宙域連合艦隊結成

銀河帝国海軍アラミス鎮守府長官ヘンリー・アンブローズ大将は、自室で一人 、若き日の思い出に浸っていた。  
32年前、彼は海軍大学校を卒業したばかりの27歳の若者だった。  
その若きヘンリー・アンブローズ大尉は、ゾダーンとの平和条約を結ぶため、 交渉団の一員としてクロナーに派遣されていた。  とは言っても、一大尉に与えられたのは、単なる記録係としての職務でしかな かった。  

これが戦争の間のつかの間の休息にすぎないことを知っている両国にとって、 軍備削減に関する意見は死活問題であり、3ヶ月にわたる交渉でも合意を見ずに いた。  
宙域内に10星域もの勢力圏を有する帝国は、これを防衛するために必要な戦力として、宙域における軍事比をゾダーンの5倍許可するように求め、一方のゾ ダーンは宙域の安定のためには双方の軍事力に差が出来ることは好ましくなく、 帝国はゾダーンが宙域に保有する戦力の2倍を上限として軍縮を行うべきだと詰め寄った。  

第3次折衝会議も平行線のまま5日間が過ぎ、明日をもって閉会という晩に、 全権委任大使クルップ公爵は全スタッフに意見提出を求めた。
「一切の妥協は必要ありません。ゾダーン1に対して我が帝国は3。これは海軍 が譲歩できる最大限の線です」
海軍代表のマスリバダム大将がきっぱりと言いきった。
「陸軍としても同じ考え方です。我が陸軍は先日…ゾダーン1に対して10で合 意に達しましたが…えー、防衛すべき星系の数から言えば1対12…というのが 正直な希望でした。ですから…この上、えー…海軍力まで手薄になっては、いざ という時の…その、任務遂行に支障をきたします」  
ボソボソと小声で、陸軍代表のシュパイアー大将が同意する。他の上級将校た ちの意見はほぼ二人と同じであった。
クルップ公爵はその後、下級将校達にも意見を求めた。
「小官も大将閣下のおっしゃる通りであると推考いたします」  
ほとんどの者がそう答え、するすると順番は流れていった。  
そしてアンブローズ大尉の番となった。
「小官も…」  他の者と同じように、波風を立てないようにやり過ごそうとした時、アンブロ ーズ大尉は地球史の本で読んだことを、突然思い出した。
「小官に提案があります」  
周囲がざわめいた。
直属の上官が余計なことをするなと目で合図を送ってきたが、アンブローズ大尉は平然と無視した。
「面白い。話してみたまえ」  
クルップ公爵は興味をそそられたのか、身を乗り出してきた。  

アンブローズの提案とは、以下のようなものだった。  
中間子砲搭載の大型艦の排水素量に関して、ゾダーン側の主張を受け入れて、 ゾダーン1対帝国2とする。  
交換条件として、中間子砲非搭載の小型艦の排水素量ではゾダーン1対帝国3を承諾させる。  
また、ヴァルグル海賊対策として、年間に30万トン程度の中間子砲非搭載艦 の建造を、別途に帝国側のみの特権として認めさせる。  
帝国の宙域における領域の広さを根拠として、非武装の輸送艦に関しては領域 対比をそのまま適用し、1対10とする。  
排水素量500トン未満の非恒星間航行艦艇の保有には一切の制限を設けない 。

「完全な譲歩ではないかね」  
マスリバダム大将の怒気を含んだ声を、若き大尉は受け流した。
「一見そう見えるからこそ、ゾダーン側もこの罠にはまるのです」
「どういうことかね?」 クルップ公爵が訊ねた。
「はい、確かに戦力の密度でゾダーンに大きな有利を与えることにはなります。 しかし、第四の条件にあるように、ゾダーンには輸送艦をこちらの十分の一しか 建造させないのですから、彼らが長期間戦闘を継続することは不可能となります 。 我が軍は、最初の一撃に耐えることができれば、あとは自動的に勝利がもたら されるのです」  
周囲に感嘆の声が広がった。
「ふむ…しかしだ、その最初の一撃に…我々が敗れたらどうするのだね?」 シュパイアー大将がかすれ声で言った。
凡庸とした印象しか与えないものの、 現在の帝国陸軍で参謀総長も務まる器だと称されるだけあって、一瞬チラリと見 せた目の奥の鋭い光に、アンブローズ大尉は背筋が寒くなった。
「は、その時こそ、対ヴァルグル用と称して認めさせた艦隊を、ゾダーンにぶつ けてやるのです」
「バカな! たかだか30万トンの艦隊に何ができる!」  
マスリバダム大将が机を叩いた。室内の空気が一瞬にして張り詰める。  
アンブローズ大尉は、深呼吸を一つすると、用意してあった台詞を披露した。
「出来ます。閣下は、パールハーバーをご存知でしょうか?」
「空母かね?」  
即座に反応したのは、やはりシュパイアー大将であった。
「はい、具体的にはこうです…」  

開戦となった場合、ゾダーンの侵攻兵力1に対して、帝国は1の戦力で戦わな ければならない。
なぜなら、ゾダーンと同歩調を取ると思われるソードワールド 連合にも、ゾダーン侵攻兵力に対峙するのと同等の戦力を割く必要があるからである。  
これは、当初分散して配置されている帝国軍にとって圧倒的に不利であり、各個撃破される危険性がある。  
また、国境地帯で戦闘が起きても、ゾダーンは条約適用範囲外の後方宙域から 容易に増援を派遣できるのに対し、帝国側のコリドー宙域からの増援は、距離的 な問題から、開戦後しばらく経たなければ到着しない。  
しかし、当初から宙域に展開する防衛兵力の全てを、これらのゾダーン、ソー ド・ワールド軍との戦闘で消耗し尽くす覚悟で当たれば、国境地帯で増援が到着 するまで持ちこたえることは可能であり、そうなれば後は徹底的な物量作戦に持 ち込むことにより、帝国の勝利は徹底的なものとなる。

これを確実にするための隠れた戦力として、この30万トンの艦隊が活用され る。
30万トンとは言え、条約の有効期限は30年間であり、この期間に建造さ れる艦隊の総排水素量は900万トンとなる。
これらの艦隊用には、AとBの2種の艦艇の建造をする。  

Aは空母や戦闘艇輸送艦とする。実際の海賊討伐に威力を発揮し、また大規模 な艦隊戦において中間子砲搭載艦の不足を補うには、大量の戦車、戦闘艇部隊が 最適であるからだ。
この空母群に搭載する戦車や戦闘艇を確保するためにも、最後の条件である500トン未満艦艇への非制限は、必ず承諾させなければならな い。  

Bは重巡洋艦として建造し、艦内に大規模な追加兵装用のスペースを空けておくものとする。
これは、条約失効後に中間子砲を搭載するためである。   
また、ゾダーンに対して10倍量の保有を許させる輸送艦の枠内でも、大型で 重装甲のものを建造し、条約失効後には戦艦や空母へと改装する。
これは、コン テナ室を、当初から武器設置点へと改装する前提で設計することにより、実際の 改装にかかる時間は大幅に短縮できるもの考えられる。  

この隠れた戦力を用いて、前述のように徹底的な遅滞作戦を行い、コリドー宙域からの来援を待つことにより、戦力の逆転を待つ。  

アンブローズ大尉の発表が終わった時、室内は完全な静寂に包まれた。  
今ここに集まっているのは、帝国陸海軍でも最高の頭脳たちである。全員が即座にこの計画が実現に移されたとしての効果を推測しているのだ。
「…ふむ、私は…理にかなった提案だと考えます」 シュパイアー大将が口を開いた。  
他の将軍たちからも同様の意見が出された。
「海軍も、アンブローズ大尉の提案を正式に推薦します」  
マスリバダム大将が最後に付け加えた。  
クルップ公爵はそれに満足げにうなづき、若き大尉の方を向いて立ち上がった 。
「諸君、未来の連合艦隊司令長官閣下に、敬礼しようではないか」

 

「連合艦隊司令長官か…」  
32年の歳月が、宙域司令部艦政課第3係長ヘンリー・アンブローズ大尉を、 アラミス鎮守府長官ヘンリー・アンブローズ大将へと成長させた。  
そして今、あの時のクルップ公爵の冗談が、真実のものとなった。  
アンブローズ大将は任命書を再び読み返した。

「忠実なる帝国の臣ヘンリー・アンブローズを、銀河帝国海軍上級大将に任じる 。  
また、その権限においてスピンワード・マーチ宙域における全海軍艦艇を統括 することにより、もって宙域連合艦隊を結成、これを指揮することを命じる。            

銀河帝国軍最高司令長官ディニス・ディラン元帥    」  

銀河帝国において、元帥号を冠することが許されるのは、時のディラン大公家の当主のみである。
「私はついに、軍人として最高の地位にまで上り詰めたわけですな」   
ゾダーンは罠にかかった。  
32年前、アンブローズ自身が仕掛けた罠に…。
「さぁ、獲物を仕留めに出かけるとしましょう。公爵閣下」  
アンブローズ大将はゆっくりと、壁にかけてある今はもう故人となったクルッ プ公爵の肖像画へと敬礼した。

By 龍太郎氏

龍太郎氏による、辺境戦争史第6回。

銀河英雄伝説もかくや、という感じの重厚でかっこいい展開にもうメロメロです。

化夢宇留仁

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