美女と野獣探訪記12

 シュペトレーゼ号はジャンプポイントへ向かって加速を続けていた。
 到着までは、まだまだ時間がかかる。
 僕はトラベラー・ダイジェスト発行の映像ソフトが入ったクリスタルディスクをかけてみることにした。
 それは、これから向かうフォーボールドンで、ツリー・クラーケンの生態を追い続けた調査グループのドキュメンタリー特集だった。
 徹底的な現地取材による豊富な映像資料は見ているだけで楽しいし、専門家による本格的な研究の成果 も分かりやすく丁寧に説明されている。
 トラベラー・ダイジェスト誌の発行は古く帝国暦588年にまで遡る。
 最初はトラベラー協会の会員誌として発行されたこの雑誌は、以来十数万件に及ぶ探検・調査・研究を支援し、また自ら企画して、その成果 を広く紹介し続けてきた。
 対象は人類学、歴史学、天文学、考古学、生物学、植物学、動物学、古生物学、地理学、地学、海洋学、生態学などの多岐にわたる。
 プラスチック本とデータ販売両形式の月刊誌の他、特集号、図鑑、データライブラリ、ホログラフ写 真集、映像ソフトやTV番組なども製作している。
 僕達はこれから、この雑誌のこういった高レベルの製作活動に携わることになるわけだが、本当に大丈夫なのだろうか?
 僕はあらためて心配になってきた。
「ん? 好きなこと研究するだけでお金貰えるんだから、楽なことじゃない」
 マスターは事も無げに言う。
 いや、そういう簡単な話じゃないと思うんだけど・・・。
 僕の、この時の不安は見事に適中した。
 結局マスターはこの先、自分の興味がある事だけを好き勝手に研究して、気楽に思いついたことをひたすら書き殴るだけだった。
 それを“使える形”にしてトラベラー・ダイジェスト誌に送る仕事、記録やら録画やら資料整理やら校正やらは、みんな僕の仕事になっていくのだった。
 で、それで僕が不満を感じたかというと・・・。
 本当にマスターの助手になれたようで、嬉しい、と思ってしまったのだから・・・つくづく下僕っていうか、忠犬根性だよなぁ。

   
   しかし、宇宙船での長旅を二人きりでするというのは考えものだった。
 狭い密閉空間に本当に二人きり、世界は自分と相手という二極に完璧に分かれてしまうわけだ。
 喧嘩などしようものなら最悪だ。
 世界の半分を敵に回すことになる上、自分以外に味方もいなければ、喧嘩を止めてくれる仲裁者もいないのだ。
 そうなると、どちらかが折れて謝るしかないわけだが、マスターの辞書に謝罪とか自重とか反省なんていう言葉は全く無かった。
 当然、僕が謝る以外に緊張緩和の道は無く、100%の高確率で僕から終戦工作をすることになる。
 だが、ほとんどの喧嘩の原因はマスターの側にあるのだから、これは随分と理不尽な話だ。
 そういう生活が続くと、さすがにストレスも溜まる。
 そして、宇宙空間にはストレスを緩和してくれる娯楽も少なかった。
 僕やマスターが、いくら本さえあれば幸せなタイプであっても、ずっと本だけ読んでいては息も詰まる。
 討論や議論をするにも、僕ではマスターの相手を一日中続けるには役不足だし、それに喧嘩の起こる確率を高めることにもなる。
 マスターに指導してもらって科学実験も体験してみたけれど、宇宙船内でやれることには限りがあった。
 人間の恋人同士が宇宙船内で二人きり、というのなら色っぽい過ごし方もできるのだろうけど、発情期が限定されているヴァルグル人の僕ではそういうわけにもいかない。
 そこで、僕とマスターは暇潰しの方法として、まずは様々なゲームをしようとした。
 三次元チェスはやるだけ無駄だった。10手ほど進んだだけで、もうマスターにはチェックメイトまでのシナリオが何十通 りもできてしまう。
 イゴは大局観とか形勢判断とかのファジィーな要素が加わるだけ、まだマシだった。でも、定石を数千通 りも覚えていて、混戦になっても数十手先まで読んでしまうマスターには、やっぱり勝てなかった。
 偶然が勝敗を左右するはずのカードゲームも、すぐにやれなくなった。場に出たカードを全部覚えていてしまう人が相手では、それはもう偶然の勝負とはいえない。
 それに、カードが2巡もするとマスターは全部のカードの折れ具合や細かなキズ、汚れを暗記してしまっていた。
 ダイスを使ったゲームでさえも、マスターが相手では成立しなかった。気が狂いそうな複雑な確率計算を一瞬でしてしまうからだ。
 勝負の回数が多くなればなるほど、僕の勝率は下がり、マスターの出目の確率予測は精確になっていく・・・。
 結局、僕とマスターは絵を描くことを思いついた。
 ちゃんとした絵を描いてみようとするなんて、高校での授業以来だったが、始めてみるとこれが意外に熱中した。
 最初は小さな紙に、冷蔵庫の中身の野菜や、図鑑の動物なんかを模写したりした。慣れてくると、色々なものが描けるようになってきて、そうするとまた描く楽しみがどんどんと大きくなっていく。
 それに、自己表現をする、という行為自体がストレスの解消にも大いに役立った。
 後にはトラベラー・ダイジェスト誌に掲載できるレベルのイラストを描けるまでになったのだから、何が幸いするかわからないものだ。

 

 しかし、リジャイナからフォーボールドンへの最初の航海の時には、僕達はまだこの画期的な娯楽に目覚めていなかったから、航海の後半はとにかく退屈との戦いだった。
 そして、夕飯のメニューについてのマスターの些細な文句から始まった喧嘩が、二人の間をとことん気まずいものにしていた。
 フォーボールドンの宇宙港に到着した時、僕とマスターはお互いに完全な無視を決め込んでいて、チームワークは出だしから崩壊寸前だった・・・。


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