美女と野獣探訪記08

 次の朝、幸せの余韻に浸って惰眠を貪っていた僕は、マスターに蹴られて目覚めた。
 マスターはもう服も着て化粧も完全に整えていた。
「いつまで寝てんの、使用人の分際で!」
 一瞬、昨夜のことは夢だったんじゃないか、と僕は思った。
「あたしと婚約して一夜を供にしたからって、あんたの立場は変わらないの。あんたは弟子で子分で下僕で奴隷で荷物持ちの忠犬で、あたしはご主人様! 分かった!?」
 僕は苦笑して頷いた。
 僕はマスターに借金をして大学に復学し、アルバイトとしてマンションに住み込んで家事をした。
 マスターには整理整頓能力が欠如しているから、ちょっとでも僕が油断すると部屋は阿鼻叫喚の様相を呈す。
 余談だが、マスターの持っている微妙に膨らんだブランド・バックの中などは、僕がノータッチだから、ぐちゃぐちゃの混沌世界となっているはずだ。
 ともかく、僕と再会した時、マスターは考古学の博士号取得目前だった。
 僕は料理を作り、部屋を掃除し、洗濯をして、そして主夫業の合間にマスターの研究の手伝いをした。
 手伝いとは、すなわち資料蒐集と整理だった。
 僕は興味の向くままに本を探し、読み漁り、分類した。

 資料はどんどん集まった。
 けれど、それだけに内容を吟味して分類し、整理するのは大変だった。
 基本的に考古学関連の本には胡散臭いものが多い。
 僕も人のことを言える身分でないが、学術的立場からでない趣味程度のにわか研究者がほとんどで、こうした者の研究は私情や思い入れに左右されて信憑性を欠く場合が多い。
 一方で専門の学部学科を設けて専門家を養成している大学が少ない、ほとんどの研究者同士が顔見知りや先輩後輩など縦横のつながりがあるという、ごく狭い学界である。
 だから、一部の重鎮的立場の有名研究者が一旦下した結論は、誰からも反論を受けることなく、以後定説として権威付けられてしまう、というような事態も多々ある。
 例えば、これが物理工学や化学に関する研究であれば事情が違う。その研究結果 が直接的に利益に結びつくから、数多くの研究者が学界・民間を問わず専門的に研究を行なっている。
 また、真理を外してしまえば、機械が作動しなかったり、望む作用が得られなかったり、といった不都合が生じるわけだから、間違った理論はいずれ他者によって是正されていく。
 それなのに考古学では、数少ない専門家が閉鎖的で地味な研究を細々と続け、その周囲で大勢のアマチュアや商業作家が派手で刺激的だが、信憑性に欠ける非科学的な議論を繰り広げている、という状態だ。
「読者に興味を持ってもらうには、学術的な真実なんか書いちゃ駄目なんですよ。彼等が読みたいのは、そういうものじゃないんですから。もっともらしい嘘、これが一番受けるんです」
 マスターに原稿依頼をしに来た雑誌の編集者が言った言葉だ(この編集者はマスターにハイヒールで足を踏まれ、涙を流して帰っていった)。

   
 要するに、考古学とは世間的にはどうでもいい、と思われている学問で、そのせいで全体的な真剣みに欠けるのだ(もちろん、個々の研究者は真面 目に研究に取り組んではいるが)。
 確かに明日のパンにつながる学問ではない。世間一般の人にとっては、ラチャテスイリ遺跡がゼラキ王朝期のものか、それともレタテイラ王朝期のものかなど、どうでもいいことなのだ。
 そんなことよりも、遺跡に眠る秘宝や、無限のエネルギーを作り出す幻の古代文明の失われた技術、といった夢物語を語ることのほうが、楽しいのだろう。
 それに、愛国心の行き過ぎからか、自分たちの惑星には太古すでに文明が存在していた、と言い張る輩も後を絶たない。
 マスターは、こういうのを一番嫌がる。
「今の自分が情けないから、ご先祖様に立派であってほしい? バカじゃないの! それよりも、まず明日の自分が誇れるようになれってのよ!」
 言葉はきついが、正論だと思う。
 大体、自分の祖先の経歴を詐称するなんていう行為は、個人がやったならばウソツキと軽蔑されるだろう。“自称第2帝国時代の貴族の末裔”という詐欺師が捕まって、笑い者になった事件もある。
 ところが、これが国家単位、惑星単位、文明単位となってしまうと、堂々と歴史の改竄や経歴詐称がまかり通 り、それどころか、反論する者を頭でっかちの非愛国者などと、まるで悪者のように扱ったりする恥知らずもいる。
 愚痴を言っても仕方ないけれど、そんなこんなで玉石混交な資料を整理するのは、けっこうな重労働だった。

   おまけに、研究助手というと聞こえはいいが、僕はまだまだ大学の3回生に復学したばかりなのだから、所詮は趣味でかじった程度の素人だ。
 あんまり役に立てていたとは思えない。
 それでも、僕はマスターと学時代のように楽しく考古学の研究に没頭していられたのだから、とても嬉しかった。
 そのうち、マスターは資料を渉猟するだけでは駄目だと言い始めた。
 実地検分が何より大切なのだ、と。
 それは僕もその通りだとは思った。けれど、他の星系というのは、行きたいからと言って、そう簡単に行ける場所でもない。
 特等チケットは1万Crもするのだ。
 僕は、そうですね、と口で言いながらもあきらめていた。
 こうして2人で一緒に生活し、好きな本を読んだり、伝説の話をしたりしているだけでも、僕は十分だと感じていた。
 それでも、マスターはお金持ちだから、その内近場のいくつかの惑星程度ならば、一緒に旅行することが出来るかもしれない、そう考えてはいた。
 ところが・・・。
 マスターは僕が想像していた以上のバイタリティの持ち主だった。
 しばらくして、マスターは宇宙船を手に入れるための活動を始めたのだった。


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