Cthulhu リレー小説

資産家の人類学者であり、考古学者でもあるロナルド・ヴィンセントの冒険(汗?)を描く。
インディー・ジョーンズになったらかっこいい。
ランドルフ・カーターになったら最高。
ほらふき男爵になってもそれはそれでよし(笑)

書き出しコメント・化夢宇留仁


々資産家である考古学者のロナルド・ヴィンセントは、金がもたらす心の余裕からか、ただでさえ実用価値の乏しい人類&考古学界の中でも最も役に立たなさそうな、普通 の人が聞いたら子供のうわごとかと思われるような研究に情熱をそそいでした。

1925年3月25日、なんだか最近毎晩いい感じの夢を見て機嫌のいいヴィンセントは、愛用のスポーツカーに乗って、久しぶりの遠出をしていた。 目的地はニューヨーク。

先月頭くらいから、下水道に不振な人物がうろついているというニュースが流れていた。
その不振というのが普通と異なり、どうも退化した人間か、または人間に似た化け物であるという内容だったのだ。
もちろんほとんどの人は汚い浮浪者でも紛れ込んだんだろうで片づけるところだが、ヴィンセントは俄然興味をもち、手が空いたら現地に行ってみようと思っていたのだ。

そんなおり、友人の大学教授から新しいニュースが流れてきた。 何度目かの目撃談であったが、それは今までと違う点があった。けが人が出たのだ。
しかもその怪物らしきモノに噛みつかれたのだという。 情報は教授が知人から電話で聞いたもので、まだ新聞ネタにはなっていないらしい。
今なら騒ぎになる前に好奇心を満たせるかもしれない・・・。

執筆・化夢宇留仁


ューヨークへ着くと、友人から受け取った電信に記されていた被害者の住所へと真っ直ぐに向かった。
被害者の名前はドミニク・モーガン。
教授の古くからの知人の娘だという。
ヴィンセントはニューヨークでも指折りの高級住宅街の一角に愛車のデューセンバーグを乗り入れ、ここぞと睨んだ屋敷の前で急停車させた。 住所を確認する。間違いなさそうだった。
ニューヨークでも高台に位置するこの界隈からは市を一望することが出来る。沈み行く夕日がまるで切り絵のようにマンハッタンのシルエットを浮き上がらせていた。
一瞬景色に魅入ってしまう。アフリカのサファリに参加した時も夕日は美しかった。しかしこの街、世界最大の都市の夕日もなかなか捨てた物ではないではないか。ある意味ではこの街もあのアフリカの草原とかわりはない。勝者と敗者が常に存在するという意味では。
ここに住居を構えているということは言わずもがな、前者に相当する。 ヴィンセントは凝った装飾のある年代物のケースから葉巻を取り出すと慣れた手つきでその一端をペンナイフで切り取った。
一服しながら都市が夕闇に包まれていくのに彼はしばらく見惚れていた。高層ビルの影が敗者達を押し包んでゆく…

その時、彼の視界の隅に何やら黒っぽいものが一瞬ちらりと動いたのが認められた。モーガン家の庭内。
火をつけたばかりの葉巻を地面に落とし、踏み消す。貧困にあえぐプロレタリアートの誰かが眼にしたなら、決していい顔はしなかったろう。その葉巻一本は波止場人足の数日分の賃金に相当した。ヴィンセントはそのことを知らなかったが、知っていたとしてもさして気にはとめなかったかもしれない。蛇口をひねれば水が出てくるのと同様、それは彼にとって既得の権利だった。
動きがあったと思える方に眼を凝らしてみるが、今はただ海からの風でかすかに立木の枝がざわめいているだけだった。
気のせいだろうか?
ヴィンセントは突然胸騒ぎを覚えた。
急いで門扉まで進みチャイムを鳴らしてみる。一分ばかりが過ぎるが屋敷からの何の反応も得ることは出来なかった。これだけの屋敷に誰も人がいないとは考えられない。家人が外出中だとしても使用人が留守を守っているものだ。
もう一度チャイムを鳴らす代わりに彼は鉄柵の門を乗り越え、小走りに玄関へと向かった。玄関のドアが3センチばかり開いている。
ヴィンセントは懐から愛用のエンフィールドを取り出すと弾丸が装填されていることを確認し、用心深くドアの取っ手に手を伸ばした。
夕日の差し込む玄関ホール。エプロンドレスの若いメイドが仰向けに倒れていた。白いキャップがその正しい位 置から2センチばかりずれている。ヴィンセントは舌打ちするとまず帽子の位 置をそっと戻してやった。めくれ上がったスカートの裾もあるべき位置に戻してやる。満足げなうなりをあげてから、やっと彼はメイドの首筋に手を当ててみた。…脈はあるようだ。 リビング、食堂、書斎…一階のいくつかのドアを慎重に開いてみるが他に人影は見えない。荒らされている様子もなかった。壁に掛かっているレンブラントが一瞬彼の注意をひく。この屋敷の主はいい趣味をしているようだ。 その時、何かが床に落ちたような音が屋敷の静寂を破った。 階上からだ。
ヴィンセントは銃を手にしたまま、足音を忍ばせて階段を上がっていった。何故か彼の脳裏にはアフリカの草原が思い出されていた…

執筆・マッドハッター氏


色だ。この赤…

夕焼けの赤、という表現を軽々しく使う者にヴィンセントは軽蔑の情を 禁じえなかった。
見渡すかぎりのステップを深紅ともいうべきあの「色」が塗りつぶしていく 瞬間の想像を絶する体験と言ったら…! 卑小なる我々人類の脳髄には到底 達せ得ぬ「無限」そのものがそこに在るのだ。

一瞬の見当識の喪失を得たのも無理はなかった。ヴィンスの見上げた階段の 踊り場から、異常な「もの」が静かにただよい降りてきたのである。
もやのような、寒天のような、オーロラのような…まったく形容の出来ぬそれは、しかしまちがいなく真紅に彩 られていた…

執筆・@2c氏


に落としたインクのそれのように漂い拡散する赤い色が、少しずつヴィンスに近づいてきていた。
それが階段の1段目を降りたときにヴィンスは我に返った。
何事かは分からないが、とにかくこの家の異常の原因があれにあるのは間違いない。
しかも銃で死ぬようなものとも思えない。
どうすればいい? 戦うか?しかしどうやって?
正体も分からない、そもそも生物かどうかも分からないものと戦って勝算はあるのか?
逃げるか?だがここで逃げ出してしまってはなにも分からない。
それにいったん逃げて戻って来るにしても、今階上の部屋でモーガン家の誰かが重傷を負って助けを待っているかもしれない。
どうする?
・・・その時階上の得体の知れない化け物から、なんとも言いようのない異臭がヴィンスに襲いかかってきた。
恐ろしいまでの悪臭だったが、それはどこかで、どこかしら覚えのある臭気だった。
確かに異なった臭気なのだが、どこかに共通する要素をもつ匂いをどこで感じたのだろう?

 とてつもない深さの海の底・・・そこにある想像を絶する巨大な石造りの都市。集い泳ぐ異形の者ども。そして都市の中心部で間近に迫った目覚めの秘を待つ、触手と翼を持った強大な悪夢の凝縮とでも言うべき存在。
そして繰り返される意味不明の不吉な詠唱・・・

 彼は思いだした。
覚えがあるのはここ数日の夢の中で感じた生臭さだったのだ。
まったく異なる臭気でありながら、そこには何らかの共通性があったのだ。
いつも目が覚めるとほとんど忘れ去っていた夢の内容が、この匂いに喚起されてはっきりと思い出された。
彼は意識していたのかそうでないのか自分でも分からないまま、夢の中の詠唱をつぶやいていた。
フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ・ナグル・フタグン・・・・・・

 目の前まで迫り、かぎ爪か触手のようなものをヴィンスにのばそうとしていたそれは、彼のつぶやきを聞いたせいなのか、ピタリと動きを止めた。
ヴィンスは半分眠ったような状態で、詠唱を繰り返しつつ、エンフィールドを目の前のそれに向けた。
赤い色のみが煙のような動きを見せているそれに銃口がピタリと向けられ、ゆっくりと引き金が引かれた。
銃声は全ての沈黙を破り、ヴィンスも正気に返った。
怪物は血のような液体をまき散らし、悲鳴じみた高い音を出しながら階上へ逃走した。
後を追うと、それは階上の通路を直進し、突き当たりの窓を破ってそのまま飛び出したのが見えた。
破壊された窓から外を見上げると、それが空中に駆け上り、もがきながら次第に色を失い、透明になってゆくのを目撃することになった。
悲鳴じみた音もそれにつれて小さくなってゆき、やがて聞こえなくなった。 ヴィンスはため息をつき、通路を振り返った。
いくつかある通路に面したドアは、1つだけが開け放されていた。

執筆・化夢宇留仁


屋の見事な調度類に囲まれて、この屋敷で二人目の女性が倒れていた。
ベッドの傍らで倒れているその女性はセミロングの金髪に顔が半分隠れている。仕立てのいいシルクの白いブラウスと乗馬用のズボンにブーツ。
ヴィンセントは昨今の女性のこういったファッションにはいささか否定的な考え方を持っていたが、この状況ではむしろそれを喜びたい気分だった。
スカートの裾を直してやらなくても済む。
銃をサイドテーブルに置くと、女性を抱き起こしてベッドに横たえてやる。外傷はないようだった。いや、左腕に最近巻かれたらしい包帯。20代中盤の白人女性。ドミニク・モーガンに間違いないだろう。
その時、ヴィンセントは彼女の手に握り込まれた一枚の紙切れに気が付いた。そっと指を開いてくしゃくしゃになったそれを広げてみる。ヴィンセントの考古学者としての眼はそれが古い羊皮紙だということを既に見抜いていた。古い、しかしそれにしても古い…
黒いインクで書かれているのは彼には理解できない文字らしい列。アラビア語に似ているようだが…さらにいくつもの複雑な幾何学的な模様。いや、待てよ。この図形は何処かで…
「それを返して」
突然、背後から声がかかる。 振り返ると彼のエンフィールドの銃口がヴィンセント自身に向けられていた。ベッドに半身を起こした金髪女性が断固とした表情で銃把を握っている。
ヴィンセントはゆっくりとした動作で羊皮紙を彼女に差し出す。彼女は負傷している左手でそれを受け取った「貴方は誰?『連中』の仲間じゃ無さそうね」
「教授の紹介で来ました、ロナルド・ヴィンセント。お聞きでしょう?ミス・モーガン」
彼女は少し表情を緩める。が再び銃を握り直すと不安げに周囲を見回した
「『あいつ』は?『あいつ』はどうしたの?」
『あいつ』が何物かはわからなかったが彼女が何を言いたいのかはヴィンセントにも理解できた。
「ああっ、銃を…撃ったんだ。奴は逃げていったよ」嘘ではなかった。しかしその言葉を口にした時、ヴィンセントは何某かの違和感を覚えた。それだけだったろうか?何かもっと他に…しかしヴィンセントにはっきりと思い出せるのはそれだけだ。
ドミニクも明らかにそれでは納得がいかないようだった。眉を顰める。しかしヴィンセントの注意は既に別 の事に向けられていた。なかなか魅力的な女性だ。自分の好みからすれば少し鋭すぎる顔立ちだが、美人と言っていい。
「…いいわ。そういうことにしておきましょう。とにかく貴方には感謝します。ヴィンセントさん。でも急がなきゃ」
ドミニクの右手がくるりと翻り、銃のグリップを向けてヴィンセントに差し出す。ヴィンセントはそれを受け取りながら「ヴィンスでいい。友人は皆そう呼ぶんでね」と、とっておきの笑顔をしてみせた。
せっかくの笑顔も彼女に感銘を与えることは無かったようだ。ドミニクはベッドの下から無骨なトランクをひっぱり出すと先程の羊皮紙を放り込み、厳重に鍵をかける。年頃の女性の所持品としては不似合いこの上ないそのトランクの中に、染料で染められたいくつかの極彩 色の石ころと香炉、その他用途不明な数々の品が納められているのをヴィンセントは見逃さなかった。 トランクを持ち上げようとして、彼女は一瞬表情を歪めた。
「手伝おう」ヴィンセントはそれ以上何も言わずにトランクを持ち上げる。 ドミニクは「御願いするわ」と一言発するとそのまま足早に階下へと降りていく。重いトランクを引きずりながら、慌ててヴィンセントも後を追う。
階下のリビングで壁に掛かった何挺かのショットガンを品定めしている彼女をすぐに見つけることが出来た「これがいいわ」彼女はその内のひとつを取り上げると引き出しからショットシェルを掴み取り、慣れた手つきで装填する。
「準備は出来た。行きましょう」
「何処へでもお伴しましょう、レディ」ヴィンセントはきびきびと活動的に動く彼女に別 の魅力を感じ始めていた。
「しかし何をするのかぐらいは教えて貰えませんでしょうか?」
玄関先のメイドをまたぎ越えてドミニクはすたすたと屋敷から出ていく。ヴィンセントもトランクを持ったまま後に続く。屋外はすっかり夜の闇に包まれていた。
「それと下水道の怪物のこともお聞きしたいですな。私がここに来たのはそもそもその為でしてね。気絶した女性の介抱をするためじゃないんですよ。勿論お役に立てたなら光栄ですが」
ドミニクは一瞬ガレージに向かおうとするが、ヴィンセントのデューセンバーグが眼に入ると迷うことなくそちらに向かった「貴方の車の方が良さそうだわ」
車に乗り込むとヴィンセントはとりあえずエンジンをかけ発進させる。
「サウスエンドへやって」
それきりしばらく黙り込んでいたが、やがてドミニクは口を開いた「『彼ら』とは取引をしたの」
「どんな?」ヴィンセントがハンドルを握ったまま問い返す。
「どうしても『門』を閉じなきゃならないから。私には知識が必要だった。でもちょっとトラブルがあってね。私が『彼ら』の望む物を与えなかったから…」
「『彼ら』と言うのは?」
「地下の住人よ。でも今私達が本当に恐れなきゃならない『連中』は別にいるわ」
ヴィンセントは先程から後にぴったりとくっついてくる黒いフォードに気が付いていた。どうも気に入らない。
「『連中』が開いた『門』をなんとしても閉じなきゃ」
ドミニクはショットガン銃身下のグリップをスライドさせると弾丸を薬室に送り込み、クルリと振り返った。
「来たわ!『蛇』よ!!」
言い終わる前に彼女は発砲していた。
ニューヨークでサファリとは…しかも狩り出すのは『蛇』ときた。ヴィンセントは皮肉っぽい笑みを浮かべながらも奇妙な高揚感を感じていた。

執筆・マッドハッター氏


ォードのフロントガラスに大穴が開き、車はコントロールを失って路肩に乗り上げ、そのまま少し走って給水塔に激突して止まった。
ヴィンセントがルームミラーを見ていると、壊れた給水塔の噴水が降り注ぐ中、フォードの運転席のドアが開いてドライバーがヨロヨロと出てくるのが見えた。
しかしなにか妙だった。振動と離れていく距離ではっきりとは見えなかったが、ドライバーの首が異様に長く見えたのだ。
「荒っぽいことをするな。『蛇』とは彼のことかね。」
「そうよ。でもあれはすっかり退化した下っ端だけど。」
「退化とは・・・首が長くなることかな。」
ドミニクは少し笑ったようだった。
「あんなことで首が長いのがバレちゃう程度だからよ。『門』を開いたやつはこう簡単にはいかないわ。」
「『門』とは?どこに繋がってるんだい?」
「過去のある時代に通じているらしいわ。でもはっきりとは分からないの。」
「私にははっきりもなにも、サッパリ分かりませんな。そろそろ説明してもよいのでは?」
「・・・・」
彼女はしばらく黙っていたが、淡々とした調子で話し出した。
その内容はあまりにも荒唐無稽で、信じようと努力してもとうてい無理なものだったが、だからと言って笑い飛ばせない生々しさも備えていた。

 彼女は大学時代から各地の土俗宗教や民間伝承を調べていた。
元々ある家庭的事情からそういう方面に詳しかったこともあり、ある恐るべき存在を発見することになった。
同じ人間の姿に見えるが実はまったく異なる生き物が、人間に混じって生活していたのだ。
彼らは太古の時代には巨大な都市を建設していたほどの叡智を誇っていたのだが、現在は退化が進み、絶滅寸前の状態だった。
なんとか過去の栄光を取り戻そうと研究を進めていたが、偶然彼女がその研究を劇的に推進するきっかけを握っていたのだ。
向上心を持って研究にいそしむ純粋な彼らに同調した彼女は、彼らに協力することにした。
それにより『連中』は一瞬だが門を開くのに成功し、先祖帰りを果たした。 だが先祖帰りの結果、過去の叡智だけではなく、その冷酷な研究心と誇りも戻ってきたのだった。
先祖がえりした『連中』にとって、人間は実験材料にしかすぎず、勿論地上を支配するには役不足な種族だった。
危険を感じたドミニクは、隙を見て門を開くのに必要な物を取り返したのだった・・・。

「それがさっきの羊皮紙というわけですな。」
「あれはその物の説明書みたいなものよ。実際に門を開く物は今から行く場所に預けてあるわ。」
「しかし・・・あなたは門を閉じなければならないと言いましたが、その物を盗み出したのならもう大丈夫なのでは?」
「先祖がえりした『連中』の力は想像を絶するものよ。時間がたてばたつほど力をつけていって、すぐに預けてある場所も安全では無くなるわ。例えばさっきあなたが追い払ったもやもやした化け物は、彼らの呼び出せる怪物の中でも最も貧弱な部類よ。だから門を閉じると言うより、門を開いてしまった者を滅ぼすというのが正確なところね。あ、この辺に止めてちょうだい。」
 いつの間にかデューセンバーグはサウスエンドに着いていた。しかし目的地らしい目印になるようなものは特に見あたらず、普通 の町並が続いているだけだった。
車を降りると、ドミニクはしっかりした足取りで路地の方に入ってゆき、ヴィンセントもわけの分からないまま後に続いた。
「目的地は近いんですか?」
「ここよ。」
見れば彼女が立ち止まり、足下のマンホールの蓋を指さしていた。

 大都会ニューヨークのビル街を広大なサバンナに例えるなら、その地下に広がる暗くじめじめとした下水道は、日中も陽の届かないうっそうとしたジャングルである。
 異臭が充満し、動くものといえばわずかな水面の揺らぎと、視界の隅を走り去る鼠らしき影だけの地下水道を、車から持ってきた懐中電灯のか細い光を頼りに、重いトランクを持って進むのは気分のいいものではない。
水道の脇に設置された整備用歩道を歩く二人は、しばらく匂いに耐えかねて言葉を発することも出来なかったが、やがてヴィンセントが口火を切った。
「あなたはこの下水道で『彼ら』に襲われて左手に負傷したんでしょう。こんなところに来ては危険なのでは?」
「大丈夫。もう『彼ら』の気も収まってるわ。カッとしやすいのよ。」
「短気な方なんですな。」
その時いきなり目の前の角から人影が現れた。
ヴィンセントはとっさにトランクを落として人影にショットガンを向けたが、ドミニクが静止した。
「撃たないで。『彼ら』の一人よ。」
彼女はそう言うが、手に持った懐中電灯を相手に向けようとせず、自分の足下を照らしていた。
人影の方はゆらゆらと猫背の上体を揺らしつつ、ただぜいぜいと枯れた喉を鳴らすような呼吸音と、下水道の匂いにも負けない古い墓場を連想させる腐臭をただよわせ、黙ってこちらの様子をうかがっているらしかった。
ヴィンセントはネクタイを整えつつ、一歩前に出た。
「私はロナルド・ヴィンセント。考古学者です。あなた方に危害を加えるつもりはありませんからご安心を。彼女はご存じですよね?」
人影は黙ったままである。
「彼に会わせて欲しいの。もう一度話し合いましょう。」
ドミニクが言うと、人影は擦過音の多いかすれた声で答えた。
「彼もあんたに会いたがっている。案内しよう。」

 男の案内で更に下水道を進む道中、ヴィンセントはドミニクに、小声でなぜ彼の姿を見ないのか訪ねてみた。
「あなたのためよ。何度も見ている私もきついくらい刺激的な容姿なのよ。」
そんなことを言われて引き下がるヴィンセントではない。
「せっかく来たんですからお顔くらい拝ませていただきたいですな。」
普通なら聞こえるはずのない距離だった筈だが、それに答えたのは例の男の方だった。少し笑っているらしい。
「見ない方が身のためだろうさ。見ちまって怯えて逃げ出そうとしたら命を落とすことになるだろうしな。」
「私は怯えて逃げ出したりはしないと思うがね。」
「試してみたいなら好きにするがいい。」
「・・・・」
時たま懐中電灯の光に一部が照らし出される彼らの姿は、ボロボロの布切れのようなものをまとっているのが分かった以外は、ごつごつとした大きな手の指から生えている爪が異様に長いということくらいだった。しかも変に曲がって先がとがっているようだ。
こういうのは通常、かぎ爪と呼ばれる。
珍しくヴィンセントの好奇心に、恐怖心がうち勝ったようだった。
確かにあそこまで言われているのにわざわざ危険を冒す必要は今は無いだろう。

 やがて人影は別の似たような人影と出会い、更に何人かの人影が合流した。
そして全員今は使われていないらしい支道の入り口まで来て止まった。
彼らに促されるままヴィンセントとドミニクが支道に入ると、奧がぼんやりと明るかった。 進んでゆくと、その明るさは光を絞ったランプのものだと分かった。
 そこはゴミゴミとした行き止まりで、部屋のようになっており、突き当たりには廃物らしい椅子に腰掛けた年老いた男がいた。
彼はランプが灯っているとはいえ、歩くのも困難なこの暗さの中で本を読んでいたらしかった。
近寄ってゆくと、椅子の脇にも何冊もの本が積んであるのが分かった。
その男はまだしも背広といえる服を着ているようだったが、それもずいぶん傷んでいた。
ランプのしぼられた明かりでは分かりにくかったが、その顔はたちの悪い皮膚病にでも冒されているのか、部分的に皮膚が剥がれたようになっており、頭髪もまばらに残った様子からすれば、最近抜け落ちたらしかった。
どこか犬じみた顔は、場所と照明の効果もあって不気味だったが、眼鏡をかけているのが滑稽でもあった。
なにより気になるのは本をもつ手で、さっきの連中ほどではないにしろ、やはりその指からはかぎ爪と言ってよい長くてとがった爪が伸びていた。
またヴィンセントは彼にどことなく見覚えがあるような気がした。しかし思い出せない。
「よく来たな。ドミニク。考え直してくれたかね?」
男の声は最初に出会った男と同じくかすれていたが、まだ人間らしかった。
「そうね。妥協してもいいかもしれないとは思い始めたところよ。」
そう言えば彼女は『彼ら』との取引に対して求められたものを渡していないと言っていた。
ドミニクのセリフに、目の前の不気味な男のかすれた声がどことなく優しげになったような気がした。
「それはよかった。これで我々もここから移動して、本来の場所に行くことが出来る。もう新聞ネタは遠慮したいからね。」
「私だってそうよ。この前は噛みついてくれちゃって、あいつはどこよ!?謝ってほしいわ!」
なんだかドミニクは異様に強気である。 聞いているヴィンセントの方が不安になった。
「気を静めたまえ。彼らも集まっていることで人目に触れる機会が増えてしまい、神経質になっているんだ。」
「分かってるわ。私のわがままだったのよ。」
「いや私のわがままだ。ドミニク・・・すまなかった。」
なんとなく淋しげな男の声に、彼女の悲しげな声が応えた。
「おじいちゃん・・・」
「おじいちゃん!?」
びっくりしたのはヴィンセントである。 彼女が振り返り、目に涙をためたまま笑顔で言った。
「紹介するわ。私の祖父のフェルデナント・モーガン博士。あなたと同じ考古学者よ。」
「なんだって・・・?」
ヴィンセントは彼を知っていた。異端ではあったが高名な学者で、雑誌で写 真も見たことがあった。そう言えば見覚えがあったのはその写真だったのだ。
しかし目の前にいる男は教授に似てはいるが、明らかに異なった容姿に変化していた。
なにより問題なのは、ヴィンセントは博士が数年前に亡くなったというニュースも覚えているということだった。
「そんな筈はない。フェルデナント・モーガン教授はすいぶん前に亡くなった筈だ・・・」
応えたのはその男だった。
「その通り。私は5年前に人としての一生を終えた。今の私は人間をやめ、グールとして生きているのだよ。」
そう言ってにやりと笑ったかつてモーガン博士だった者の口には、とがった牙が並んでいた。

 世界各地を旅してまわり、様々な発見を成したモーガン博士は、学会や雑誌でもよくその名を見かけたが、10年ほど前から名前を聞かなくなり、5年前に追悼記事を目にした。
無くなる前の5年間は闘病中だったのだろうと思われていたが、真実は異なっていた。
実はその間、博士はそれまでの研究など問題にもならない発見を重ねていたのだ。だがそれは異端で知られる彼をしても、発表を思いとどまらざるを得ない冒涜的で忌まわしいものだった。
それでも眼前に広がる新たな知識の魅力にとりつかれた博士は、誰とも意見を交換することもなく、たった一人で研究を続けた。
そんな日々を続けていたある時、家族に指摘され、自分の容貌や嗜好が変化しているのに気づいた。だがもうそんなことはどうでもよかった。
彼にとっては研究こそが全てだった。
やがて家族でさえも彼を恐れるようになり、博士は決意した。
人間社会から訣別すると。
幸い彼には新たな世界が手招きしてくれていた・・・。
「と言う訳なのだが、1つ問題があった。」
なんだか恐ろしい容姿も見慣れてきた元モーガン博士が言った。
「家族の者はみな私が出てゆくと聞いて胸をなで下ろしていた。しかし小さい頃からなついてくれていたドミニクだけは強固に反対したのじゃ。」
「当たり前でしょう!私がこの世界に興味をもつきっかけもお爺ちゃんなのよ!大学も出て、やっと一緒に研究が出来ると思ったのに、どこかに行っちゃうなんて!」
「すまん・・・だが私は行かなければならん。すでに迎えに来てくれた連中は一目に触れ始めている。すぐにでも旅立たなければまずいのだ。そして私は未だ見ぬ ドリームランドへの道をどうしても探したいのだ。」
「絶対許さないわ!」
「それはさておき、例の水晶についてだが、ちゃんと出来る限りは調べてみた。」
「なにか分かったの?」
ヴィンセントは話が荒唐無稽すぎて付いてゆけてなかったが、唐突に本題に入ったらしいことは分かった。
水晶というのが例の門に関わるアイテムらしい。
それにしてもドミニクは突然コロッと態度が変わる。多分博士は祖父だけに彼女のそういう性質を知っていて、うまく話をそらせたのだろう。
「私なりにも羊皮紙を調べてみたけど、分からなかったのよ。あれに門を閉じる方法が書かれてると信じたいんだけど・・・」
博士は1つ咳をしてから話しはじめた。
「あの水晶は何年も前に私が北京で買ったものだ。しかし妖しい光を放つあの水晶に、私は漠然とした不安を感じ、倉庫に放り込んだままになっていた。それを見つけたおまえが『連中』に渡したわけだが・・・。」
「だって『連中』は研究熱心だったし、欲しがってるものの説明を聞いたらあれにピッタリだったのよ。私親切だし。」
「うむ・・・それはよいとして、手がかりと言えば買ったときに水晶が入っていた箱に、一緒に入っていた例の羊皮紙・・・」
ドミニクがいそいそと幾何学模様と妙な文字の書かれた羊皮紙を取り出した。
「そう。それしかなかったのだが、解読の糸口もつかめなかった・・・。今までは。」
「分かったのね!」
「新しい私の世界の盟友たちが知恵を貸してくれたおかげで、ある程度輪郭がつかめてきた。書かれている文字も、読み方だけは分かった。」
「なんと読むのです?」
思わず興奮して口を挟むヴィンセントである。
「ゾン・メザマレックの水晶・・・という意味だ。しかしゾン・メザマレックがなにを意味するのかは分からん。水晶を産した地名か・・・人の名か・・・。またその後につづく文字は、警告を意味するものらしい。」
「模様はなにを意味しているの?」
「やはり紋章の類らしい。いくつかは魔術師を意味し、他に家紋に相当するものもある。もちろんどこの誰の紋章なのかは分からないが、私は見覚えがあった。」
「私も見覚えがあります。」
突然熱を帯びたヴィンセントも割り込んだ。
「アーカムのミスカトニック大学の図書館で。」
「偶然だね。私も同じところで見覚えがあるのだよ。」
「どうしたの?二人ともなんでいきなり意気投合してにやにやしてるの?気持ち悪いわ。」
不安げなドミニクに、二人が同時に振り返って応えた。
「『エイボンの書』の表紙にあった紋章に似てるのだ!」
「『エイボンの書』と言ったら、古代ハイパーボレアの魔術師エイボンが書いたと言われる魔道書ね。確かにミスカトニック大学に翻訳版があると聞いたことがあるわ。」
事態は一気に好転するのかと思ったが、すぐに彼女の表情は曇った。
「でもあの本は・・・」
その時一人のグールがこの部屋のような空間に入ってきた。
「わっ!」
ヴィンセントが思わず声を上げた。彼はその時始めて完全なグールを目にしたのだった。
グールはボソボソと話した。全然焦っている風ではなかったが、その内容は不吉なものだった。
「下水道内に透明でもやもやしたものが何匹もうろつきだした。そいつは生きているものを見つけると襲って血を吸って殺している。もう仲間が4人やられた。」
「『星の精』か。とうとうここも『連中』に見つかってしまったということだな。」
「それはさっき私が遭遇した怪物ですな。しかしあれは赤い色をしていましたが・・・」
そこまで言ってヴィンセントはその理由に合点がいった。『星の精』は普段は透明だが、血を吸うと見えるようになるのだ。あの時はメイドの血を吸った後だったのだろう。
そう言えばあの時はドミニクも倒れていた。彼女が血を吸われたのだろうか。
聞いてみると、彼女はヴィンセントが苦労して持ってきたトランクを開けながら答えた。
「あの時は身を守る印を使って、少し血を吸われただけですんだのよ。でも疲れて気絶しちゃったようね。」
「そんな便利なものがあるんですか!?印!この現代社会でも効果が現れるんですか!?」
「ええ。」
「今も使うんですよね。」
ヴィンセントの胸は期待でいっぱいである。
「だから今準備をしてるのよ。」
そう言いながら、彼女はトランクに入れてきた派手に着色された石を周りに並べ始めた。
「おじいちゃん。近くにいるグール達も呼んでやって。外にいたらやられちゃうわ。」
「うむ。」
かくしてヴィンセントは、おぞましい多数のグールとお近づきになることが出来た。
最後尾のグールが中に入ろうとしたとき、彼に背後から何者かがかぎ爪のようなものを引っかけたように見えた。
グールは悲鳴をあげ、中に逃げ込もうとしたが、そのまま恐ろしい力で引っ張られ、入り口まで引き戻された。
更に聞くに堪えない悲鳴があがり、悶え苦しむグールの動きが弱まってゆくにつれ、次第にその背後に不定形に近い化け物の姿が見えるようになってきた。
ヴィンセントは総毛立つ思いだった。
ここに来るまでにすでに何人かのグールの血を吸ったのであろう。彼がモーガン邸で遭遇したやつより輪郭もはっきりしており、それが逆に恐怖を倍増させた。
 そいつはどういう仕組みでか、その巨体を床から3フィートほどの空中に浮かばせていた。
不定形の身体の各所からかぎ爪の付いた触手を何本も伸ばし、グールを締め付けて身体を密着させ、どこか見えないが口らしき部分から血を吸っているらしかった。触手以外の部分には、目とも口ともとれる無数の穴が開いており、歓喜に震えるように脈動していた。
 ヴィンセントは気を失いそうになるのを必死でこらえ、怪物にエンフィールドを向けた。
怪物に捕まっていたグールはついに動かなくなり、力無くその場に倒れた。
ほとんど同時にエンフィールドが火を噴いた。
弾は怪物に吸い込まれた。
各所から血のような液を垂れ流し、悲鳴のような音を出したが、それだけだった。
ぼとぼとと液を垂れ流しながらもゆっくりと迫ってくる。
「駄目だ!モーガン邸では効いたのに!?」
銃が効かないのでは狩りどころではない。狩られるのはこっちの方である。
「あいつに銃はほとんど効果が無いわ!あなたが前のやつをどうやって追い払ったのか、こっちが聞きたいくらいよ。」
そう言えばなにかを思い出したような・・・しかし今は悠長にそうなことを考えている場合ではない。
『星の精』と呼ばれるそれは、もはやすぐ手前まで迫っており、クククという笑い声のような音をたてているのが聞き取れた。
もう駄目かと思った瞬間、それは動きを止めた。
そしていたずらに触手を振り回しはじめた。
無数に開いた穴は口だったらしく、そのどれもに小さな牙がずらりと並んで生えていた。だがその口も空しく開け閉めされるだけで、襲ってこようとはしない。
「間に合ったようね。」
ドミニクがため息をつきながら言った。 我に返ってまわりを見回してみると、足下の床に、星形の中央に炎のようなマークが描かれた印が、色とりどりの石を置くことで作られていた。
「旧き印・・・よく覚えていたね。」
モーガン博士だったものが感慨深げにつぶやいた。
「おじいちゃんから教わったことは全部覚えてるわ。石には教わったとおり魔力を付与してあるから、ちょっとやそっとでは壊れないわ。」
「うむ・・・しかしこれからどうするかだ。」
「そうね・・・なんとかこいつらを追い払わないと、どうしようもないわ。」
「なにか方策はあるんですか?」 ヴィンセントが口を挟む。
「無いわ。」
「そうですか・・・。」
どうしたものか。
そうこうする内に、更に『星の精』が次々と集まってきたらしく、ぼんやりとした輪郭の数が増えてきて、クククという笑い声の合唱を聞くことになった。
「これはたまらんな。こいつでなんとかならないですかね?一度は追い払うのに成功したんだし。弾もあります。」
そう言いつつエンフィールドに予備の弾をセットするヴィンセント。
元モーガン博士が1つ咳をしてから話し出した。これは彼の癖らしい。
「考えてみればおかしな話だ。ショットガンの1発くらいで『星の精』を追い払うのは不可能だ。当たり所がどうのという問題でもない。」
妙に冷静な元博士である。
「ヴィンセント君と言ったか・・・君はその時なにか特殊なことをしたのではないかね?銃を撃つと同時に『ヨグ・ソトースのこぶし』をつぶやいたとか。」
「なんですかそれは?」
「うむ?そんな呪文があると聞いたことがあるだけだ。」
結局役に立たない博士である。
それにしてもあの時なにか特殊なことをしただろうか? 匂い・・・そう。このあたりに立ちこめる異臭。こんな匂いでなにかを思い出したような気がする。
水・・・水の匂い?そうだ。それもこんな下水道の水じゃない。生命のエキスたる海水の・・・

 なにか考え込んでいるように見えたヴィンセントが、突然変な大声をあげはじめたので、ドミニクも元博士も、グール達も驚いた。
「フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ・ナグル・フタグン・・・・」
驚いたのはまわりにいた『星の精』たちも同じか、それ以上のようだった。 動きがピタリととまり、様子をうかがっているようだったが、ヴィンセントの呪文めいた声が繰り返されるに従い、身体を震わすようにして後退し始めた。
「これは・・・確かセント・ルイスで開かれた考古学学会で話題の中心になった石像礼拝の詠唱ではないか。彼もあの学会に来ていたのか?」
元博士は分かったような、意味不明のつぶやきをもらしていたが、当のヴィンセントは完全に意識を失っているらしく、白目をむいたまま詠唱を繰り返していた。

 ヴィンセントとドミニクは、再びデューセンバーグに乗ってモーガン家に向かっていた。
「ほんとになにも覚えていないの?」
「まったく。ただなんとなくここ数日続けて見ていた夢を思い出しました。」
「さっきの呪文だけど・・・おじいちゃんは巨大で恐ろしい化け物・・・さっきの『星の精』なんて足下にもおよばないような怪物を讃える詠唱だって、15年くらい前の学会で説明を聞いたことがあるそうよ。」
「じゃあ自分たちより強い怪物を呼ばれるとでも思ったんですかね。」
「そうかもね。まあ逃げられたんだからいいじゃない。」
「う〜ん。ま、いいとしますか。」

 モーガン家に着いた。
家の前にはさっき倒れていたメイドが立っていた。意識を取り戻したらしい。
「ああよかった。命に別状は無さそうだったので忘れてましたが。無事でなによりですな。」
ドミニクは応えなかった。
「どうしたんです?よかったではないですか。最も私はまたスカートの裾が乱れているのが気になりますがね。」
ドミニクは黙って車を降りた。ただしショットガンを構えて。
「あなたも来てたのね。」
彼女のセリフに、メイドはにっこり笑って会釈を返した。
「私たちは完璧主義者なの。」
ヴィンセントにはメイドのセリフの意味がよく分からない。なかなかよくできたメイドだと思った。
「『水晶』を返してくださる?返してくれればもうなにもしないわ。私たちが必要も無しに殺生をしないこともご存じでしょ?」
「必要のないものは冷酷に切り捨てることも知ってるわ。」
ドミニクはメイドにショットガンを向けた。
ヴィンセントもおぼろげながら話の内容が分かってきて、背筋に冷たいものが走った。彼らはこんなにも完璧に化けることが出来るのか。
「『星の精』なんてメじゃないわ。ついさっきも大群を送って寄こしたようだけど、結果 はもうご存じね?」
ドミニクのセリフに、メイドの姿をした何者かは眉を寄せた。
「やはり会っていたのね。不思議ね。あなた達人間やグールごときになんとか出来る筈がないのに。」
「そうでしょうね。私たちにはあなた方がまだ知らない力を隠してるってわけよ。もうばれちゃったけど。」
「ほんとうかしら?信じられないわね。」
「だったら試してみたら?完璧主義者じゃなくて、単なる過信の固まりだって思い知らせてあげるから。」
メイドはしばらく考えていたが、ヴィンセントの方を見て言った。
「あなたという不確定要素を生かしておいたのが間違いだったようね。必要のない危険は犯さないことにします。」
「あら意外に意気地なしなのね?」
すでにヴィンセントも、ドミニクがハッタリでこの場を切り抜けようとしているのには気付いていたが、その切り札が自分の記憶のない活躍では全然安心できなかった。
「虚勢をはっていられるのも今の内よ。私は水晶を覗いたあの一瞬で充分に先祖の知識と能力を手に入れたわ。1週間もすれば、最初の成果 を見せてあげる。それまでせいぜい命を大切になさい。」
メイドはそう言うと、ヴィンセントにウィンクし、歩きだした。この場を去ろうとしているらしい。
ドミニクはその後ろ姿に銃を向けなおした。
「後ろから撃つのはどうかと・・・」
ヴィンセントが止める間もなく撃った。 銃声がとどろいた。
メイドの立っているあたりにはなんの変化もなかった。
その代わりに銃口の向きとはまるで見当違いの方向にある街灯の柱に散弾が着弾した音がし、そのあたりに土煙が立った。
メイドに見える何者かはそのまま歩き去ってしまった。
「やっぱり無駄ね。流石は完璧主義だわ。」
「想像以上に恐ろしい相手のようですな。1週間したらなにが起こるのかな?」
「見当もつかないわ。ただ恐ろしいことが起こって人が何人も死ぬのは確実だと思うわ。」
「どうします?」
「『エイボンの書』を調べれば、なにか打開策が見つけだせるかもしれないけど・・・あれは閲覧を禁じられてるのよ。1週間では予約も取れないわ。それに解読には古代言語に精通 したスタッフが必要だわ。間に合うわけがない。」
彼女の声は悲痛だった。
「なんとかするしかないですね。」
「どうするのよ?」
ヴィンセントはモーガン家に入って行った。彼女も後を追う。
「電話をお借りしますよ。」
「いいですけど・・・」
ヴィンセントは自信ありげに電話を掛けた。
「ミスカトニック大学の理事長を頼む。私はロナルド・ヴィンセントです。」
「あ、私です。そちらの図書館にある『エイボンの書』ですが、早急に『ゾン・メザマレック』という記載のある部分を探し出して、そこを詳しく解読していただきたいのです。」
呆然とするドミニクを後目に、一方的な会話が続いた。
「閲覧禁止?分かってますよ。でも緊急なんです。はい。何語のものか?ああ翻訳版がいろいろあるんですね。なるべくオリジナルに近いものを。解読には最も古代言語に通 じていると思われる教授をリーダーにしたチームを組んであたってください。結果 は早ければ早いほど助かるんですが、そう・・・5日以内に伺いたいですな。」
「ああ分かってます分かってます。今年の寄付金は去年よりふやそうと思ってたんです。期待してください。」
彼は電話を切って、ドミニクに向き直った。
「これで解読まではやってくれるでしょう。結果は我々が受け取りに行った方が安全でしょうな。」
「あなた理事長と知り合いなの?」
「ええ。あそこの図書館は前から利用させてもらってますし。国や企業からの援助は全部断ってるまさに研究一筋の大学なんて貴重ですから。私も及ばずながら出資させていただいてるわけです。」
及ばずながらとか言っているが、あの要求が出来るということはよほどの額を毎年寄付しているに違いなかった。

 4日後。二人は解読結果を受け取っていた。
解読結果は大学の図書館が所蔵する全ての翻訳版で似たようなもので、水晶は過去の世界を覗くことが出来、自存する源であるウボ・サスラにさえも会うことが出来るが、強大な力を持った魔術師ゾン・メザマレックは、それを手に入れたしばらく後に行方不明になったという意味の短い文章だけだった。
「無駄だったようね。これではなにも分からないのと同じだわ。」
ヴィンセントは応えず、なにか考えているようだった。
「どうしたの?」
「そろそろ水晶自体を調べてみる時期でしょう。どこにあるんです?」
彼女は黙って鞄の中から厳重な包みを取りだした。
「元々おじいちゃんの物だったのを、私が勝手に持ち出して今回のきっかけを作っちゃったんだけど、おじいちゃんが旅立つのを認めるという条件を呑んで、渡してもらったわ。」
ヴィンセントは包みを開けようとしたが、彼女に止められた。
「あの好奇心旺盛なおじいちゃんが危険を感じて倉庫にしまい込んでいたのよ。下手に見たら危険だと思うわ。」
「私の好奇心の方が博士のそれより上回っていることを証明しましょう。」
ヴィンセントは包みを開けた。 それは上下がつぶれた卵のような、奇妙な形の水晶だった。覗いてみると、その中になんとも言えない乳白色の光のようなものが輝いていた。
「これは・・・確かに普通の水晶ではありませんな。」

 ヴィンセントは過去を見ていた。
今までの自分の人生を、今体験しているかのようなリアリティをもって。
やがては自分のいる場所も分からなくなり、過去の時間の中に溶け込んでいった。
いつの間にか彼はハイパーボレアで知らぬ者とていない高名な魔術師ゾン・メザマレックになっていた。記憶は錯綜し、魔術師である自分が本当で、1925年のアメリカという世界は夢の中で見たあいまいな記憶として消えていった。
ゾン・メザマレックは更に水晶を覗き続けた。
過去の記憶は遡り続けていたが、突然目では見えないが足下のすぐ先に、底知れぬ 崖が広がっているように感じた。 崖には底がないようにも感じ、全ての始まりが脈動しながら待っているような気配もあったが、最も強いのは恐ろしい悪夢が待っているという予感だった。
わずかに残ったヴィンセントの意識がこの先を見たいと望んでいたが、同時にもっと強いこの場から逃げ出したいという感情も浮かんだ。
魔術師ゾン・メザマレックも同じだったらしく、彼は水晶からとびすさり、なんとか目をそらした。

 ヴィンセントが我に返ると、ドミニクが心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの?大丈夫?」
「大丈夫です。私はどのくらい水晶を覗いていました?」
「ほんの一瞬だったけど?覚えてないの?」
「いえ。大丈夫です。ところで『連中』は純粋な向上心と好奇心をもっていると言いましたよね?」
「ええ。それも水晶を覗いてからは狂信的とも言えるほど好奇心と探求心が強まったようよ。」
「そうですか・・・」

 翌日。彼らはニューヨークの骨董品店を訪れていた。
出てきたのは、あたかも店のパーツの1つであるかのような、中国人らしい親爺だったが、彼らを見るとにやりと笑った。
「いらっしゃい。来てくれるとは思いませんでしたよ。」
ヴィンセントは彼とドミニクの顔を見比べていた。
「ちょっと・・・ほんとうに彼が・・・」
「ああ。あなたはこの姿は初めてでしたな。」
親爺の姿はまったく変わらなかったが、次に出たセリフは間違いなくあのメイドの声だった。
「水晶を渡してくれる気になったのかしら?だったらあなた達は実験材料のリストからは外してあげるわ。」
信じられない技術である。
「ほんとうに私たちは助けてくれるんでしょうね?」
ドミニクが鞄の中から包みを取りだした。
「勿論ですとも。我々はうそはつきません。」 また親爺の声に戻っていた。
彼女が包みから出して水晶を渡すと、男は隙間から空気が逃げるような音をたてながら両手で 大事そうに持ち上げた。
どうやら喜んでいるらしい。
「とうとう戻ってきましたか。あなた達人間は嘘をつくからほんとうに油断が出来ません。まさか協力すると言っていたのに突然隙を見て奪ってゆくとは思いもしませんでしたからね。」
「今度は嘘じゃないわ。水晶は本物でしょ?」
「本物ですな。実に喜ばしい。」
そう言う彼の背後から、3人の中国人が現れた。
「彼らも私の仲間です。まだ退化した知能の低い状態ですが、私が更なる知識を得た後に、彼らにもそれを受け取ってもらいます。仲間と一緒に研究できたらどんなに楽しいでしょう?今からウロコが逆立つ思いです。」
「よかったですな。」
そう言うヴィンセントの顔は苦渋に満ちていた。
「では早速覗いてみるとしましょう。あさっての実験に、より完璧な結果を出すためにもね。」
男は水晶を覗き込んだ。
男の姿はみるみる変化していった。髪の毛が抜け落ち、首が伸び、皮膚にはウロコが現れてきた。
一瞬後にはそこに中国人の服を着た蛇の化け物が立っていた。
ヴィンセントは気が遠くなりそうだったが、なんとか踏ん張って怪物の様子を見続けた。
怪物は更に水晶を覗き続けた。
怪物には角が生えまた引っ込んで、尻尾がのびヒレに変化し、ウロコの色も形も変化していった。 目からは次第に知性の輝きが失われ、身体も小さくなっていった。
そのうち身体の形がはっきりしなくなり、不定形のドロドロしたものになったかと思うと、そのまま小さくなって消えてしまった。
最後は中国式の服が中身を失ってその場にへたりこみ、その上に水晶が転がり落ちた。
他の中国人が呆然としている前で、ドミニクが水晶を拾い、ヴィンセントは懐から拳銃を取りだして彼らに向けた。
「あなた達の先祖がえりしたリーダーはいなくなったわ。次に続く者はいる?」
中国人達は顔を見合わせ、リーダーに比べるとどこか鈍いしゃべり方で言った。
「リーダーを失っては我々にこの研究を続ける力はない。また各自研究にいそしんで、かつての栄光をとりもどすよう努力することにする。」
そう言うと、のそのそと店の外に出ていってしまった。

 デューセンバーグは夜のニューヨークを走っていた。
「今日はごちそうしてくれるんでしょ?」
「いいとも。」
そう答えるヴィンセントの目は遠くを見ていた。
今まで普通の人は夢物語だと思うような様々なものを見てきたが、今回の事件はそれら全てを吹き飛ばすほどの異様さだった。
計り知れない恐怖を味わったが、また満足もしていた。
モーガン博士が目指していたドリームランドという場所も探してみたいものだ。
 天を突く高層ビルディングが建ち並び、人々が急ぎ足で行き交うニューヨーク。
しかしここも一枚剥けば人類の知らない危険に満ちたサバンナであり、いまだに狩りが続いているのだ。

執筆・化夢宇留仁


化夢宇留仁あとがき

 リレー小説&リレープロット掲示板のオリジナル作品第1段です。
最初と言うこともあり、化夢宇留仁が最初の部分を書き始め、マッドハッタ−氏と@2c氏の参加していただき、なんとか完結させることが出来ました。

 資産家考古学者ロナルド・ヴィンセントは最初からシリーズ化したらいいなと思っており、結果 なんとか無事正気のままで最後まで生き残ったので、そのうち続編も読んで(書いて?)みたいと思っています。

 掲示板からこのコンテンツに移すにあたって、改行は手作業であらためて入れているので、一部異なっている部分があるかと思います。
また一部の改行と点の配置など、修正しているところもあります。
いずれにしろこのコンテンツの文責は全て化夢宇留仁にあります。

 最後にお詫び。
ロナルドとドミニクの持つ銃が入れ替わったり、描写がおかしい部分があります。
最後の書き込みの時に気付いたところは修正したのですが、まだ残っていた部分はそのままになっています。
また最後のメイドの登場に関してですが、これはマッドハッター氏の執筆された第5話で、ドミニクがメイドをまたいで外に出るという描写 を忘れていたため、ドミニクは彼女の存在を知らないという間違った設定にした上での展開です。
まあドミニクが彼女の存在を知っててもまったく筋の通らない展開というわけでもないですが、演出効果 は消滅ですな(笑)。
初っぱなから前の書き込みを充分考慮に入れるという点で、管理者がミスしていたのでは情けない限りで、特にマッドハッター氏には申し訳ないことをしたと反省しております。

リレー小説メニューへ

Call of Cthulhu