「煙草を1本吸いたい・・・」
2052年8月28日
ランナーは闇の中を生きている。
一瞬でも気を許せば、ただちにそれはやってくる。
誰もかえりみず、闇は闇のまま・・・
夜7時ごろ、ジャックはいつものようにダウンタウンはずれの小汚いバー、シャトノワールで飲んでいた。
地下1階にある薄暗い店内には、湿った空気が淀んでいた。
客は他にはいない。いつものことだ。特にこんな早い時間からこのバーに来るのは、何も知らない酔狂な奴か、ランに関わる者のどちらかだ。
どちらにしても壁に向かったアベックシートに一人で座るのを常としているジャックには、あまり関係なかったが。
階上から階段を降りてくる微かな足音が聞こえてきた。
音を殺しているが規則正しいそれは、いつも足音を忍ばせている証拠だった。
どうやら新顔らしい。
ジャックはさりげなく懐のウォーホークに手をやった。
ドアベルが鳴り、客が入ってきた。
背中越しにちらりと目をやると、意外にも知った顔が立っていた。
アーマージャケットに身を包んだそいつは、エルフだった。
確かスタン・トーインと名乗っていた。
3ヶ月ほど前に、ジャックのコンタクトの一人、ソーンの依頼で一緒に仕事をしたのだ。
その時は4月のはじめに、雇われていた企業と離れたと言っていた。つまり今ではランナーになって約5ヶ月たっているわけだ。
スタンは
サムライタイプのランナーだった。
これと言ってずば抜けた能力があるわけではなかったし、まだこの世界に暗いこともあって、前のランの時にはほとんど当てにしなかった。
だが今のスタンはそれなりに頼りになりそうだった。
今も生きているのが何よりの証拠だ。
スタンはジャックと目が合うと、少し驚いたような顔をして、近寄ってきた。
「どうやらこのバーが物騒なところだという噂は本当らしいな。隣、いいか?」
ジャックは黙ってうなずいた。
すぐにバーの主、ヘルムートが注文を聞きに来た。
スタンはウィスキーを注文した。
「俺はここに来たのは初めてなんだ。あんたはよく来るのかい?」
「まぁな。」
本当は毎日のように入り浸っていた。
「ここに来たら仕事にありつけると聞いたんだが、この調子だと今日は外れのようだな。」
「いや・・・」
ジャックは階上の道路に、車が止まった音に気付いていた。
フォード・アメリカ。ここに来る客で、フォードに乗ってくる奴は多くない。
ここでランが回ってくる時は、決まって今日のように静かな夜だった。 普通のバーのように、にぎやかな談笑の中で秘密が囁かれる事はほとんどない。
思った通り、入ってきたのはフィクサーのエミリーだった。赤毛をなびかせて、いつものようにコーポレイト風の短いスーツを着ている。
いつもと違うのは、連れがいるところだった。 合成レザーを着込んだブロンドだ。スマートだが筋肉質の体つきは、いかにも戦闘向きだった。
エミリーはまっすぐジャックのそばに歩いてきた。
「いいかしら?」
「ああ。」
彼女はちらりとスタンを見た。
「こちらは?」
「前に一度仕事をした。今日も仕事を探しに来たらしい。」
「信用できるの?」
ジャックもスタンを振り返った。
スタンはウィスキーをすすりながら、言った。
「俺は誰も信用しないし、されたくもない。だが秘密は守る。」
「いいわ。」
彼女はうなずいて、本題に入った。
エミリーの持ってくる仕事はいつも危険なものだった。 だからこそ、この店に集まるランナーに持ち掛けるのだし、報酬もそれなりに高かったが。
ジャックはエミリーの持ってくる仕事はほとんど無条件で引き受けていた。
どんな危険な仕事より恐ろしいのが、依頼主の裏切りだ。その点では彼女は一番信用のおけるコンタクトと言えた。
1ヶ月前、ある大企業の小型飛行機が、サリシ・シーのレーニア山
に墜落した。
現場へ行って調査し、ある物を探し出して回収する。
レーニア山はフチ社の私有地だった。
予想通り一筋縄では行かない話だ。サリシ・シーの国境警備隊は強力だし、レーニア山にはフチ社の警備兵もいるだろう。
そもそも依頼した大企業とは何者か?フチ社とシェアを争うライバル企業か。
また1月も前に墜落した航空機に目的の物は残っているのか。
納得いかない要素は多かったが、ジャックは躊躇せず引き受けた。そもそも全て納得のいくような話なら、ランナーにはまわってこないのだ。
スタンは黙って話を聞いていたが、エミリーが問うように顔を見ると、ひとこと言った。
「引き受けよう。」
エミリーの連れてきた女、デイトリッヒは既に事情を聞いているらしく、興味はもっぱら一緒に仕事をする相手、つまりジャックとスタンに向いていた。じろじろと値踏みするように、二人を見ている。
話はとりあえず終わった。これ以上の詳しい話は、そろそろここへ来る筈の、依頼主の使者が話すということだった。
ジャックはデイトリッヒに近寄って、聞いた。
「おまえはなにが出来る?」
彼女は黙って背を向けた・・・と思うと、そのまま回転した。後ろ回し蹴りだ。
ジャックの眼前で、彼女の踵がぴたりと止まった。
眉をひそめるジャックに、彼女はにやりと笑顔を作った。
ジャックは舌打ちしたいところだった。
ランナーが3人集まったのはいいが、3人とも直接攻撃タイプである。彼はデイトリッヒが魔法を使えれば、と期待していたのだ。もっとも彼女の姿を見た時点で、半分諦めていたのだが。
外に車の止まる音がして、すぐに一人の男が入ってきた。
ダークブラウンのダブルのスーツにソフト帽という、いかにもなコーポレイトだ。
実のところ仕事の上で必要な話はほとんど終わっていた。一番重要な、報酬の話を除いて。
報酬は5万ニュウエンを山分けということだった。
3人ならまぁ悪くないだろう。
依頼人は急いでいるらしく、今すぐ仕事に掛かるように言ってきた。
一月も前に落ちた飛行機を探すのに、急げも何もないと思うが、文句を言う筋合いでもなかった。
シャトノワールを出ると、改造を施されたトヨタ・エリートが停まっていた。
依頼人のものらしい。
出かける段になって、驚いた。彼も同行するというのだ。
企業からの依頼は多いが、現場までついてくるのは珍しい。目的の物は、よほど大事なものなのだろう。
依頼主の車で、国境地帯へ向かった。
あたりはすっかり暗くなり、これから山登りをしなければならないと考えると、気が滅入った。
いよいよサリシ・シーとの国境に差し掛かった。
意外にも検問にまっすぐ向かって行く。
依頼主は検問所で、クレッドスティックを見せた。
あっさりと検問を通過して、更に進む。
これでますます依頼主が何者か分からなくなった。やはりフチ社の関係者か?
しかしそれなら素直に会社で捜索すればすむことだ。何しろ自分達の私有地なのだから。
一つ間違いないことは、依頼主が力のある企業に関係する者か、とんでもない詐欺師かのどちらかだということだ。
山道に差し掛かり、しばらくすると車で進むのは困難になってきた。
レーニア山に入ったのだ。
依頼主は、道から少しそれた空き地に車を停めた。
これからは徒歩で進むのだ。
ジャックは車から各種装備を引っ張り出すと、慣れた手つきで身につけていった。
そもそも彼はサリシ・シーのレンジャーだったのだ。今やっている行動は、まさに当時そのままだった。場所さえもすぐ近くだ。違うのは、当時の同僚のサリシのレンジャーは、今は敵だということだった。
スタンも準備を終えていた。 サブマシンガンと日本刀。まさにスタンダードなストリート・サムライスタイルだ。
デイトリッヒは車から降りただけだった。一応サブマシンガンは装備しているようだ。
依頼主は先頭に立って山を登り始めた。スーツ姿が暗い山道を進む姿は、なんとも違和感があった。
登山は困難だった。月は明るく輝いていたが、木々が邪魔をしてほとんど光は届いていなかった。
ジャックはサイバーアイを低光量視野にしていたが、それでもよく見えなかった。
元々バーで一杯ひっかけようとアパートを出たのだ。登山装備など準備している筈もない。
スタンもそれは同じ筈だが、無表情で登っている。エルフは生まれつき夜目が利くが、サイバーアイと大して違わない筈だった。デイトリッヒは最後尾を歩いていた。こっちも無表情だった。
しばらくして依頼主が立ち止まった。特に疲れたというわけではなさそうだった。彼もサイバー化しているのだろう。
足元の地面を見据えている。
見ると、わずかな月明かりの下に、鳥に似ているが、遥かに大きい足跡がいくつか見受けられた。
一瞬コカトリスという名前がよぎった。襲い掛かられたら厄介だ。
いや、そうだとしてもコカトリスは夜は行動しない筈だった。
どちらにしても警戒するに越したことはないが。
あたりをチェックし、とりあえず大丈夫だと確認し、また進み始める。
29日に入って1時間ほどがすぎた頃、一行は木が少なく、少し開けた場所に出た。
どうやら戦闘があったらしく、周りの木々には弾痕が多数あった。
しかし死体や装備は見当たらなかった。勝った勢力は奇麗好きだったらしい。
これではっきりした。このランには敵対勢力が存在する。
多分ここで勝った勢力がそうだろう。そうでないなら仕事はその勢力が終わらせている筈だ。
企業かそうでないかよく分からなかったが、敵の存在がはっきりしただけでも収穫だった。
これで引き金を引くのに、いちいち依頼人の顔色を伺わなくてすむ。
更に山を登る。
木々はだんだん背が低くなってゆき、視界も少しずつだが開けてきた。
敵を見つけやすいのは助かるが、それは向こうも同じ事だ。
そう思った瞬間、耳に不快なローター音が飛び込んできた。
見上げるとホバリングする戦闘用飛行ドローンが、月明かりに浮かび上がっていた。一行が木陰に隠れる暇もなく、機関銃が斉射された。
ねらいは正確だった。スタンと依頼人が倒れた。高速化された視界の中で、彼ら二人が致命傷を負ったのが分かった。デイトリッヒが木陰に身を隠し、サブマシンガンを撃つのも見えた。
この先どうなるんだ!?ジャックの脳裏ではそんな言葉が渦巻いていたが、訓練され、サイバーパーツで強化された身体の方は、木陰に転がり込み、すばやくアサルトキャノンを構え、ドローンをターゲットに収めていた。躊躇わずに引き金を引く。
ドローンが爆発した。
ジャックは唖然としながら、スタンと依頼人のそばに行った。デイトリッヒも出てきた。
二人ともライトマシンガンの高速弾を数発食らっており、どうしようもないのは一目で分かった。
仰向けに倒れているスタンは、ぼんやりした表情で、月を見ていた。
「どうする?ドク・ワゴンを呼ぶか?」
「いや・・・・いい。それより煙草を1本吸いたい・・・」
ジャックはスタンのポケットから煙草を取り出し、火を点けるとくわえさせてやった。
スタンは煙草を吸ったが、すぐむせて血を吐いた。肺にも穴が空いているのだろう。
今度は依頼人にしゃがみこみ、話をする。
「あんたは死ぬ。俺達はこれからどうすりゃいいんだ?」
彼は苦しい息の中、懐から支払保証済クレッドスティックを取り出して、言った。
「この少し先が墜落現場の筈だ。機内に積まれている書類を見つけて、焼き捨てろ。」
ジャックはクレッドスティックの金額を確認した。確かに5万ニュウエンが記録されていた。
報酬が出たからには仕事を中止する理由はない。
ジャックとデイトリッヒは2万5000ずつ山分けすると、倒れた二人を残して先を急いだ。
スタンはむせながらも、まだ煙草をふかしていた。
しばらく進むと、またあの神経を逆撫でするような音が聞こえてきた。ヘリのローター音だ。しかも今度は重量感のある重い音だった。木々の隙間から見てみると、派手にライトを点けた輸送ヘリが、ドローンの落ちたあたりに着陸しようとしていた。
ぞろぞろと敵に出てこられてはたまらない。
ジャックは再びアサルトキャノンを構えると、慎重にねらって・・・撃った。
ヘリはいきなり横っ腹に穴を空けられ、バランスを崩した。黒煙を吹きながら、ふらふらと漂うように飛行すると、墜落した。
そこは丁度さっきまで二人がいた場所、スタンと依頼人が倒れているところだった。
爆炎が上がった。
ジャックとデイトリッヒは顔を見合わせたが、二人とも何も言わなかった。
木が何本か倒れているのに気付き、目的地が近いことを悟った。
すぐにそれは見つかった。
不時着を失敗したのだろう。小型の航空機が木々をなぎ倒し、最後に大き目の木にぶつかって止まる様が想像できた。
翼はもげて無くなっていた。操縦席はひしゃげてはいるが、無事のようだった。火は一度は点いたようだがすぐ消えたらしかった。燃料が残り少なかったのだろうか。
操縦席を探したが、目的の物はなかった。パイロットの死体は、動物に食い荒らされたのだろう、ほとんど骨だけになっていた。
客室に入ってみた。こっちにも食い荒らされた死体が一つあり、その手は書類鞄をつかんでいた。
中を確認する。極秘のスタンプの押された書類が入っていた。
二人は急いでその場を離れた。
まだサリシの国境警備状況は、ジャックのいた頃と大して違わないようだった。当時の記憶を呼び起こして穴を突き、何とか下山し、シアトルに入るのに成功した。
後には書類が残った。
ジャックは中を見もせず、 ライターの火を点けた。
これをフィクサーとかに売れば、高く売れるだろうということは予想がついた。だがそれには危険が伴うし、なによりランナーとしての信用に関わる。
誰も信用できない世界だからこそ、逆に信用だけが命綱になる世界なのだ。
書類が燃えてゆくのを、デイトリッヒも黙って見ていた。
完全に燃え尽きると、二人はそれぞれ違う方向へ歩き出した。
END