美女と野獣探訪記07

 その日街へ出たのは、全くの偶然だった。
 事故で足の骨を折った職員の代わりに、反重力トラックを運転してメーカーチェックに回していた整備機材を受け取りに行った。
 そして、帰り道にどこかで昼食を取ろうと思い、それならちょっと足を延ばして・・・単にその場の思いつきで大学のあった場所の近くまで来た。
 またガレキの山か、あるいは片付けられて更地になっているのか、それを見つめて少し感傷に浸ってみるのもたまには悪くないかな、そう思ったのだ。
 ところが、大学は校舎の大部分が再建されて活動を再開していた。
 そこで、僕はふとあることを思いついた。
 僕はすぐにトラックを止め、駆け出していた。
 学生事務局に飛び込んで、卒業生と在学生の名簿を見せてくれるように頼んだ。
 そう、もしマスターが生きて無事に卒業したか、まだ大学にいるのならば、名簿に名前があるはずだ。 
「外部の人間には見せられない規則です」
 職員は事務的な口調で言った。
 僕は、元ここの学生で戦争で音信不通になった先輩を探しているんだ、と怒鳴った。

 その直後、僕は突然誰かに突き飛ばされた。
 僕はビックリして、それでいて半ば期待を込めて振り返った。
 予想通りと言うか何と言うか、そこに居たのは僕の人生で出会った史上最高の美女・・・マスターだった。
「このバカ犬っ!」
 事務局に高らかに声が響いた。
 生きていて良かった、とか、元気だったの、でも、久しぶりね、でもない。
 このバカ犬っ!・・・それが僕達の再会の言葉だった。
 唖然としている僕の頬を、マスターが思いっきり引っぱった。
「何で、帰ってきたら真っ直ぐにあたしの所に来ないのよ!」
 そんなことを言われても、マスターが住んでいたマンションがあった地帯は壊滅状態で、どうやって会いに行けと言うんだろう。
それに、僕は大学が再建されているのに今気づいたばかりなのだ。
 僕は何か言おうとしたけれど、懐かしさと嬉しさと、それから何か分からない感情で胸がいっぱいになって、一言しか発することができなかった。
「ただいま」

 

   

 そうして、僕は次の日に整備士を辞めて、マスターの新しいマンションに転がり込んだ。
 今度のマンションも凄かった。
 10メートル四方はあるリビングルームには、ソロマニ製の高級家具がゆったりと配置されていた。
 マスターのベッドルームには、大昔の宮殿にありそうな天涯付の巨大なベッドがあった。
 何より、ワンフロアを完全ぶち抜きにして、私設の図書館にしてある。
「今度のマンションはちゃんと自分で手に入れたものだから、驚いてくれていいのよ」
 マスターが自慢気に言った。
「そんなお金、どうしたんです?」
「特許よ。有機コンピュータについて幾つかね・・・そのライセンス料を軍資金に株をやってみたら儲かっちゃってね」
「株!?」
 僕はちょっと驚いた。マスターが、そういう社会的なものに興味を示すとは思えなかったからだ。
「株式市場の動向って、群集心理どころか動物心理に似ていて面白いのよ」
「ハァ・・・」
「戦争中は大学が無くなってたし、あんたもいないから研究やる気も湧かなくて、暇つぶしに経済学とか法律学の勉強をしてたのよ」
 そう言い、マスターは何枚かの書類を見せてくれた。
 弁護士、弁理士、会計士、通関士、経済アドバイザー、投資アドバイザー、公認ブローカー・・・各種資格試験の合格証書だった。
「これ以上あんたが帰ってくるのが遅れてたら、もう取る資格も無いから別の分野の暇つぶしを探さなきゃいけなかったわ」

 そして、ちゃんと僕の部屋も用意してくれていた。
 マスターは終戦以来、大学の廃墟前で僕のことを毎日ずっと待っていてくれたらしい。
 もっとも、その話題は自分で言った途端に後悔したのか、耳まで真っ赤にしたマスターに蹴られまくったので、ちゃんと確認できたわけではない。
 僕が戦死していることは考えなかったのか、と聞いた時のマスターのセリフ・・・。
「あんたが死ぬわけないでしょう? あたしは死んでいいって許可してないもの。あたしが許可しない限り、あんたはあたしより先に死んだり出来ないの!」
 すごい言われようだ。
 だけど、何だか嬉しくて涙が出た。
「ところで、あんたさっき事務局で“先輩”って言ったわよね。フーン・・・あたしは単なる“先輩”なわけ?」
 どうも、これがご機嫌を損ねたらしい。
「あんたはあたしの弟子でしょう? 奴隷だって言ったわよね? だったら、あたしを本当は何て呼ばなきゃいけないの?」
 僕は観念した。
「僕の一番大事なご主人様です」
 そう、僕はやっぱりどこに行ってもマスターの忠犬で、奴隷なのかもしれない。
「よろしい」
 マスターは微笑んで、それからそっと僕のアゴを手でさすった。
「今、ヴァルグル人の発情の時期よね」
 マスターが僕の耳元で甘い声を出した。
「婚約指輪の答え、聞きたい?」
 マスターは僕の返事も聞かず、僕の唇に熱いキスをした。
 その夜、僕達は初めて結ばれた・・・。
 これで僕の残りの人生は、マスターと一蓮托生だと決定したようだった。


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