ウルトラマンパワード
「第1話 銀色の追跡者」

ULTRAMAN POWERD

なんとなく、一応観ておかなければならないような気がして、第1話のビデオを借りてきた。

これは、オーストラリアで作られたグレートに続き、アメリカで作られたテレビ放送用ウルトラマンである。
グレートはだいぶ前に見ていて、そこそこ面白かったので、パワードも(主に特撮に)少し期待していた。
結果・・・

まず特撮では観るべきところは無い。
層が広いアメリカの映像製作陣は、逆に言えばピンとキリとの差が激しいわけで、そのキリの方が低予算で映像を作るとこうなる、という見本のような感じだった。

まず工夫が無い。
この作品は、日本での初代ウルトラマンのリメイクという形をとっており、第1話では有名どころのバルタン星人と対決することになる。
しかしこれがもう、まさに改悪としか言えない内容で、特にオリジナルの方が映像、演出とも気合の入っていた話だけに、その差は歴然。
多重露光のバルタン星人の分身、倒れたバルタンが分離して起き上がるカットなど、オリジナルそのままに作っているのだが、それさえも露光のバランスや画面の切り取りが下手で、見れたものじゃない。(と言うか何が起こっているのかわからない)
戦場である夜のビル街も、なんともお粗末なセットで、とりあえず作ってみたという代物で、壊れるときの細工もろくにしておらず、やたらにでかい破片が飛び散る。
飛んでみればカットごとにスピード感がばらばらで、高速飛行の衝撃波でビルを粉砕したかと思えば、白いもやの中をゆっくりと迫ってみたり・・・・
画像のそこかしこから伝わってくるのは、とりあえず作った、といういいかげんな雰囲気。
それらしく見せようとか、こう見せたい、というような工夫の気配が感じられないのだ。
そもそもスタッフにやる気が無いのかもしれないが、それにしてもひどい。
いわゆる子供だましとはこういうのを言う。

ただし!
実は化夢宇留仁は結構面白く見れた(笑)。
まずやる気の無さが、特撮以外にもドラマパートでも生かされていて(?)、ウルトラ警備隊にあたる連中が、なんか胡散臭く、いいかげんな組織にしか見えず、妙な味を出していた。
警察からの通報(!?)で、バルタン星人の潜む廃屋に突入する隊員だが、なんだか柄が悪いヤンキーそのもので、例のバルタン星人の声(?)に対して、「何がおかしい!?」と怒鳴ったりする。
バルタンはバルタンで、巨大母船に乗って地球侵略に来たのはいいが、やったことといえば廃屋の天井にぶら下がって笑ってただけ。
ウルトラマンは「彼らの侵略はすでに始まっている!」と危機感をあおっていたが、廃屋の一つくらいなら許してやってもよかったのではないだろうか?
そんなこんなで追い詰められて巨大化するバルタン星人。
そこに現れるウルトラマン。
ここでの興味は、警備隊員たちのウルトラマンへの反応である。
暴れる巨大な怪物に、いきなり現れた同じく巨大な怪物が戦いを挑む・・・どう対処するかでお国柄が出てくる。
まずオリジナルの日本版では、いきなりウルトラマンを味方と認めて、応援していた。
神風を信じる国民性だろうか?
オーストラリアの警備隊は滅茶苦茶タカ派で、冒頭から怪獣をいかに粉砕するかしか考えてなかったのだが、ウルトラマンが出てきてもやはり変わらず、隊長は迷わずこう言った。「どっちも攻撃しろ!」
で・・・今回のアメリカ版は・・・
ぽかんと口を開けて見ていた(笑)。
たまに隊員どうし顔を見合わせ、 ただポカンとしている。
化夢宇留仁は思いました。アメリカが言ってる安保とか、最近もめてた自衛隊の件とか、いざとなったらアメリカは当てになりそうに無いなと(笑)。



ウルトラマンゼアス

またウルトラマン(笑)。
今度は本家日本製の映画版だが、番外編のコメディ作品である。
あからさまなタイアップやトンネルズをはじめとした妙なキャスト陣で話題になったこの作品だが、意外によくまとまっている。
全編ノリだけで進めている感があるが、それが返って不必要な説明カットなどをなくし、テンポを生んでいる。
もう一つのポイントは、作品世界の危ういバランス感覚であろう。

冒頭、ウルトラマンのテーマパークのセレモニーが始まる。
集まった子供たちは手に手に初代ウルトラマンの人形を。舞台楽団の後ろには「ウルトラマン生誕30周年」の看板が。中央には金色に光るウルトラマン像が立っている。
ここで劇中の世界が、ウルトラマンが実在した世界なのか、それともウルトラマンをテレビで放映していた現実世界を舞台にしているのか、よく分からなくなる。
そうこうする内事件が発生し、ウルトラマン像は地下に飲み込まれる。
次はいきなりガソリンスタンドが映し出される。
そこの看板は実際にCMなどで流れている出光のそれで、すでにしてウルトラマンゼアスが大きく描かれている。
バカな店員が、客の嫌がらせにあたふたしているのが映されたと思うと、店内では店員たちがなぜかウルトラ警備隊のような仕事をしている。
各地の異常現象の報告を受け、なぜか平面である看板から発進してゆく趣味の悪い色のスカイフィッシュ号・・・。
こうして書いててもなんか滅茶苦茶だが、これがまったく説明無しにがんがん進んでいかれると、返ってそういうものだと納得してしまう。

ストーリーは・・・・・書くのもあほらしいので割愛するが(笑)、見所はたくさんある映画である。
昔のウルトラマン役者たちがごろごろ出てくるのは当然として(毒蝮三太夫のレポーターはすごくよかった)、スカイフィッシュ号が撃墜されるごとに、ガソリンスタンドにぼろぼろになって帰ってくる隊員たちとか、スペシュシュラ光線がうまく撃てなくて、人気の無いところで練習しているウルトラマンとか、酒飲みながらの笑い話に出てきそうな展開を片っ端から実現しているのだ。

主人公(?)は、ガソリンスタンド見習&隊員見習の潔癖症の青年で、もちろんウルトラマンなのだが、ウルトラマンの姿になっても潔癖症はそのままで、手が汚れただけであわててしまう。
この設定はコメディとして最後まで一定したイメージに仕上げるためだと思うのだが、やはり少しこじつけっぽい。
無理も無いが。

いろいろなホームページで調べてみたところ、だいたいどれもこの映画は酷評されていて、でも同じ作品のパート2は結構誉められていた。
この作品が結構楽しめた化夢宇留仁にとってはすごく面白いかも。
パワードの後だったからというのもあるだろうが(笑)。
どちらにしても、早く借りてこなければ。



 

ダークシティ
DARKCITY
原案/脚本/監督 アレック・プロヤス
脚本 レム・ドブス、デビッド・S・ゴイヤー
出演 ルーファス・シーウェル、キーファー・サザーランド、ジェニファー・コネリー

1999年夏、異常な掲示板で、その時点での「去年の復習」という名目で、秋山氏に薦められた作品。
それをやっと先日(2000年2月16日)ビデオを借りてきた。

さて「ダークシティ」だが、なかなか面白かった。
一言で表せば、怪作である。
謎が謎呼ぶサスペンスかと思わせ、実は・・・なんだろう(笑)?
画面はタイトル通り暗いシーンがほとんどで、地味な雰囲気なのだが、そこで行われていることは派手すぎるくらい派手である。
謎が謎呼ぶ・・・と書いたが、そもそもこの映画に謎など一つもありはしない。
謎・・・と見せているのは全部ハッタリであり、ストーリー上の最も謎になりそうな部分は、冒頭でテロップで説明されているのだ!
ポスターや内容説明文でも大きく取り扱われている鳴門死に(笑)してる娼婦たち・・・それをやったのは記憶をなくした主人公なのか!?
・・・・・・
気が変わった。
もしこの映画を見ていない人がこれを読んでいるといけないから、ネタばらしはこの辺にしておく。
さっきも言ったように、謎なんてありはしないのだが(笑)。

この先は、つれづれなるままに思ったことを書いてみる。

お久しぶりのジェニファー・コネリーはごつくなってるけど、やっぱり可愛かった(笑)。

黒ずくめの怪人は、「ロッキー・ホラー・ショウ」を思い出した。

どうにもこうにも「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」そのままなところがある(笑)。

古い建物は伸びるのが早いので、忍者の跳躍の練習に向く(?)。

以上(笑)。



 

ウルトラマンゼアス2

ウルトラマンゼアスのところで書いたように、いくつか見た意見では1はどうしようもないが、2は面白いと言うことだった。
そこでさっそく借りてきた。
で、結果だが・・・化夢宇留仁にしてみれば、2は見るべきところのまったく無い駄目駄目映画であった。
まず監督が小中和哉という時点で、少し不安だった。
昔から8mmフィルムの感覚を残した叙情的な(?)雰囲気を見せるのはうまかったが、数学的思考のまったく出来ない監督だと思っていた小中監督だが、ウルトラマンゼアス2にはそんな彼の悪いところが遺憾なく発揮されている。

まずテンポが無い。
冒頭から最後まで、一定しただらだらした展開と演出で、脚本のいいところをことごとく相殺。
あの演出だとストーリーが盛り上がれば盛り上がるほど、しらけてくる。
その脚本もまた悪い。
正義の位置付けのウルトラマンに偽者を出して、それが主人公を圧倒し、主人公は心に傷を残しつつ修行を重ねて自分の力を信じられるようになる・・・
陳腐の極みである。
何より問題なのは、その陳腐さがこの脚本の悪いところではないと言うことだ。
陳腐と言うことは使い古された内容だということだ。
逆に言えば使い古されるほどに何度も作られ、多数の支持を得た黄金率のような、ちゃんと作れば必ず面白くなるストーリーでもあるのだ。
それがこの映画は・・・ただそのストーリーをなぞり、ゲストに正道会館の面々を迎えたことで満足してしまい、面白くしようと言う努力、工夫がまったく見受けられない。
いや、これは違う。
努力、工夫をしようにもその能力が無かったのだ。
環境はそろっているのだ。
1はそこそこのヒットを飛ばし、この2では制作費も上がっただろうし、さらに1で培ったノウハウもある。
それを全て台無しにしたのがこの映画だ。
思えば1は映像、カット割り、キャスト、音楽、全てにおいて気を使って作られていた。うまくいっていないところもたくさんあったが、気を使っているのは伝わった。
それはCMが本業の監督だったのが大きいだろう。よく出来たCMは1秒1秒が全て理由付けの基に作られている。無駄なカットなぞ入れる余裕は無いのだ。
それに比べて2は・・・・・・・・・

化夢宇留仁に同じストーリー、同じ環境で同じ映画を撮らせてみろ!
100倍面白い映画を作って見せるぞ!

・・・という訳で、あまりの期待はずれに怒り狂っている化夢宇留仁でした(笑)。


 

JEM
JEM THE MAKING OF A UTOPIA
フレデリック・ポール/矢野徹訳

地球が資源と食料の枯渇により、食料ブロック、人民ブロック、燃料ブロックの3大グループに別れて、牽制しあっている未来。
双子座にある惑星JEMへの探査と、それによる資源の獲得ををめぐって、 それぞれの勢力がしのぎを削る。
問題の惑星JEMは、地球型環境なのは勿論だが、事前の調査により気球型、甲殻類型、ミミズ型の3種類の知的生命体が確認されていた・・・
食料ブロックに属する宇宙生物学者ダニー・デイルハウスは、それぞれの知的生命体を調査すべく、探査船に乗り込む・・・

化夢宇留仁は表紙の加藤直之大先生のイラストと、裏表紙に書いてあっただいたい上記のような説明文で、購入を決意した(古本屋で)。
化夢宇留仁が想像するに、この分厚い文庫本には各勢力の探査グループの衝突と、未知との遭遇との興奮、そしてあまりにも知的生物とはかけ離れた環境で、知能を獲得した3種類の生物と、惑星JEMの大いなる謎が明らかになってゆく様が詰まっている筈だった。

そういえば前に「サターン・デッドヒート」というSFを読んだが、こっちは土星のガスの中で発見されたモノリスの獲得をめぐって2勢力が争うというもので、ハードな描写、魅力あるキャラクター、引き込まれるストーリーで最初から最後まで面白かった。
もしかしたらまたそういう面白さが味わえるかもしれないと期待していたのかもしれない。

こんな回りくどい書き方をしているのだから、その結果は明らかだと思う。
面白くないのだ。

解説とか読むと、作者の代表作、「ゲイト・ウェイ」と同時期、つまり脂が乗り切っていたころに書かれたこの作品も、まさに傑作!みたいなことが書いてあるのだが、 化夢宇留仁はとてもじゃないがそうは思わなかった。
しかし駄作かというとそうではないと思う。
この作品は徹底的に化夢宇留仁に合わないのと、前述のように勝手に想像していた内容とのギャップが大きすぎたのだ。

まず各勢力の争いは最初からどろどろとしていて、相手の妨害なんて生易しいものではない。
殺し合いである。
そして彼らを送り出した地球では全面戦争がはじまり、核ミサイルが飛び交ってほぼ滅亡状態・・・

またJEMの探査は、上記のような状況であるから、未知の世界を探検するより他のグループの動向を探る方が優先で、その際原住知的生物は邪魔だからと殺しまくったり、利用したり・・・

なにより気に入らないのが3種類の知的生命体が、なぜその知能を持ちえたかの謎が、解明されないどころか、作中の誰も疑問を口に出しさえしないところだ。
主人公の宇宙生物学者さえも!
なぜ!?
体内で水素を精製し、ガス嚢を膨らませてほとんど風任せで漂っているやつ・・・
目が無く、音だけで知覚し、自らも音を出しつづける巨大なカニ型(手はもちろんハサミ)のやつら・・・
地中に住み(もちろん視力はほとんど無い)、トンネルの天井に菌類を擦り付けて自分たちの糞を肥料に育て、それを食べて生きているミミズのような連中・・・
いったいこんなやつらがどうやって知能を有するようになったか、不思議ではないというのか!?
化夢宇留仁は不思議だぞ!

ラストでは原住生物と共存し、一応の平和を手にしている子孫たちが描かれるのだが、全然納得いかない。
それも皮肉のように書いているふしはあるにはある。
でもやはり納得いかない。

・・・という訳で、化夢宇留仁には楽しめる作品ではなかった。
しかしホントに今回に限っては単に好みの問題かもしれない。
誰か読んで感想を聞かせてくれないかなぁ?


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