今日は正装なのだろうか、幾分お洒落に着こなしている。
白のひらひらのドレスに赤のリボン(蝶ネクタイ)を首に巻いている。
さながらお姫様のように・・。 植田は、どうしたのだろう?と思い、
いつもの作り笑顔で彼女の名前を呼んでみる・・。
「こんにちは、高田さん」
しかし彼女には植田の姿や村井の姿も、目には入っていないらしい・・。

「マリアちゃん、ダメじゃない!こんな昼間に・・。」
そう言うと、彼女はマリアに駆け寄り、両手でマリアを優しく抱きしめる。
マリアの黒のブラウスと高田百合子の白のドレスが混じり合った感じで
何とも美しく、それでいて奇妙な光景に思えた・・。
それは、絵画のワンシーンの様に・・。

高田百合子のマリアに対する急な忠告に、植田と村井はワケが分からず、
またキョトンとその光景を見つめてしまう・・。


「Der Onkel zum Sein, die Weise, weil '
letzter Faktor gleichmäßig war,
Vorbereitung des Zeremonieseitenrandes '」
デア オンケル ツム ザイン、ディ ヴァイゼ、ヴァイル’
レッツター ファクトア グライヒ・メースィヒ ヴァール、
フォーア・ベライトゥング デス ツェレモニー・ザイテン・ランデス’
(訳:おじい様が最後の因子が揃ったから儀式の準備をしろって・・。)

マリアは流暢に、何やら高田百合子に話しかけているが、
その言語は植田には分からなかった・・。 多分、ドイツ語だろうか?
すかさず、高田百合子は植田達の方を、チラっと見ながら、
同じくチンプンカンプンな言葉をマリアに話しだした。

「Diese zwei Leute, die letzt sind? Nicht denken Sie?
dann zum Vorabend des neuen Jahres?
welches wird, um pünktlich zu sein.」
ディーゼ ツヴァイ ロイテ、ディー レッツト ズィント? ニヒト デンケン ズィー?
ダン ツム フォーア・アーベント デス ノイエ ヤーレ?
ヴェルヒェス ヴィルト、ウム ピュンクトリヒ ツー ザイン
(訳:この二人が最後なの?それなら大晦日までには、間に合う事になるわね。)


話し終えると二人は植田達を見て、教会へと向きを変えた。
振り向きざまに高田百合子は、「どうぞ、教会へ」と促してきた・・。
言われるがままに、植田と村井は二人の後ろをついて行く様に
そそくさと教会へ入っていった・・。

 中に入ると、気づいた事がある。いつもは人の話し声が聞こえるのだが、
今日はやけに静かだった・・。 見てみると他の会員の姿が見当たらない・・。

 サークルへと来る途中に村井さんと話し合った事が気になっていたので、高田百合子に聞く事にした。
「俺やこの村井さんは、どうして選ばれたんですか?そろそろ、教えてくれませんか?」
問いただす様に高田百合子を見つめる・・。 彼女は一瞬、マリアを見つめて
その視線の意味に気づいたマリアは、
「Sie verstanden」 ズィ フェアシュタンデン(訳:分かったわ・・。)
と、一言、言い残すとスス〜と奥の部屋へと消えていった。
それを見送った彼女はこちらに向き直り、
「植田さん、そして、村井さん。貴方達の血液型と星座に関係があるんです。」
と、厳かな口調で語り始めた・・。
「血液型と星座・・ですか?」
植田も村井も意味が分からず、高田百合子を見つめ返した。
「そうです。AB型のふたご座に意味があるのです。・・ですが、詳しくは
会長であられるヘルマン様に直接お聞きになると良いでしょう・・。」

訳が分からない・・。というより、一抹の不安が頭をよぎった・・。
特別な意味があるのだろうか?・・。しかし、このサークルの趣旨も曖昧だったし、
会合に来ても世間話だけだった・・。夜になるとやたらに夜空を見上げては
冷泉が、「これこそが全て!ここにこそ、我らの求める物がある!!」と
感極まる声を上げて、空高く両手を差し出していた事が幾度とあった・・。
そんな事をふと考えている内に、村井さんが急に俺の腕にしがみついて来た。
かすかでは有るが、震えている様にも感じる・・。

・・すると、突然あのバリトンの響き渡る声がマリアの消えて行った
奥の部屋の入り口から聞こえてきた。
冷泉は社交界の如く、少し派手目の上下がシルバー色のスーツを着ていた・・。
ジャケットから覗かせている黒のシャツと白のネクタイが印象的であった・・。
「君達も既に見ているだろう?教会の屋根にあるシンボルを・・。
アレはふたご座を左右対称にくっつけた物だ。
君達以外の会員もすべてAB型のふたご座なのだよ!」
ズカズカとこちらへ歩いて来る音が聞こえてくる・・。
高田百合子はソレを見ると、やはりマリアと同じように、奥の部屋へと消えて行った・・。
冷泉は植田達二人の前に立ち、「今日はヘルマン会長に会ってもらうよ」と言ってきた。
村井は着たばかりで、状況が何も掴めていないので、より一層不安がっていたが、
植田が今までの状況を説明したので、幾分落ち着きを取り戻していた。
「じ・・じゃあ、植田さん。この人達は、わ・・悪い人たちでは、ないんですね?」
下から上目遣いで植田に問いかけた。少し涙目の様に見える・・。
植田は極力笑顔を作り、安心させようと努めて、彼女にこう言った。
「うん、とりあえずは、大丈夫だよ。今の所はね・・。」
その言葉を聞いて、村井の萎縮した体から緊張したモノがほぐれた様に見えた。

会長と直に会って、どうして血液型と星座にこだわりを持っているのか
聞き出してみたいという衝動が植田には有った・・。
ヤバくなれば夏生さんを連れて逃げ出せば、良い事だし・。
幸いにも、会員が誰も居ない様子で、実質マリアと百合子と冷泉と会長の4人だと予想してみた。
それにはきちんとした根拠があって、以前教会の左脇の駐車スペースに見かけた
会員の物らしき車が今日は一台もないからだ・・。有ったのは、高級車の黒のセンチュリー1台だけだったので、
4人分と思えば、納得出来るし問題ないだろう・・。

不安と好奇心が入り混じり、この時の植田は少し異常な精神状態だったのかもしれない・・。
まるでドラクエをプレーしてる気分だった・・。初めての場所へと進む気分というべきか・・。
どんなモンスターが出てくるのか?どんな攻撃をしてくるのか?
そのスリルと少しばかり似ているな、と思い、武者震いが起こった・・。

これから先、どんな展開が待っているのだろうか・・。

冷泉に言われるがままに、奥の部屋へと一歩ずつ、近づいて行った・・。
もちろん、村井は植田の腕にしがみついたままであるが・・。
          ・
          ・
          ・
          ・
 一方では、高田百合子とマリアは教会の地下深くに居た・・。
ズィルバーンバッハ・一族は、日中の紫外線に弱い特徴を持っている。
もちろん昼間のマリアと高田百合子の行動もソレに当たる・・。
陰気臭い、湿気の多いこの狭い薄汚れたレンガ造りのこの一室で、
会長であるヘルマンはベットで横になっていた。90歳を超える老齢である・・。
マリアが祖父に近づき、何やら話し掛けている。
だが、不気味な呼吸音しか聞こえてはこない・・。
ヘルマンがしゃべる度に、口から息が漏れている感じで
ヒューヒューと音がする。声にならないその声で孫と何かを話していた。

だが、驚くべき事柄が一つあった・・。一人と思われていた人物、
それはマリアであるが、実はもう一人ヘルマンの隣りに居たのである。
彼女達は、【ふたご】であったのだ・・。
植田たちに会っていたマリアは、瞳が青く・
長く美しい金髪をカチューシャでひとまとめにし、後ろに垂らしている
もうひとりのマリア(?)は顔立ちは一緒なのだが、こちらは、銀髪で長い髪をお下げにして
左右に垂らしている、そしてその瞳は黒目であった・・。
しかし、この事は、まだ植田たちは知らない・・。それにこの教会に地下が存在してる事も・・。
これから向かうべき場所こそ、此処なのだから・・。
メンテ
2000年11月 日本(6/10) ( No.6 )
日時: 2013/12/08 14:25
名前: 化夢宇留仁

どこかで聞いたことのあるメロディが、俺の頭の中に流れていた。
少し不気味な曲調。ここ一月あまりよく聞いていた曲の筈だ。
そうだ。ダンジョンの曲である。ドラクエ7だ。
今俺は魔物が潜むダンジョンを歩いているのだ。
しかしここはどこのダンジョンだろう。建物の中のようだが、こんなとこあったっけ?
だいたいなにしに入ってるんだ?前を歩いている背の高いスーツ姿の男は誰だ?こんな奴パーティーにいたっけ?
「うん、とりあえずは、大丈夫だよ。今のところはね・・。」
俺の頭にこんな言葉が思い浮かんだ。
聞いたことのあるセリフだ。
左腕に暖かい感触と圧迫感がある。目をやると、女の子がしがみついているようだった。
そうだ。さっきのセリフはこの子に俺が言ったんだ。
ほんとに大丈夫なのかな。レベルは足りてるのか?
俺は全滅するのが嫌で、ダンジョンに入る前には不満のないレベルまで経験値稼ぎをするのだが、このダンジョンに入る前のことをよく覚えていない。寝ぼけながらやってたのかもしれない。とりあえず最初に出てきた敵の強さで判断するしかないか。

あれ?
待てよ。
女の子がしがみついている?
俺に?
オンナノコガオレニシガミツイテイル!?
・・・・・・・・・
女の子の顔を見直してみる。
可愛い。黒縁メガネがまたツボを突いている。しかし不安そうな表情だ。やはりレベルが足りないのを心配しているのか。
そうだ、この子は村井夏生さんだ。職業は・・・学生。
学生?そんな職業あったっけ?

違う。
ドラクエじゃない。
これは現実だ。
現実に可愛い女の子が俺にしがみついているのだ。
こんなことは生まれて初めての体験である。
なんだか心臓がドキドキし始めた。彼女にも鼓動が聞こえているのではなかろうか。悟られないようにしたいが、この体勢ではどうしようもない。
それにしてもなんでこんなおいしいシチュエーションになったんだっけ?
そうだ。
彼女は俺と一緒に銀の河友愛協会の例会に来ているのだ。
前を歩いているのは冷泉とかいうやつだ。ここに着いてから、あいつの話を聞いて・・・あれ、高田さんはどこに行ったんだっけ?あのマリアという少女は?よく思い出せない。
奥へ進まなければならないという衝動のようなものは感じる。
しかし同時に進んだら危険だという予感のようなものも感じていた。
「うん、とりあえずは、大丈夫だよ。今のところはね・・。」
そうだこれは俺が言ったんだ。
なにが大丈夫なんだ?なにを根拠にこんなこと言ったんだろう。
大丈夫かどうかなんて、俺が知るわけないじゃないか。レベルも足らないかもしれないし。
おかしい。
俺は俺の意志で歩いているのか?
もしかして・・・・・・・

「おやおや」
突然前を歩いていた冷泉が立ち止まった。
そしてゆっくりと振り返る。
「思ったよりも意志の強い方だったようですな。」
その顔は異様な笑みを浮かべていた。
その笑みはまるで、悪夢の中でしか存在し得ない邪悪の塊のように思えた。
俺はわけの分からない声を上げ、きびすを返した。
必死で村井さんの手を引っ張って走るが、村井さんはまだ半分夢うつつのようで、足元がおぼつかない。
背後を振り返ると、冷泉が慌てもせずにゆっくりと追ってきていた。
正面の扉にたどり着いたが、例によって靴を履いていない。
よく覚えていないが、また靴質を取られたのだ。おお、上着も無い!
振り返ると冷泉が例の笑みを浮かべたまま歩いてきていた。もう少しで手が届きそうだ。
思い切ってそのまま扉に取り付いた。無我夢中で開ける。
鍵が掛かっていた。
「怖がることはないのだよ。みんなが幸せになれるんだ。」
冷泉の手が肩に掛かった。
それは怖ろしく冷たく、俺の中からエネルギーを吸い取っているように感じた。
ガラスが割れる音がした。
扉の横の大きなステンドグラスだった。
転がり込んできたのは見覚えのある人物だった。確か先週の例会にいた男だ。確か常磐さんだったか。
彼は手に持った拳銃を冷泉に向け、続けざまに発砲した。
冷泉は銃弾の圧力に押されて数歩後ずさり、脇にあった大きな花瓶ごと倒れた。花瓶が割れ、大量の水と共に生けられていた花や葉が飛び散った。
常磐さん(多分)はそれにはかまわず、扉の鍵の部分に何発か撃ち、勢いよく開いた。
「来るんだ。ここは危険だ。」
あまりのことに呆然となっていた俺だが、倒れた冷泉が何事もなかったように立ち上がったのを見て、頭が真っ白になった。グレーのスーツには確かに穴が3つ開いている。しかし血の出た様子はない。
とにかく常磐さん(仮名)に導かれるまま、表に停めてあった車に乗り込んだ。村井さんも目を大きく見開いているが、なにも言わずにおとなしく従った。
常盤さん(違うかも)は運転席に飛び込むと、乱暴に発車させた。
メンテ
2000年11月 日本(7/10) ( No.7 )
日時: 2013/12/08 14:26
名前: マッドハッター

ヘルマン・ズィルバーンバッハは一人目を閉じたまま、納骨堂を思わせる自分の寝室の中で物思いに耽っていた。
九十年に渡る自分の生涯が、走馬燈のように彼の脳裏に浮かんでは消えていく。

1910年、彼はヴィルヘルム二世治下のドイツ帝国、ミュンヘンで生まれた。
呪われた兄フランツとともに。
第一次大戦での敗北、莫大な戦時賠償金によるインフレ、世界恐慌。彼の少年期、ドイツは嵐の海に浮かぶ木の葉のように大きく揺れ動いていた。
しかし、ズィルバーンバッハ家では外界の喧噪を寄せ付けず、大戦前と同様の静かな時間が流れていく。
ズィルバーンバッハ一族には長老達の加護があった。彼らの指示に従って、株式に投資し、公債を買い求め、時には不動産を売買する。長老達が間違っていたことなど一度たりとて無かった。こうしてズィルバーンバッハ家はドイツでも有数の資産家として幾世紀も過ごしてきたのだ。決して歴史の表舞台に立つことなく。
もちろん、少年期のヘルマンは長老のことなど知らなかった。
ただ、屋敷の広すぎる応接間の壁に掛かった肖像画。双子と思しき瓜二つの二人の人物が描かれた二枚の肖像画は強く印象に残っていた。
一枚は二人の男性が軍装に身を固めて。
またもう一枚の絵では夜会用のドレスを着た二人の婦人が、一人は燃えるような赤、もう一人は夜の海を思わせる夜藍色、という対照的な色の装いでこちらを見つめていた。
それぞれのペアは顔こそ瓜二つだが金髪と銀髪。いずれも若く美しかった。
ヘルマン自身もまた銀髪の双子の兄をもつ金髪の弟であった。ズィルバーンバッハ家の家系的な特徴なのだろう、と子どもの頃は漠然と思っていた。
ある日、ヘルマンの父親が彼と彼の兄フランツの肩に手を置いて語った事が思い出される。
「ここにあるのはお前達の偉大なるご先祖様の肖像画だよ。お前達もいずれここに肖像を飾ることになるだろう。残念ながら私にはその栄誉が与えられなかったが…」
父の言葉の意味がわからず、兄弟は父親の顔を見上げた。
「よく見てお顔を覚えておくんだ。いつかお会いすることになるかもしれないからね」
父親はそれだけいうと悲しそうに顔を背けたのだった。

兄弟が二十歳になろうかという時、父は正装した二人の肖像画を描かせ、その絵が応接間に飾られた。二人が二十歳を迎えたその日、父は彼らを書斎に呼び、一族の秘密を語った。
「我が家系は祝福されているのだよ、異教の神によってね」
その言葉で始まった一連の物語は兄弟にとってあまりにも衝撃的であった。しかし信じざるを得ないものでもあった。その忌まわしさ故に。
「ズィルバーンバッハ家の系図はローマ帝国時代にまで遡る事が出来る。信じられないような顔をしているね?しかし事実なのだ。我が家と比べれば偽りの家系図でカエサルの末裔を自称するハプスブルク家など成り上がり者に過ぎない。
私も自分の父親、お前達のお祖父様から聞いた話しかしてやることは出来ないが…
千五百年前、ローマ帝国時代のことだ。ある時ご先祖様の一人が…彼はローマ人で敬虔なキリスト教徒だったらしいのだが…生まれたばかりの双子の赤ん坊に洗礼を受けさせようと教会へ急いでいた。万神殿の前を通り過ぎようとした時一人の年老いた巡礼がよろよろと近寄ってきたらしい。彼は何かのまじないを唱えると、突然双子のうちの一人の額に触れた。びっくりした母親は身を引き、父親もまた男を突き飛ばした。老人は杖に身をもたせかけそのリューマチででもあろう脚を引きずるようにして再び立ち上がったそうだ。
『我が神々の祝福を与えただけですじゃ、長寿と健康を。もう一人の赤子にも我が神々の祝福を』
『この世におられる神はお一人だけじゃ。異教徒の汚れた手でわしの息子に触れるなどとは!』
父親は老人から杖をひったくると、あらん限りの力で幾度も打擲した。やがて彼自身も息が切れ、老人もぴくりとも動かなくなった事に満足して、神殿の前の石畳に唾を吐くと、その場を立ち去って行った。彼らの背後で老人は呻きとも嘆きともつかぬ言葉を呟いていたそうだよ。双子はその後洗礼を無事済ませた。
双子はすくすくと成長した。弟は太陽の光を宿したような金髪。そして兄は月の光を映したかような見事な銀髪だったそうだ。
やがて成人すると、弟は伴侶を娶り子供も生まれ、仕事にもより一層精を出すようになった。
だが兄は結婚しなかった。彼は…性的に不能者だったんだ。そして子どもの頃からそうだったが二人とも日中の強い陽射しに弱かった。日中戸外にいると決まって強い目眩を感じる。長時間戸外で過ごすと倒れてしまう。これは特に兄の方に顕著だった。兄は仕事も限られ不便な生活を送っていたが、弟家族に助けてもらってなんとか暮らしていた。
そして兄はそれとはもうひとつ別の、誰にも相談できない忌まわしい欲求に心を悩ませていた。
齢四十を過ぎる頃になって二人は奇妙な事に気づいた。弟は長年の仕事の疲れが皺となって顔に刻まれ、また髪にも幾筋もの白いものが混じるようになっていた。しかし兄は、未だ二十歳かとみまがうばかり。
年老いた彼らの父親はこの時になって二人に洗礼を受けさせた日の不吉な出来事を思い出した。
司祭に相談するも異教の呪いかもしれぬ、との答えしか得られず、やむなく彼は万神殿の異教の神官に相談せざる得なかった。
神官は話を聞くとしばし思いに耽り、やがて重々しく口を開いた。それは双子あらざる双子の呪い『ディオスクロイの呪い』であろう、と。
ポルックスとカストル。同じ母から同じ日に生まれたにもかかわらず、大神ユピテルの血を受けたポルックスは不死の、神の血を受けなかったカストルは定命の定めとなったという。件の巡礼は兄弟神の聖者だったのやもしれぬ。
『貴方の神に祈りなさい。貴方の神が十分に強ければ呪いは払われましょう』
参拝する信者も絶えて久しい神殿の入り口で、神官は軽蔑したように父親の背に言葉を投げつけた。
年老いた父親は考えたあげくに兄を家に呼び寄せ、事の次第を語った。
神妙な顔付きで話を最後まで聞き終えた銀髪の兄は彼が今まで誰にも相談できなかった悩みを父親に打ち明けた。
喉が渇くのだと。腹が飢えを訴えて仕方がないのだと。如何に水を飲もうとも、羊の肉で腹をくちくしようともおさまらぬ欲望。どうすればそれを癒すことが出来るのか彼にはわかっていた。だがそれはあまりにおぞましく、とても口に出して語ることは出来ないのだと。
『話してみなさい。お前の受けた呪いは全て私の責任だ。私に何か出来ることがあるのならば何なりと力になろう』父は語った。彼はこの街では富裕な商人として知られていた。
『…とても渇望していたものがあります。今も私の目の前に。事情がわかったからには父上のお気持ちを尊重させていただきましょう。本当にもう飢えと渇きで気が違いそうなのです』
息子は父親の首筋に食らいつき、断末魔の悲鳴を上げる父親の血潮で己が唇を湿した。父親の肉で飢えを癒した。彼の欲求は生まれて始めて充足された。以来彼はその街から姿を消した。
三十年後、弟夫婦もすでになく、その息子が祖父と父の財産を受け継いでいた。
彼が妾の別宅の寝台で横になっていた時のことだ。ふと誰かに呼ばれているような感覚に誘われ、夢遊病者のように起き上がると彼の意志に反してよたよたと応接間へと向かった。
燭台の明かりに照らされて一人の若い男が立っていた。
その顔は忘れもしない自分の父親の顔。いや、しかしその銀髪は三十年前行方しれずとなった伯父のものだった。
『老けたな、甥御よ』どさりと彼が床に置いた革袋の口から黄金の輝きが流れ出た。見たこともない外国の金貨。途方もない大金であることは一目でわかった。
『汝が家の当主は汝の子孫に。我は汝が家の守護者となろう。我は汝が家に富と安全を。そして身を守る為のいかばかりかの知識を授けよう。当主は我と同じ呪いを受けて生まれし者に独り立ちできるまでの庇護を』
以来、始祖ウェルギリウスが我が家の長老の筆頭となった」
父は一旦ここで言葉を切り、グラスに注いだブランデーを口に運んだ。
ヘルマンとフランツは…特にフランツはまさに顔面蒼白で父の話に聞き入っていた。陽射しに弱い…これは二人ともに幼少より感じていたことだった。金髪と銀髪。そしてもっと決定的な事にフランツは気づいていた。彼は自分の下半身に…二十歳にもなって未だなんの欲求も感じたことがなかったのだった。二人は父親の顔を食い入るように見つめた。
大きくため息をつくと父は再び口を開いた。
「それ以後千五百年、我が家系は長老達に守られてきた。長老はウェルギリウス以外に五人いると言われている。しかし私がメッセージを受け取るのはそのうちの二人だけだ。二人とも近世の人物で…応接間の肖像画で知っているね?今ここではあえて名前を明かすことは避けよう。彼らのメッセージは直接頭の中に届く。わかるかな?彼らの言葉が頭の中に響くのだ。少しばかり勉強すればお前達にも出来る。こちらから思念で話しかけることも出来る。長老達がその必要を認めたときには返答がある。
ヘルマン、お前はやがてこの家の当主となる。それまでに学ばなければならないことは私が教えよう。歴代当主の記録にも目を通しておかねばならない。
…フランツ、お前は明日から長老達の元に行くことになる」
フランツは椅子を蹴って立ち上がった。その顔は蒼白を通り越し白蝋のようになっていた。
「こんな話を聞かされて動揺するなという方が無理だ。しかしお前は長老としての生き方を学ばねばならない。いいかね。私にお前を教えることは出来ないんだ」
父親の顔には息子の一人を失う悲しみと…恐怖が浮かんでいた。その恐怖は失おうとしている目の前にいる息子に向けられていた。
「…一つだけ聞きたいことがあります」
フランツが微かに聞き取れるか、というほどの小声で絞り出すように呟いた。
「言ってごらん。私に答えられることなら答えよう」
「双子の呪いはわかりました。しかし何故…人の肉と血を求めるのですか?僕もそうなるんでしょうか?それは…人間でないとだめなんでしょうか?」
父親は視線を落とした。
「肉と血は…長老達の不死の生に必要な活力を与えてくれるらしい。長老は逆に我々に自らの血を与えて一時的な不死性を与えることもできる。当主が長老の血を受ける事はないがね。これは千年以上前にウェルギリウスに禁じられている。血の束縛は一時的な不死を与えはするものの、長老への無私の奉仕と、知性の低下を促すのだ。これは、長老にも当主にも歓迎されざる副産物だ。もう一つの質問は…人間の血肉ではないとだめなのか、だったね。その通りだ。42代当主ヨーゼフの記録にその原因を推測した論文があった」
ここで父は再び言葉を切りフランツの顔を伺った。
フランツがこくりと頷いた。
「彼が言うには…始祖ウェルギリウスが異教の神の祝福を受けた後、キリスト教の洗礼を受けたからではないか、ということだ。彼は当然聖餐に参加したことだろう。つまりキリストの肉と…」
「キリストの血」
フランツがぽつりと呟く。父は頷いた。
「そうだ、ウェルギリウスは異教の神の祝福を受けたとき既にキリスト教徒たる資格失っていた。でありながらキリストの血肉を口にした。その冒涜的行為によって受けた…これは神からの呪いなのかもしれない。異教の神ではなく、我々のよく知っている神からのね…」
「主はその御姿に似せて人を作りたもう…」
フランツの声は虚ろに部屋に響いた。
異教の神に祝福され、神に呪われた家。それがズィルバーンバッハ家だった。

翌朝、父と弟は息子であり兄である銀髪の青年がそのベッドから姿を消しているのを発見した。
ヘルマンはその日から父からの手ほどきで長老との以心伝心の方法、身を守る術、人の意志を屈服させる方法、またそれ以外の様々な技術を学んだ。それは確かに一つの技術ではあったが、彼が今まで学んだ如何なる方法とも異なっていた。それは魔術と呼ぶに相応しいものだった。テキストは主にラテン語とギリシャ語で書かれており、幼少時からこの二つの言語を学ばされていた理由が、この時ヘルマンには理解できた。
父が最後に教授したのは異界の神々との接触の方法だった。
「いいかね、ヘルマン。これは決して使ってはならない。だが、身を守るために必要な知識だ。彼らは人類に好意的な存在ではない。アーリア人であるか否かに関わらずだ。だがお前に敵対する者がこの技術を使おうとすることがあるやもしれぬ。その為にこの技と知識をお前も身につけておかねばならないのだ」
父親自身にも彼のこの言葉の意味が真に理解できていたのかどうか、今のヘルマンには疑問だった。三年もの時間をかけてヘルマンはこの技を自分のものとした。
やがてナチスの台頭。第二次世界大戦勃発。三十歳のヘルマンは愛国心から、また自分の得た力を試したいという若者の傲慢さからナチスへの入党を希望した。が、この時始めて長老からのコンタクトを受けた。
彼女の名前はヒルデガルド。ズィルバーンバッハ家の応接間に飾られた肖像画の女性。夜藍色のドレスを身につけた彼女の姿が彼の夢に立ち現れたのだった。
ナチスに入党してはならない。ただ総統とはコンタクトをとりなさい、と。
ヘルマンは知己を当たって総統の個人的な側近ヘルマン・ラウシュニングとの知遇を得た。
やがてはオーバーザルツブルクの山荘に招かれるまでに総統と懇意になることに成功した。
ヒットラーは面白い男だった。芸術と犬と競馬を愛した、憎めない人物であった。彼は政治家、軍人というよりはむしろ二十代の画学生ように、芸術を熱く語った。ヘルマンが調子を合わせてやると彼の芸術評は機関銃のようにとどまることなく口をついて出てくるのだった。
そして彼はオカルトにも異常な執着をみせた。彼の望んだのは不死であった。
事実彼は健康を害していた。会食中も手足に痙攣を訴え、ナイフを落とすこと幾たびか。その度にエヴァ・ブラウンは彼を心配して寄り添ったものだった。
二人きりで話が出来る機会を捉えて、ヘルマンは徐福の伝説をヒットラーに語った。秦始皇帝が望んだ不老不死の霊薬。徐福は東の地でそれを発見したという。蓬莱山とは同盟国日本の富士山の事ではないのか?
ヘルマンは総統の個人的な密偵として日本に渡った。不死の霊薬を総統にもたらすために。同盟国とはいえ開戦中の混迷とした状況で日本に渡るには総統の力添えが大きくものを言った。
ヘルマンの日本での真の使命は長老ヒルデガルドのメッセージに従って、日本軍部と財閥への根回しだった。彼はここでも鉄鋼業を主として財を成した。終戦直前には財産のほぼ全てを金に交換し信頼できる日本人に預けた。GHQに没収された資産なぞ物の数ではない。彼が資産を預けた日本人の名前は冷泉秋房といった。
ヒットラーは自殺しドイツは降伏した。思えば滑稽であった。彼が求めた不死の秘密は彼の目の前にあったのだから。
終戦後帰国したヘルマンは、再び喧噪を奏でるドイツの表舞台とは裏腹に、平穏な日常を満喫した。長老からのメッセージも受け取ることはなかった。
彼は妻を娶り二人の子供を成した。が、その二人ともが五歳になる前に病死した。五十歳を過ぎた時、妻もまた病気で他界した。父親もすでに四年前に亡くなっている。
このままではズィルバーンバッハ家の血筋が絶えてしまう。千年以上にわたって連綿としてつづられた世界でもっとも古い家系のひとつが。
しかしそれは呪われた家系でもあった。ヘルマンはその最後の当主となるかもしれない自分を卑しみまた賛美した。いいではないか。このまま終わっても。この呪われた家の最後の当主であることは或る意味誇ってもよいのではないだろうか?
しかし長老達が放ってはおかないだろう。やがてメッセージが来る。しかし、彼は長老達のメッセージを受け取る事は無かった。

4年前だった。夢の中で遠い昔に聞いた声を耳にしたのは。
それは彼の兄、銀髪のフランツのものだった。
「…久しぶりだね、ヘルマン。ずいぶん歳を取ってしまって、僕の声も忘れたかな?色々と話したい事が山ほどあるね、お互いに。だけど今は世間話をしている場合じゃない。日本に行きたまえ。そこに君の曾孫がいる。鞠絵という女を覚えているかな?君が以前日本にいたときに懇意にしていた女性だ。芸者という職名の職業婦人だよ。思い出したかい?彼女は君の娘を産んだ。君が日本を去ったあとにね。その娘はまた別の男と結婚し一人の女子の親となった。娘は成人して男と知り合い…双子の娘をこの世に送り出した。言ってる意味がわかるかな?双子だよ。ズィルバーンバッハ家の。捜したまえ。君の子孫を。そして僕らの子孫をね。君にはその義務がある。ウェルギリウスはこのミレニアムの終わりにちょっとしたイベントを考えているようだ。急ぎたまえ、兄弟。君の命のあるうちにね」

翌朝、ヘルマンは目覚めると同時に渡航の準備をした。齢八十を越えた身での海外渡航。彼は二度とドイツの地を踏む事を期待してはいなかった。
日本に渡ると同時に冷泉家に連絡を入れた。冷泉家の当主は代替わりしていたものの、彼はヘルマンの知る冷泉秋房その人と瓜二つであった。彼は冷泉秋彦と名乗った。
ヘルマンと冷泉はズィルバーンバッハ家の後裔を捜し、1年の時間を費やして彼女らを発見した。もっともその実際面は冷泉と、彼の愛人高田百合子が取り仕切った。八十を越えるヘルマンはもはや日中の陽射しに耐えられるだけの体力を維持出来なかったのだ。彼女らは児童福祉施設に収容されていた。彼女らは私生児であり、母親もまた六年前に失踪したらしい。
DNA鑑定によりヘルマンとの血縁が認められた。彼は彼女らを養女として引き取り、ドイツ国籍を取得した。同時に名前も変える。金髪の娘はマリア。銀髪の娘はエーファ。
ヘルマンがこのことを報告するとすぐにフランツからのメッセージが届いた。
「良くやった、と言いたいところだけれど思ったより時間が掛かったね。ウェルギリウスのスケジュールに修正が加わらなければいいのだけれど。すぐにマリアに当主としての教育を始めたまえ」
「!マリアはまだ十歳だぞ!!正気なのか!?」
「君こそ落ち着いてよく考えたまえ。彼女が成人するまで君が生きている保証はないんだぜ?それに言ったはずだ。ミレニアムの終わりにイベントがあると。ウェルギリウスの不興は買いたくないだろう?それから…冷泉にはエーファの血を与えるんだ。一滴でいい」
ヘルマンは息を呑んだ。
「…何を考えてるんだ?」
くすくす笑いを浮かべて彼の双子の兄が夢の中で答える。
「冷泉を信用できないからさ。彼は所詮東洋人。ズィルバーンバッハ家への忠節などとは無縁の人間だよ。体力的に問題のある君に代わって彼を信頼おける手駒として使うにはズィルバーンバッハ家への真の忠誠が必要なんだ。不死への欲求。それを刺激してやれば彼は喜んでエーファの血を受けるだろうよ。請け合ってもいい」
「何をするつもりなんだフランツ?」
ヘルマンはその長い一生のうちでこの問いに対する答えほど恐怖を感じたことはなかった。
「終末だよ、ヘルマン。我々は人類に地球を好きにさせ過ぎたようだ。広島と長崎に原爆が落ちて以来五十年間、ウェルギリウスはこの計画を進めてきた。このままでは人類は自らの手で自らの歴史の幕を下ろすことになる。そうなれば僕ら『呪われし長老』達とて生きてはいけなくなる。そうなる前に最後の審判を僕らが下すんだ。僕らの選んだ民のみが生き延びる。人類の殆どは滅びるんだ。…その為に僕らは異界の神を召還する」
ヘルマンは生まれて初めて、あの二十歳の誕生日に受けた衝撃以上のものに打ちのめされた。

「……ヘルマン様!?ヘルマン様!?」
高田百合子の声がヘルマンの物思いを遮った。
意志の力で扉を開いてやる、と高田百合子が彼の薄暗く湿っぽい寝室へと飛び込んできた。百合子は息を切らせている。
「常磐が裏切りました。植田と村井を連れて逃亡中です」
ヘルマン・ズィルバーンバッハは閉じていた目を、かっと大きく見開いた。
「…急がねばならん」
彼はゆっくりとその寝台から身を起こした。
メンテ

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