アルファ造船 ベルトーネ級自由貿易商船  

マッシリア宙域2103=インアリム(B565AFG−F 高人)のアルファ造船は、規模こそ小さいものの長い歴史を持つ造船会社で、特に小型宇宙ヨットの開発では定評がありました。

アルファ造船が1105年の経営危機に際して、インアリム農業銀行からMcr500の融資を受けました。
この時の融資条件が、自由貿易商人を顧客対象とした汎用商船を新開発し、経営の転換を図るというものだったのです。  
この結果、アルファ造船は従来建造していた小型宇宙ヨット「アルファ・ツーリズモ」と「アルファ・スポルト(高速版)」「アルファ・スペル・スポルト(スーパー・スポーツ)」の製造権をマッシリア宇宙開発工業(MSDI)に譲渡し、汎用貿易船の開発にとりかかりました。  

こうして開発された「ベルトーネ」は長年のアルファ造船のノウハウに裏打ちされた、高性能な宇宙船でした。
特にベテランの設計者カスターニャ博士による手堅い基本設計は、必要にして充分な機能を高いコストパフォーマンスで実現させました。  
また、船体のデザインは外部のザガート社に委託され、その落ち着いた中にも斬新さが光る独特のデザインは人気を博し、発表から12年間で38隻が建造されました。

「ベルトーネ」の発表から4年後、その高性能版として「ベルトーネ・インテグラーレ」が建造されました。  
この「インテグラーレ」は従来の「ノルマーレ」を、アルファ造船期待の若手設計者ヤーノ博士が一部再設計したものです。
まずジャンプドライブが2パーセク到達できるように追加され、またパワープラントが小型で630MW出力の、33(ティーポ)型核融合炉に改装されています。  
船体もザガート社のものを棄て、宇宙船意匠工学の権威ピニンファリーナ博士へ新デザインを発注しました。
この大胆ながら洗練された新設計スタイルは、発表直後から業界での話題となりました。  
ただし、ピニンファリーナ博士は単なる美観だけを求めて船体を設計したわけではなく、その証拠にコクピット上部には、アレッジェリータ(軽量化済み)を表わす「A」のマークが誇らしげに刻まれています。  
「ベルトーネ・インテグラーレ」は、「ベルリーナ号」「ベローチェ号」「ペスカーレ号」「コロニアーレ号」の4隻が建造されました。  
しかし、建造した宇宙船が好評を博する一方で、アルファ造船の経営は順調ではありませんでした。
インアリム農業銀行への融資返済が、経営を圧迫していたのです。  

1113年、アルファ造船は株式の51%をMSDIに売却し、実質上の子会社となります。そしてMSDIから派遣され、アルファ造船の最高設計責任者に就任したスカリオーネ博士は、ベルトーネ級の最終進化型を建造する計画を発動させました。  
船体はスカリオーネ博士自身の手による流麗で美しい、くさび型完全流水形となり、心臓部にはヤーノ博士が改良した、33型核融合炉の発展形33/2型が採用されました。  
また、環境維持装置を製造するアウトデルタ社には、最低限の快適性を維持しつつ、徹底的に装置の省スペース化を図るように厳命が下りました。
結局、専用室を船員用2室のみとして、船客用には2等寝台10台のみを用意するという手法により、従来の半分の大きさの環境維持装置で船内を制御する、苦肉の策がとられました。  
しかし、ディスプレイやパネル類の軽量化、高性能化の度重なる要求による開発費高騰に耐え兼ねて建造計画から脱退したヘレボーレ社のように、必ずしも計画に参加した全員がこの船に入れ込んでいたわけではありませんでした。  
多くの者にとって、この高性能化要求は汎用商船には行きすぎた、無駄なものであると映ったのです。  
結局、ヘレボーレ社の抜けた穴はスミス社が担当し、その結果としてアルファ社の宇宙船では始めてリンク型ホログラフの管制パネルを採用することになりました。  
その後も通信・探知機の製造を担当していたコンレロ社の買収合併による消滅などで計画は幾度となく頓挫し、完成までに実に6年の歳月を要しました。  

こうして、ジャンプ距離2パーセク、加速度2Gの「ベルトーネ・エボルツィオーネ」仕様の「フレッチア・ドーロ(金の矢)号」と「ストラダーレ号」が建造されたのですが、、発表された時点ではすでにその性能はテュケラ運輸の「ゴールデン・スカラベ号」によって実現された後でした。  
Mcr200を優に超える設計価格は、高価すぎて貿易船としてはとても原資が回収できないため、結局買い手はつきませんでした。  
この建造計画の債務によりアルファ造船は決定的な経営不振におちいり、最終的に再建を断念してMSDIに完全吸収されました。  
計画責任者のスカリオーネ博士は、MSDIの命令により意図的にアルファ造船に無理な計画を遂行させて、本社の財政管理下に置こうと画策したのではないか、という意見が現在では専門家の大部分の見方です。  
しかし、その実際のところは、スカリオーネ博士が引責辞任の翌日に自宅でピストル自殺をしたため、永遠の謎となっています。

タイプ:ベルトーネ級インテグラーレ仕様
TL15 Mcr43.231440

船体:ピニンファリーナ製、180/450、排水素=200トン、形状=2流線型、装甲=40G、重量986トン、総重量2280トン

パワー:アルファ33型核融合炉(1/2)630MW、航続30/90

移動:SZ型反重力ドライブ4基(4/8)通常=1G加速、TZ型ジャンプドライブ6基、ジャンプ=2、S.T.E.R製航空制御装置、地表=190Kph、最高=1000Kph、巡航=750Kph 移動力=1

通信:カロッツェリア製 電波式星系内通信
探知機:コンレロ製 受動EMS=遠恒星間距離、能動EMS=遠機動距離、能動物体探知=並、受動エネルギー探知=並

防御:DM+3

管制装置:カロッツェリア製 モデル1新型コンピュータ3台、ヘレボーレ製 コンピュータ・リンク型パネル99枚、ヘレボーレ製 ヘッドアップ・ホロ式ディスプレイ2枚

環境維持:アウトデルタ製 艦内高度制御、エアロック=1基

居住区画:専用室6(船員4名、特等船客8名)、2等船室16、密閉型エア・ラフト1台(開放型2トンなら2台)積載可能

その他:船倉=1248Kl、通常燃料タンク=152Kl、ジャンプ燃料タンク=405Kl、燃料精製装置(12h)、燃料スクープ

目標サイズ=中 視認レベル=中

『帝国商船名鑑』より抜粋

 



ビットリオ・ヤーノ博士 
687AA8 26歳 科学者  宇宙船設計3 エンジニアリング2 メカニクス1 コンピュータ1  

トリノ市で生まれたヤーノは、18歳でトリノ工業高校を卒業すると、 すぐに地元の自動車会社で、製図工として働き始めました。  
2年後、会社の倒産に伴ないアルファ造船へと移籍したのです。  

ヤーノは若く情熱的な宇宙船設計技師で、アルファ造船の社員教育制度 を利用してトリノ工科大学を卒業しました。  
昼は大学、夜は会社の設計室で4年間を過ごした時、彼の知識はすでに ベテランの設計者達に何らひけをとらないものになっていました。  
そして何より、彼には溢れんばかりの才能があったのです。  

ヤーノの最大の功績は、新型核融合炉の取り付け位置を工夫したこと でした。  
この小型エンジンといえども、当初の設計予定ではベルトーネの船倉を 大きく犯してしまうところだったのです。  
ヤーノはこの心臓を2つのM字型に再設計し、90度の挟み角で連結さ せました。
数字の33に似た形となったこの新型核融合炉は33型と呼ば れることになりますが、これがベルトーネ・インテグラーレの1247kl という広い船倉を可能にさせたのです。


龍太郎氏のコメント。

特に細かく決めてる人っていうと、この人ぐらいです。  

これはうちでのオリジナル設定ですが、アルファ造船の船には帝国標準規格から外れた部品が使われています。  
整備料は規定の1.2倍かかり、また大掛かりな修理にはこの人の協力 が必要です(笑)  

それから、アルファ造船の船は塗装がすごく弱くよく剥げます。
全塗装も数年毎に必要になってくるでしょう。  

さらに湿気や酸にさらされると、他の船の倍ぐらいの速度で劣化し、補修が必要となってしまいます。  

パワープラントは耐久値1なので、言うまでも無く乱暴に扱えばすぐに イッてしまいます。  

電装系に5%の確率で不良品が混じっていますが、これも愛嬌です(笑)

コンレロ社とかヘレボーレ社とかの部品は、信頼しないほうが身のため です。  

この宇宙船を作ったのが、イタリア人たちだということを、いついかな る時でも忘れない事が、この船で生き残る秘訣です。  
昼休憩のブザーが鳴れば、目の前のベルトコンベアを部品未取り付けの 製品が流れていたって、彼らは平然と無視します。  
2時間たっぷりとワイン(!)と昼食を楽しんだ後、彼らはふらついた足取りで宇宙船建造を再開するのです・・・。  
細かいことを気にする日本人は乗らないほうがいいです(笑)  

ボクの一人遊びでベルトーネ・インテグラーレ仕様「ベローチェ号」に 乗っている面々は、この宇宙船のせいでよくとんでもない目に遭います。  
しかし、医師のジュリエッタ・ロメオ、整備士のフィカルゼ・ロメオの 双子の姉弟(アルファ造船の創業者の子供達)は能天気に状況を楽しんで います。 2人は陽気なナポリっ子の血を受け継いでいますから。  
しかしスウェーデン系の船長ミハエル・ロイウェンにはこの船の評判は 悪いようです。  
ワープ航行に入ろうとするとき、不気味に揺れますし(笑)

龍太郎