説明がつく事の説明がつかない・・・


「全ては科学によって説明がつく。」
こう言われて、いったい何人の人が、Yesと答えるだろう。
化夢宇留仁の答えはYesである。
そんな無茶なと思われた人は、科学とは何かを勘違いしているのではないかと思う。
化夢宇留仁も別に今現在の地球上の科学力で説明がつくなどとは思っていない。またこの先どれだけ科学力が進歩しても、解明されない謎は残っているだろうとも思う。
それでも、全ては科学によって、説明がつくのだ。
これは定義の問題である。科学は最初から「すべての説明をつけるもの」として、定義されているのだ。逆に言えば、全てに「説明をつける手段」が科学なのだ。
証明と言うものがある。幾つかの条件の上で、不明またはあいまいだった仮定を、ある結論に導く・・・これも科学の一要素である。だが全てではない。多くの人は、この証明という行為を、科学そのもののように思い違いをしている節がある。
よく目にするのが「科学で全てが説明つくなら、幽霊や超常現象を説明してみろ」という意見だ。これは大きな勘違いである。 その場で証明できる事が科学の条件ではないし、そんな必要も無いのだ。原因があって結果 がある限り、すべての事物は科学で説明がつく。例えそれが幽霊であろうが同じ事である。ただそれが、現在は、またはこの先ずっと解明できないかもしれないというだけの事なのだ。

ここまで読んで「何を当たり前の事を長々と喋ってるんだ?」と思われた方は、この先は読まなくて結構です。この先は更に同じ事を説明しているだけです。

科学に真っ向から反する要素として、よく神の存在が上げられる。
ここで断言するが、科学は神の存在を否定しない!
もちろん肯定もしない。まだ解明されていない要素であり、現在の科学力では説明のつかない事、である。これは結構微妙なところで、本職の科学者でさえ勘違いしている人もいる。単に不確定要素であるだけなのに、存在しないと言いきってしまう人がいるのだ。こういう人がいると、話しはややこしくなり、科学に対する誤解が深まってゆくのだ。
神が世界を、そして人間を創造したという宗教がある。
科学と言う視点からは、その考えに対しての態度はただ一つ。「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」これしか無い筈なのだ。
全てに説明をつけるものが科学である以上、説明のつかないものは存在しないのではなく、あくまで確認の取れていないものであって、正否はつけられない筈なのだ。
ただこれは確かに勘違いしやすい要素だと言える。
人は経験から事物を認識する。経験からこうだと思うと、そこに理由を探そうとはしないのだ。時にそれは科学的思考が必要な時にも影響する。
例えば人は老いてゆく。これは当たり前の事だ。しかし科学者足る者、人は老いるか?と聞かれてYesと答えている様ではいけない。
老いは現在、純粋に科学的には解明されていない。ただ経験から老いるとされているだけなのだ。あまたの生物が老いてゆくのだから、半分証明されたようなものだと言う考えもある。確率的論的に言えばそうかもしれない。もちろん確率論も科学の一種だ。だがやはり、科学的視点に立って、老いの存在が確認されている訳ではないのだ。
あらゆる思い込みを廃してこそ、科学的な思考が可能になる。
話を戻すと、神が存在してすべてを創造したという仮定も、頭から否定している様では科学的とは言えない訳である。
だからと言って、神の存在が確認されたら科学は用済みという訳ではないのはお分かりだと思う。単に仮定の一つが証明されたということである。

などという話をして、今まで何人かの人と意見が食い違った。
その場合はどうしても定義が違うという事が伝わらず、物別れに終わっている。
化夢宇留仁の印象では、どうやら定義がどうのという以前に、科学では説明できない事物を欲しているようだった。
どうも科学が全てを取り仕切っている状況がお気に召さないらしい。
そう考えている思考も脳内での化学変化と電気信号の結果なのだが・・・とか言うと、脳と魂は別 だという意見が。
その魂も存在するのなら、科学的な原因があって存在している訳なのだが・・・・・・きりがない。

科学で全てが説明できるのは確かである。
だがそれを説明するのは容易ではないというお話でした。


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