ライラナー工科大学はスピンワードマーチ宙域に於ける、工業技術系大学の最高峰として名高い学府である。
その大学には、有名なヤマナカ教授という人物がいる。
彼は、機械、電気、計装、化学は言うに及ばず、造船設計、航空、反重力工学等の各工学関連に幅広い博士位を持つ、この時代の一種の天才人である。
 その性格は気さくで温和な人柄で知られる。学生達への指導も丁寧で判り易いと人気のあるものであった。
家族は家庭的な夫人と今年大学に入った長男と愛犬であったが、
教授の発表した論文によりいきなり、知らぬ間に「外套と短剣の世界」に入り込んでしまうのであった。
 
 この論文の随所に個艦性能(それは主力艦・小型艇を問わない)の具体的な記載とその分析結果によるシミュレート結果、
更には陸戦兵器類の評価、個人戦闘に於ける装備品等、幅広い分析結果が記述されていた。
 論文は技術差による大幅な戦力差を色々な角度から追求した学術論文であるが、各国の首脳部、軍司令部は異なった理解をした。
 
 まず帝国軍やダリアン軍、ゾダーン軍とソードワールド連合軍の司令部であるが、個艦性能(それは主力艦・小型艇を問わない)や陸戦装備性能が
これ程詳細に記載されているという事は、すなわち教授に協力している高位の内通者が自勢力に相当数存在していることを示していた。
 
 帝国領内で温和な人格者として名高い、リジャイナ公爵ノリスは、それはあくまでも民衆へのコマーシャルである。
「報告書は読ませてもらった、マクギリス君。」ノリスは薄暗い豪華な部屋の重厚な執務机の上で両手を組み、その向こう側で目を細め、険しい顔を半ば隠しながら言った。
軌道上の公館の一室に呼び出された時から、トーマス・マクギリス帝国海軍情報部少佐は嫌な予感がしていた。
領民や報道向けのにこやかな顔付きと威厳を湛えた口髭もこう見ると冷徹に感じる、マクギリスは思った。
執務用に掛けている太い黒縁の眼鏡の奥でこちらを疑い深く見る目は、いつ見ても心が冷める。
「つまりは、かなりの情報が漏洩しているいうことか?」ノリスの声は、確認と言うより、独り言に近かった。
「はい。我が軍の配置状況や兵器性能、補給、休暇中の部隊に至るまで、継戦能力がかなり漏洩していると推察致します。」
民間人の会社員の様な背広でいるのに、まるで軍の礼服を着た如く、直立したまま、マクギリスは答えた。
「今の国内の防諜はどうなっている?」
「はい、うちの情報部と偵察局の探査部や貴族の方々の私設の動きで最小限には抑えておりますが、完全とは言い切れません。それに旧来からの侵入した諜報員はほぼ無理です。あちらも努力している様ですから。」
「ゾダーンの様に定期的に領民全てと面談して、国家への忠誠心を審議する訳には行かない。」ノリスは冷たい目をしてマクギリスを見て、言った。
ゾダーンの領民全てに地域担当の超能力者監督官に定期的に会合させて、連邦に対する忠誠心を確認する制度があることを揶揄した。
「全く、困った物だ。例の教授に損害賠償を請求したいぐらいだ。」とノリスがこぼしたのを、マクギリスは珍しそうに見ていた。この状況でノリスが冗談を言うとは。
「宜しい。君とラングフォード君、ハイネマン君で計画を立ててくれたまえ。教授の消去は絶対にさせない様に。」些か決まり悪そうな表情を浮かべた公爵が、元の冷徹な表情で命じた。
「承知致しました。」マクギリスは片足を軽く折り曲げて、恭しく一礼すると、ノリスの執務室を退去した。赤い絨毯が敷き詰められた廊下に出て、どっと冷たい汗が噴き出したのは、決して空調の所為ではなかった。
 
 「それで、同志スモレンスキー大佐、君は一体どういう結果を導き出したのかね。」ゾダーン連邦 情報局長ヤコヴレフ1級管理官が優しい声で尋ねた。
こうやって質素な事務セット以外に何もない管理官執務室に1級管理官と二人きりになる位なら、別れた女房と二人きりになる方が何倍もましだ、とピョードル・スモレンスキーは思いかけて、彼が優秀なテレパスである事を思い出して打ち消した。
「同志管理官、彼は我が連邦と艦隊にとって、重要な人物である、という事です。」スモレンスキーは40代後半にしては、まだ現役海兵として通用する鍛えられた腕で机を叩いた。
「ふむ、同志は、私の言葉を良く聞いていなかった様だ。私は結果を聞いているのだよ。」
「つまりはですね、彼を連邦に招待し、帝国主義者からこちら側に保護する必要があると愚考致します。」読み取っている癖に、とスモレンスキーは考えてから、今考えた事について、失敗したと理解した。
ヤコヴレフ1級管理官は薄い唇に、わざとらしい僅かな笑みを浮かべて、
「判った。では、必要な材料を見積もってくれ。私も同志大佐の意見に賛成だ。具体的な計画書を3日後までに統治管区上級委員会へ提出してくれ。私の名前を出してくれて構わない。」
「承知致しました。」スモレンスキーは勢いよく海軍式の敬礼をして、180度向き直り、管理官執務室を後にした。さて、これからやるべき事が沢山ある。
 
 ソードワールド星域にある連合首都グラムメインの繁華街に程近い場所にある公共交通機関の駅の地下部分が、連合情報部の本拠点である事は、全く知られていない。
公的に連合情報部は、議事堂から南にある高層ビル群の一角にあると信じられているが、そこは表向きの連絡所でしかない。
大型電算機や記録装置の熱放出を公共交通機関に紛れ込ませており、上空の熱感知等では到底感知できず、通信傍受や盗聴も地下にある為に、難しい。
その連合情報部の本拠、通称、「オフィス」と呼ばれる事務的で無機質な一角の室内で、数人の男達がまるで民間会社の打合せをするかの様に話をしていた。
「連合内の調査結果を見て、まず内通者はいないと思いますよ。」背の高い精悍な顔付の30代前半の男が言うと、小柄な背広を着たどこかうだつの上がらない会社員にも見える男が
「思うでは困る。過去も含めて、民間についても徹底的に検索しろ。」風貌とは似遣わない高圧的な声で男達に言った。
「まあ、検索はモランデルに任せるとしましょう。ところで、トミヤマ准将、今後の我々の動きについての御命令があると御聞きしましたが。」頭の薄くなった小太りの男が話題を変えた。
「うむ、君達には、彼の近傍での営業活動をして欲しい。計画は大幅に一任する。が、予算の関係で20単位以上は使用できない。その線で頼む。」とトミヤマ准将は命令した。そして、一つ溜息をついて、
「アンディ君、私は部長職だ、准将ではないよ。」と真面目な顔で付け加えた。
アンディと呼ばれた、小太りの男は、棒でも呑み込んだ様な表情で、
「承知致しました。」と答えた。
 
 教授の一連の論文は、関係者にとっていきなりの発表であり、その内容は衝撃的であった。
 
 帝国の為政者達である伯爵位以上の者達の中では、
この論文を受けて、彼らの敵になる勢力は必ず戦力の増産に努めるから、それに対抗した、より充実した戦力の整備に努めるべきだ、という一派と
戦力的に格差があると判明した以上、戦力の維持する予算を削減して、産業殖産、特に常に悩ましい食糧問題、あるいは福祉や教育、医療に廻すべき、という一派に分裂した。
スピンワードマーチ帝国軍司令部は、予算を削減を望む声を聞くと、戦力整備派に歩調を合わせた。
また、公爵達の一部では、論文をインペリアル運輸の高速連絡船で遠くキャピタルの玉座に献上し、御裁可を仰ぐ動きがあった。事は遠くソロマニ連合や帝国内部の反体制にも影響する。事は1宙域では済まない事は必至だった。
 ゾダーン連邦では、ロボットを含む陸戦力は配備数や該当する戦場への動員方法等により帝国軍と拮抗する事が可能との結論を得たが、空間戦力では、現戦力では、防衛も困難であるとの結果を受けて、
参謀本部内部で、混乱を来たし、数百余の不幸な事故不審死者を生んだ挙句、早期に侵攻計画の立案、特に電撃的な戦力の集中運用を計る事が決定した。
 ダリアン連合は、論文の評価結果では、数さえ充分ならば、防衛が比較的容易であると推測した。
次いで連合議会の中で、現有戦力での専守防衛を広く宣言すべしという一派と艦船を増産して周辺国へ輸出し、外貨を得ようと考えた一派とで激しい議論が起こった。
 ソードワールド連合内部では、議会よりも軍内部での激しい分裂が発生した。仮想敵である帝国に空間戦力も陸上戦力も抗する事が非常に難しいというのが一致した認識では
あったが、産業へ影響があっても戦力増産に努めるべきという一派と艦船の能力が拮抗しえないのであれば、民間船を襲い、通商補給路を寸断する事によって、帝国の継戦能力を削ぐべきという一派に分断した。
 アスラン人とヴァルグル人は纏まった星間国家とは言えない所為もあってか、動きを見せることはなかった。
だが、各勢力の「外套と短剣」の世界の住人達は素早く共通の行動を起こしていた。
 
 この時期のライラナーに潜入した彼ら同業者の人数を正確に知る者は恐らく存在しないだろう。
だが、確実に言える事は、全ての勢力を合わせると、ここ百年余りで恐らく最大の諜報工作員が動員されているという事である。
 各勢力は、教授に内通している高位者が判明すれば、(情報筋の独特の手法で)利用する事ができる、教授の(望むと望まざると)積極的な協力を得る事が出来れば、欺瞞情報を容易に流せる、
あるいは、、、と利用価値が大きく広がっているのである。
 つまり、教授は知らぬ内に、自身も、自身の論文も一種の戦略兵器として扱われる事になってしまったのである。
 
 教授の自邸宅は、大学から2Km程離れた、閑静な住宅街である。
隣には、80歳を超える老婆が1人で長年住んでいたが、買い物途中にエアラフトの暴走事故に会ってしまい、天に召された。
残った老婆の家は、すぐに30代後半の夫婦とローティーンの男の子が住む事になった。
 「はーい。」教授夫人が呼び鈴の音で来訪者に向い、インターホンで応じた。
「ごめん下さい、私、今度隣に越して参りました、グラハムと申します。」女の声が響く。
夫人が遠隔で門扉を開けると、玄関口には、隣に引っ越しを済ませた夫人が手土産のアップルパイと共に立っていた。
彼女が言うには、この街も元老婆の家も気に入っている事、これから長く親しい付き合いをしたい事、男の子がいるので騒がしいかも知れないので、その時は気軽に声を掛けて欲しい事を
おっとりとにこやかな教授夫人とは違い、明るく朗らかに、時には身振り手振りで伝えると、自宅に帰って行った。
「挨拶には行ってきたわ。」まるで雌の肉食獣のような表情に一変させた、グラハム夫人は、夫と息子に伝えた。
「邸内には盗聴器が幾つか仕掛けられているが、こっちが気が付いたと思わせない方がいい。」グラハム夫人は、次いで報告してから2人の家族に
「引っ越しの片付は済んだの?」と聞いた。
「完了しました。電子トラップとECM、ドップラーです。後は侵入防止のLRが6挺です。」夫は答えた。
「あらいやだ、あなた。夫は妻にはもう少し砕けて答えるものよ。ハニー。」とグラハム夫人は言うと、にっこりと笑った。
 
 ライラナー工科大学の校門前の道の一つに「JJ」と書かれた赤い看板がある。ここはペットショップ兼トリマーをする店である。
ここの従業員でトリマーであるトリシアは、借金した上に苦労の末、安価で出回っていた1等チケットを手に入れて田舎から都会に出てきた。
その後も苦労してトリマーの専門学校を卒業して、今年から希望した仕事に就いたところであった。
彼女のアパートメントは教授の邸宅の後ろ2件に位置していた。今日の仕事も終わり、同僚と2人で店を閉めたらすっかり遅くなってしまった。
 「?」確かに自分の部屋の鍵は閉めた筈だが、なぜか開いている。不思議に思った彼女は玄関のドアを開けた。
そこには、なんと彼女自身が微笑を浮かべて立っていた。瞬間、感電した様な感覚を首筋に感じたトリシアは、崩れ落ちた。おぼろげな視界の隅に黒いコートの男が見えたのが最後の記憶である。
 その翌日。 
 「店長さん、変わったんですってね。」教授夫人は愛犬のポメラニアンを抱いて、トリシアに言った。
「ええ、何でも急に故郷に帰ったそうですよ。噂の彼と御結婚ですって。羨ましいです。」トリシアはいつもの様ににこやかに答えた。
「そうなんですか。じゃあ今日もお姉さんに綺麗にして貰ってね、ユリカちゃん。」と夫人は愛犬を撫でながら言うと、
愛犬の長くなった毛のカットが終わるまで、いつもの様に、ティールームに向った。
 すかさず新しい店長が近づいて来て、「それじゃあ、お願いね。」と言うと、隠すように首輪を渡した。トリシアは無言でにっこりと頷いた。
 この店「JJ」はチェーン店舗であり、ソードワールドのダミー会社によって、会社ごと突然経営陣が全て変わった。
そして、一切の募集がないのに、全ての従業員が変わり、教授宅の愛犬担当であった、トリシアだけは変わらなかった。
「それじゃあ、綺麗綺麗にしますよ。」ポメラニアンに向ってトリシアは言うと、首輪を外して、素早く先ほどの同じ形の首輪を取付け直した。
その首輪には針の様な穴が開いており、レンズが光るのは、よほど注意しないと判らないものであった。
 
 教授の一日は、早朝の軽いランニングで始まる。愛犬を連れての事もあるが、彼は澄んだ朝の空気を吸って、自分のペースで走るのを好んだ。
この時期の大学周辺は、早朝の冷えた空気が心地よい。周囲に誰も居ない事も気に入っていた。
 近所の公園にある池のほとりにあるベンチが教授の定番の休憩場所であった。
 今日はそこには先客がいた。同じランニングをしていたらしい女性である。
「あら、いつもすれ違いますよね?」と彼女から声を掛けて来た。少し座る位置を替えて、教授も座れる様にすると、
「ここ毎朝御見かけしていてはいたんですよ。リサ・ダルトンです。」と言うと、
トレーニングウエアからも判るグラマラスな感じの彼女はいかにも人懐こそうな顔立ちで、長い艶やかな黒髪を揺らしながら、眩しい位の笑顔で
「私、近所に引っ越ししてきたんです。田舎から奨学金制度で今週からライラナー工大への優先転入したんです。お近くにお住まいでしたら、この辺りの事、色々と教えて頂きたいですわ。」と言って、手を差し出して握手を求めた。
リサの腰に付いている万歩計の裏側のパイロットランプが青から赤に切り替わった。超小型録音機が録音モードに切り替わった事を示していた。
 
 ランニングから帰った教授は、自室で着替えると、出勤の準備をしていた。そこに珍しく、息子のデビットが書斎の入口に立って、話し掛けるのを迷っていた。
デビットは今年ライラナー工大の3年、21歳になる一人息子で、秀才肌ではあるが、人見知りなのは誰に
どうしたのか聞くと、意を決した様に、「実は、彼女が出来たんだ。今度あいさつに来たいって言うんだけど。」と言って口籠った。
教授は父親ながら少し驚いた。彼が女性を連れて来るのは、ジュニアハイスクール以来だろう。
微笑して、承諾すると、デビットは嬉しそうに礼を言った。
 
 研究室は、閑静なキャンパスの中でコンピュタ棟の隣にあるレンガを思わせる外観の建物の一角にある。
常に研究室生や院生が議論したり、談笑している風景が教授は好きであった。時にはその中でいきなり講義になってしまうが、学生達には、”特別講義”と呼ばれて、盛況であった。
 教授は、午前の講義の準備をして、今日の補助係の学生が資料を持っていくと、冷めた珈琲を飲み干してから、教室へと向った。
 講義は階段状の大講義室で行なわれるのが、通例で、後はゼミと特別な幾つかの講習講義等である。
大学の運営に関わる会議には、あまり出席したくはなかったので、色々と理由を付けては欠席を繰り返している。
数日前にも学長に強い調子で窘められたので、思わず、「学校運営は、研究者や教育者の本分ではないです。」と言い返してしまい、渋い顔をされたが、こういう事には教授は慣れていた。
 
 教授が大講義室の教壇に立って見渡すと、全ての席に学生が座っている。人気講義なのに先着順というのがいつも満員になる原因でもある。
後ろの席には、聴講生の社会人と見える十数人が背広姿で固まっているのを見た。
「それでは、皆、今日は、中間子スクリーンの基本動作と作動条件について始めよう。」と言ってから、
その聴講生の中に、今朝のリサが笑顔で遠慮がちに小さく手を振るのを見つけて、少し驚いた教授は、軽く頷いて挨拶をしてから、
「それでは、テキストファイル323を取り合えず開けて、ああ、参考だけでいいよ。前の3Dプロジェクタで説明するから。」と講義を始めた。
「皆も知っての通り、中間子砲は、クォークと反クオークの安定していない亜原子粒子を目標物に投射して、原子崩壊に近い現象で破壊するという物ですが、、、
 
 その頃、教授夫人は、自らが主宰する手芸教室でクッションにする生地に花柄の刺繍をしながら、5人の女性と談笑していた。
「それでね、奥様、息子が、今朝、女の子を家に連れて来たいなんて言い出したものだから、その日のお茶のケーキはどうしようか迷ってしまって。」夫人は小首をかしげると、
隣に座っていた、紫色のワンピースが良く似合う美しい若い婦人が、
「この間の奥様のシフォンケーキは大変美味しく頂戴しましてよ。」と微笑むと、廻りの女性もそれに賑やかに同意した。
「そうねえ、じゃあ、やっぱりシフォンにしようかしら。」夫人は安心した様子で、おっとりと紅茶を一口飲んだ。
 
 ライラナーの軌道港に程近い浮ドックには、インペリアル運輸の1万トン級貨物船が修理の為、係留されている。
これが、帝国海軍情報部のライラナーでの指揮所である。
「まあ、以上の報告から、ベータチームのディックはゾダーンのCなのは確実です。3度接触してますからね。」
オペレーターのエリクソン大尉は、CRTに向いながら、隣に立っている上官に言った。
Cとは、カウンタースパイ、つまり2重スパイのことである。
「よくもまあ、こんな古参の諜報員をCに仕立てたものだな。」マクギリス帝国海軍情報部少佐は、溜息を付いて、
「こういう作戦には、付き物のトラブルだが、どうも根が深いな。」
「これだけ諜報員が入り組んでいれば、複雑にもなります。」エリクソン大尉は笑って続けた。
カウンタースパイも逆情報を流すとか誘導情報を流す、相手の動向を探るなど正体さえ判明すれば、有意に運用できる。
「教授の周りには恐らく各国の諜報員は余裕で百を超えてると思われます。我々だけで現時点で46人ですからね。繋ぎを合わせたら600位でしょうかね。」
「こっちもベテランを揃えたつもりなんだがな。」
「偵察局の例のとこも動いてます。いつもの通り、こっちには挨拶なしですがね。」コンソルを叩きながらエリクソン大尉が面白そうに答えた。
「つまりは、帝国に対して紛争の火種になる、と考えたということか。」
「帝国だけじゃないですよ。ソードワールズもゾダーンもダリアンもかなり入り込んでますよ。今回のメインプレーヤーは、うちから我々と偵察局、ゾダーンから2つ、ソードワールズ、ダリアンですかね。
この間、ソードワールズのセーフハウスを1つ火事にしましたけど、あんなのじゃ全然足りませんね。」
「私の考えは、基本、泳がせるべきだと思うが。実力行使は。」
「エレガントさに欠ける。」2人は声を合わせると、一緒に小さく声を上げて笑った。
「ディックは泳がせますか?」エリクソン大尉は手を止めて尋ねた。
「わざと逆情報を流して動きをみるか。ゾダーンは誰かな?」マクギリス少佐は、頭の中の同業責任者名をアドレス帳でめくった。
「ヤコヴレフの下で長生きしてるのは限られてますよ。」とエリクソン大尉は言いながら表示を変えた。
「見て下さい。教授の講義で聴講生のほとんどは同業者です。凄腕の工作員が10人以上机を並べて勉強しているのは微笑ましい光景ですな。」
「ほお、見知った顔が随分いるな。こいつはアインキグァのライオネットじゃないか。切り裂き魔が良くも入り込んだものだ。」
「ここにいる連中だけで、正規軍の歩兵2個中隊は音を立てずに殲滅できますね。」エリクソン大尉は肩をすくめて、次の画面に切り替えた。
「次は教授夫人の手芸教室の集合写真です。」画面を大写しに切り替えた。
「こっちも凄いな。ソードワールズの女王蜂、ゾダーンのリトルガーディアン、こっちはメイクしているが、偵察局探査部即応調査課のジェシカか。偵察局の連中、プラインベイビーまで出したのか。」
即応調査課とは、帝国偵察局にある通称、火消しと呼ばれる、帝国内の紛争の火種を非合法に消していく部門である。公的には存在を認められていないが、諜報活動に従事する者には有名であった。
通称プラインベイビー、不細工な赤ん坊という通り名のジェシカはモデルの様な美しい容姿の暗殺専門家であった。
「有名人がお菓子を囲んで、談笑しているなんて恐ろしくって、とてもこの手芸教室には行きたくないですな。この内の1人がその気になったら、あっという間にあの世に直行です。」
「他には?」マクギリス少佐が尋ねた。
「坊ちゃんがこの間、コンパで仲良くなったブレンダって娘は。」コンソルを操作すると画面が変わって、望遠で写した20歳前に見えるブロンドのウエーブの長い髪が美しい女の数枚の写真に切り替わった。
「3世代前に遡らないと判りませんでしたが、ゾダーンのスリーパーエージェントです。」
「そんな奥の手まで使っているのか、ヤコヴレフはよほど出世したいんだな。」マクギリス少佐は、少し笑ってから真顔になった。
「しかし、その彼女は少し都合が良くないな。悪いが舞台から退場してもらおうか。」
「お互い繋ぎ同士ならかなりの消し合いをしてますけどね。教授近傍の接触者は難しいですよ。不自然になります。」
「今の繋ぎ指揮は、リックだな。やり過ぎじゃないのか。」マクギリス少佐は、顔を顰めた。
エリクソン大尉はライラナー星系全体の地図を展開して、判っているエージェントのマップとグラフを出して言った。
「現時点で、こっちの成果は52人消去ですね。こっちは12人損害です。まずまずじゃないですか。少し損害が多い気がしますが。」
「教授や家族に接触しているだけで、近所の者、大学関係者、諸々でかなりの人数になる。繋ぎはその3倍から4倍というのが常識の線だ。」
「たぶん教授が最近知り合ったほぼ全てがエージェントと考えて間違いないですよ。事務員、図書員から食堂のおばちゃん、飲料水メーカー社員、散歩中に挨拶する御近所さん、ありとあらゆる場所に配置されてますよ、きっと。
ゾダーンやソードワールズが教授の消去に走られたら守り切れるかどうか。こういう役回りは、地元の警察とか兵隊は当てになりませんし。」
「教授が全てを知ったら、人間不信間違いなしだな。」というと、マクギリスは少し考え込んでから言った。
「やはりそのスリーパーは退場だな。シナリオは、そうだな、大学で孤独なソードワールズの留学生が銃を乱射するとか。」
「エレガントさとはジャンプ10以上、程遠いですな。」エリクソン大尉が苦笑して言う。
「まあ、大尉とリックでエレガントについて統一見解を出してくれ。」マクギリス少佐はそういうと、軽く手を振って自室に戻って行った。
ライラナー工科大学の2年生、ブレンダ・ウォルシュは風邪の為、病院に行った先で偶然に悪性の腫瘍が発見され、緊急手術の甲斐もなく亡くなったのは、それから2週間後のことであった。
美しく優しい恋人候補を失った、デビット・ヤマナカは、親しい友人からその報を聞き、声を失ったのであった。
 
 イアンは、ライラナーに生まれた、一見ごく普通のアルバイターである。
ソードワールズ連合の繋ぎとして活動しているとは、全く見えないだろう。趣味のバンドのギターを手にセーフティーハウスとして使用されているライブハウスに出入りしていても、怪しむ者がいる筈もなかった。
今日は、フロントで活動している1人から映像マイクロフィルムを貸してもらった小さな記憶装置に納めて、近くの公園の公衆トイレがデータ受け渡し場所に指定されていた。
これをセーフティーハウスへ運べば、無事に任務完了である。
指定場所の隠し位置から記憶装置を入手したイアンは、ほっとして、便器の装置に手をかざして殺菌水を流した。その後、扉を開けようとしたが、開かない。
焦って力任せに扉を開けようとした時、外から男の小さく低い声がした。「確認した。」恐らく通信器に向って報告したのであろう。イアンは死神の声を聞いた気がした。
数秒後、イアンの入っていた公衆トイレは、大音響と共に爆発した。周りに公共警察のパトカーがサイレンを鳴らして急行して行く。
 公共警察の調べでは、イアン・ジーリング(21歳)のアパートメントから手製の銃や爆薬が発見され、彼のパーソナルコンピュタには一人の近所に住む女性への不満を書き綴った文章が見つかった。
マスコミは、青年が個人的かつ偏執的な恨みで犯行に及ぼうとした矢先の事故として書き立て、精神専門家は不安定な青年期の精神状態を尤もらしく解説するのであった。
 
 男はライラナー地上宙港街の低層ビルの換気用通風孔に2時間以上腹這いになっていた。
手には、望遠・精密光学・赤外線照準器付きで艶消し塗装の灰色でソードワールズ・オムニ社製、長距離狙撃用レーザーライフルが握られている。
上司には、もしもの時に所属が割れるからと言って、帝国製を勧められ続けているが、使い勝手が違うという理由で拒否し続けている。
 男の鋭い視線の先には、何の変哲もないオフィスビルの一室があった。
そこには中規模の貿易商社が入居しているが、ダリアンの情報拠点の1つである事は彼の所属する組織に突き止められている。
そのフロアとすぐ下のフロアは常時ブラインドが閉められており、常に照明が付いている。
灯りが付いているのは狙撃防止、下のフロアも確保してあるのは、爆発物防止である。
爆発物は概ね威力が上方に向くので、指向性爆薬でない限りは、
また、昇降機もこの階には停止しない様に細工が施されているのは判っていた。
ここの拠点の管理者は、極一般的な商社マンに見えるが、ダリアン軍諜報員として、長くライラナーで活動している人物である事が突き止められている。
問題は、このセーフティーハウスに立て篭もっている彼をどう処理するかであった。
爆発物の使用も検討されたが、躯体の形状から困難との判断もあり、今回の計画が立案されたのであった。
 辺りが暗くなり、冷えた中で、男はその時を待っていた。
不意に街の明かりに負けない位の強い白い光が目標のオフィスビルの向こう側で幾つも上がる。照明弾のマグネシウムの光である。
男は光を直視しない様にして、照準器の中で標的を探した。
 強い光に照らされて、2つの影が浮き出される。目標のオフィスビルが両側透過ガラスであることを利用するのが今回の作戦であった。
男は引き金を2回引き絞った。辺りをオゾンの微かな匂いがして、ライフルの励磁した微音がする。
同時に2つの人影が糸が切れた様に崩れ落ちた。
 ライノサラス商事(ライラナー地上宙港本社)社員2名が何者かに銃で撃たれて死亡した事件に関し、ライラナー治安警察は、同社が非合法組織と密接な関係にあった証拠を入手したと発表した。
同時に海賊的組織とも繋がりがあるとの情報もあり、治安警察当局では本社の捜索をすることに決定した。
 先日ライノサラス商事(ライラナー地上宙港本社)へのライラナー治安警察捜索をすることが発表された当日に、同社より不審火が発生し、近隣にも火災が延焼し、重軽傷者5名を出す事件があったことを受け、当局は・・・
 
 ライラナーに於けるゾダーンの集中指揮所は、アステロイドベルト内の1つの廃棄された坑道を利用して設置されていた。
「中継衛星の1つは、デブリの衝突で使い物になりません。」オペレーターの30代前半の女性がミルクティーブラウンのウエーブの掛かった髪をかき上げて忌々しそうに言った。
「これで3つ目か。偶然だな、バレリー。」と別のコンソルに向っている長身の男が答えた。少し面長な彫りの深い顔と合わせて、生粋のゾダーン人であることが判る。
「しかし、非合法の無登録ですからね。帝国の航路局に苦情も言えません。」嫌味を言われたバレリーは白のスラックスの美しく長い脚を組んで、向き直った。
「スペランスキー同志政治中佐、とにかく対策しないといけません。」バレリーは管理官である長身のスペランスキーに答えた。
「観測データでは、幾つかの自由貿易船もどきが我々の中継監視衛星にデブリを投げているのは判っているな?」スペランスキーは黒い太い眉を上げて、尋ねた。
「はい、同志政治中佐、別の中継衛星替わりのA型自由貿易船は無事ですので、観測させました。」バレリーは準備していた様に答えた。
交易通信に偽装した個人所有のその船は、センシングピケット艦並の重電子装備である。連邦情報局はこの種の船をこの星だけに3隻投入していた。
「特務と13課は目標に接近を完了しているのか?」
特務とは、本国で超能力訓練を受けている者である。勿論、帝国人種ではあるが、ゾダーン領内で生まれ育って、連邦に忠実な者ばかりである。こういう諜報活動には非常に重宝するが、絶対数が少ないのが難点である。
13課とは、ゾダーン連邦情報局内の暗殺専門部隊である。もちろん全員帝国人種である。
「13課は帝国の各部と接触完了です。活動していますが、反撃もされています。特務にも対象と接触前に幾つか損害がありました。」バレリーは、前置きをしてから、具体的な侵入と損害の数量を報告した。
「とにかく、損害は無視できないと思います。こういう作戦で特務を磨り潰すのはどうかと。」バレリーが個人的な意見を付与した。
スペランスキーは、そこまで聞くと、「バレリー・ローマン、いや、ライサ・ラドムスカヤ同志中尉は、連邦中央政府への意見具申の権利を行使するつもりかね?」と尋ねた。
バレリーは慌てて、「いいえ、少し疲れておりまして、寝ぼけた様です。自分が何を言ったか覚えていません。」と答えた。
 
 ライラナー公爵の館は幾つもあるが、高地にある別荘が初老の域に入ったライラナー公ウルリッヒはお気に入りだった。
その最上階には、広い客間があり、公爵は、1人の客人を迎えていた。
「とにかく、リジャイナ公の御見識には同意しかねるな、少佐。それについては、貴官も私への説得が無駄だと理解してると思うがね。」公爵はソーサーを持ってカップから紅茶を飲んだ。
室内には気品のある紅茶の香りが漂う。
「ですが、公爵閣下。恐らくゾダーンはいつもの手です。蹂躙されるのは、公爵閣下御領にも及ぶ恐れがあります。少なくとも破壊工作は確実にあると考えます。」
マクギリス帝国海軍情報部少佐は公爵を説得するには弱いなと思いながら口を開いた。
「いつもの手か。カテゴリーAの最精鋭が先鋒で艦隊決戦をして戦力を削り、その後から即座にカテゴリーBの2級艦隊で揉み潰す、物量作戦かね。」
「最後にカテゴリーCで占領すべき星系のSDB部隊を殲滅し降下、着上陸するというものです。」マクギリス少佐は付け加えた。
「たしかライラナー工大のなんといったかな、教授の意見論文では、ゾダーンは帝国の2倍から3倍の戦力を必要とするとあったが?」
「ここ10数年で準備された帝国の空間戦力は確かに評価としてはゾダーンより上廻ります。しかしヴァルグルやソードワールズ、領内の不穏分子に対抗する充分な戦力を割く必要があります。
そうすると、攻勢正面での戦力の層が補給や人員の関係でどうしても薄くなってしまうのは否めません。ですからリジャイナ公はこれら兵站も含めて戦力の拡充が必要であると是非、公爵閣下に
御理解と御助力を頂く様にとの仰せでした。」一息ついて、マクギリス少佐は公爵の様子を伺った。先を促す様に公爵と目線が合うと、続けて、
「更に言えば、ゾダーンは地政学的に1箇所に整備した戦力を集中する事が容易です。また、歴史的かつ外交的に言えば、彼らが軍事的に先制する事を許してきました。
これは、帝国にとっては大きな不利になります。戦力の単体評価では計り得ません。」と言った。
「では尋ねるが、貴官の言う戦争はいつの事だ?1年後か?10年後か?50年後か?」カップを静かに置いて公爵は尋ねた。
「仰るとおりです。ですが、明日かも知れません。今こうして閣下に御目に掛かっている時に、ゾダーン連邦で侵攻計画が決定しているやも知れません。」
「ほう。」剣呑に目を細めてライラナー公はマクギリス少佐を見た。
「それは、貴官個人の考えかね。ノリス殿の御意見かね。」
マクギリス少佐は今の自分の発言を危機を示唆するのではなく、一種の脅しと取った事を理解した。猛獣の尾を踏んだかも知れないと思った。
「小官個人の危機的状況の表現ととって頂いて結構です。情報部でもゾダーンの動きは完全には掴めておりません。」
「それだけ大規模な動きならば物資や人員の動向で掴めるだろうに。」
「ですから、そうなっては遅すぎると申しております。」
「ともかく、私とルーニオン公、モーラ公、トリン公はほぼ同じ意見だ。戦力の拡充に限られた資金と人材を使うよりも他に産業や領民の生活に廻すべきだろう。
先の教授の論文を読めば、帝国の軍事力は敵に対抗するのに充分ある。後は運用の問題だて。」
マクギリス少佐は公爵が既に他の星域公爵に対して根回し済みなのを知らされた。これでは、他の星系侯爵以下も同様であろう。
懐柔か圧力かは判らないが、少なくとも宙域の有力貴族の多くを目の前の温和に見える男は抱き込みつつあると言うことだ。
「では閣下。いざ戦争を仕掛けられた時に初期に蹂躙される領地領民については、御見捨てになると仰いますか?」
「それを防ぐのに貴官等帝国軍人は俸給を得ているのではないのかね?同様に我々貴族は政治を皇帝陛下になり代って行なう事で奉職しているのだ。互いの職務を全うするのが、本義ではないのかね?」
そういうと、公爵は立ち上がって、テーブルの上のハンドベルを振って涼やかな音を響かせると、音もなく黒の礼服姿の執事が現れた。
「パーカー、お客様の御帰りだ。送って差し上げてくれ。」公爵は会見の終了を告げた。
 
 こうして、ライラナーの地表と軌道上、あるいは星域の各地で各勢力諜報員達、為政者同士の音無き争いが続いて行くのであった。
それを知る者は決して多くはなかったが、これは紛れもない「実戦」なのであった。