美女と野獣探訪記09


 

 

 僕は自慢じゃないが、先祖代々の名誉ある貧乏人の出身だ。
 大学に入学したてで、まだマスターと出会ってなかった頃には、もったいなくてシャンプーをお湯で薄くのばして使っていた(これは、マスターの“汗臭い!”とのお叱りで止めたけれど)。
 それに、本一冊買うのに夕食を抜いて、空腹でグーグー鳴る腹を抱えながら本に没入したりしていた。
 思えば、マスターに初めて会った時の服は、生協で買った3着20Crの安いシャツだった。
 そんな僕が、今ヴァルグル人向けの高級ブティックで洋服を選んでいる。
 マスターのお達しだった。
「バカな金持ち連中から金をむしって、宇宙船を買うわよ」
 マスターは身も蓋もないことを言い出した。
「明後日、貴族や実業家の集まるパーティーに行くから、あんたの服を買いに行かなくちゃね」
 そして、僕は場違いなここにいた・・・。
 丁寧に鋏を入れ数色に染め分けた体毛の、身体全身で“オシャレ”を表現しているようなヴァルグル人の店員(スタイリストというらしい)が、笑顔を浮かべて隣にくっついている。
「お客様はワイルドでいらっしゃいますから、こちらのシャツがきっとお似合いになりますよ。春の新色です」
 僕は、こういうのが苦手だ。身体がバターのように溶けてしまいそうな錯覚を覚える。
「ほら、このチタニウム・ファイバーのツートンスーツと合わせると、とっても素敵で・・・フォーマルにも最適です。どうぞ、こちら試着室に・・・」
「ううん」
 何と言っていいのか分からず、僕はただ唸った。
 薄紫の気取ったシャツに腕を通し、スカしたスーツを着込んだ。
「いかがでしょう?」
 3Dミラーには、何だか胡散臭い格好のヴァルグル人が映っている・・・もちろん、僕の姿だ。
 僕は一刻も早く退散したくて、これでいいです、と言って急いで服を脱いだ。
 問題は、その値段だった。何と1760Cr。学生時代の僕は、学費と家賃の他に500Crもあれば1ヶ月十分に暮らせたと思う。
 昼に食べる学食の定食が4Cr、大学前の古本屋で1Crの古本を買い、6区のカフェで2Crのコーヒーを飲みながら読書をし、コインランドリーで2Cr以内で1週間分の全部の洗濯物を洗う方法を研究したりした、僕の青春の日々・・・。
 その3ヶ月分以上だ。
 僕は半ば呆然とした気分で、マスターから預かったカードで支払いをした。
 何だか青春を売り飛ばしたような気分になった。
 で、そうして買ったスーツを着た僕を見たマスターは一言、
「Mr.ユリジス」
 キザな田舎者という三枚目な芸風の、ヴァルグル人俳優の名前を口にしたのだった。

 パーティーは僕が想像していたより豪華なもので、つまりそれだけ僕にとっては居心地の悪いものだった。
 マスターはここでも周囲の視線を、その美貌で独占した。
 そして、視線の一部は嫉妬と羨望となり、僕に向かってくる。
「なんだ、あの変なヴァルグル人は・・・」
「あんな美女のエスコートなんて、分不相応な奴だ」
 そういう声が聞こえてきそうな雰囲気だ。
「いやぁ、イクユスタム君じゃないか。お元気かね?」
 壮年の紳士がマスターに声をかけてきた。
「あら、お久しぶりです、オベルリンズさん。ええ、元気ですわ」
 ネコをダース単位で被ってマスターが愛想良く答える。
 僕は前日にマスターからレクチャーされたニコヤカな笑顔を浮かべた。
 どうも、僕の顔つきは人間にとっては怖いものらしい。
「ところで、この間モーラでお父上にお会いしたが、留学に出したきり全然家に帰ってきてくれない、と嘆いてらっしゃったよ?」
「あら、そんなこと言ってたんですか?」
「ああ、父親というのはそういうものさ。たまには、顔を出してあげないとね」
 できるだけ愛想良くを心がけながら、僕はその場に所在無く突っ立っていた。
「ええと・・・あちらの方は?」
 紳士が、僕のほうを見てマスターに尋ねた。
「これはチューリ・エヴェンヴァイル。あたしの忠実な子分ですわ」
 誰が子分だ。
「子分・・・は、ははは・・・そうかね? あ、ちょっと失礼」
 紳士はどう反応していいのか分からなかったらしく、表情を色々と変えてみた後、虚ろな笑いを残し、軽く片手をあげて別 の出席者の所へと早足で歩いていった。
 わざとらしく咳払いして、僕はマスターに尋ねた。
「誰が子分ですって?」
「いいじゃない。真実とそう違わないでしょう?」
「婚約者っていう立場は、どうなったんでしょうか?」
「空のお星様になったのよ」
「・・・ところで、今の人は?」
「ああ、ただの運送屋のおっさんよ」
 運送家のベルリンズさん・・・僕は気づいた。
 その紳士は、スピンワード・マーチ宙域最大の恒星間運輸会社、オベルリンズ運輸の社長マール・オート=オベルリンズだった。

 

   

僕がマスターの実家の会社を「イクユスタム・フーズ&ドラッグス」だと知ったのは、この時だった。
 巨大なファーストフードのフランチャイズ網と、11万店舗の直営ドラッグストアを持つ準メガコーポレーションで、帝国中で愛飲されている有名な炭酸清涼飲料とビールの生産、映画・音楽、アミューズメントパークといった娯楽部門でも有名だ。
 マスターは、驚く僕を不愉快そうに見つめた。
「何、またあたしの実家に文句があるわけ?」
「いえ、そういうわけじゃ・・・」
「なら何でそんな顔してるのよ?」
 僕は情けない顔でもしていたのだろう。
「だって、僕なんかじゃ・・・その、釣り合わないかなと・・・」
 マスターは一瞬怒ったような顔をした。
「あのね、あんたにはあんたの良さが!・・・良さ・・・良さ? そういえば、あんたに良い所って何かあったっけ?」
 僕は心に戦車砲の直撃のようなダメージを受けた。
「ま、気にしない、気にしない」
 マスターは笑顔を浮かべたが、僕は笑う気にはなれなかった。
「あのねぇ・・・」
 マスターはわざとらしく大きな溜め息をついた。
「実家が何をやってようと、あたしには関係ないの。あれはパパとママがやってる商売で、あたしは何一つ会社の仕事はしてないんだから。あんたは余計なことは考えなくていいの」
 そう言い、マスターは僕の鼻をつまむと、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あんたが釣り合うとか釣り合わないとか考えるんなら、まずスーツが着こなせる一人前の男になりなさい」 

 しばらくマスターは僕の鼻を引っぱり回して遊んでいたが、突然ニヤリと妖しく笑った。 
「いいカモがいた」
 マスターが小声で僕に囁いた。
「あの人ですか?」
 僕はマスターの視線の先にいる初老の紳士を見た。銀髪をオールバックにし、真っ黒に日焼けしている。引き締まった体格で、猛禽のような風格があった。
「そう、学術探検とか、考古学調査なんて言葉に目がないジイさん。ちょっと押してやればコロッと騙されるわよ」
 まるで詐欺師の言葉だ。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。良い子にしてるのよ」
 誰が良い子だ、誰が。
 マスターはその初老の紳士へと、話しかけるチャンスをうかがいながら忍び寄っていった。
 猫科の肉食獣が獲物を狙うようだ、と僕は思った。
「あらっ、ラスラップ卿」
 マスターがわざとらしく大声を出して、初老の紳士を呼び止めた。しばらく型通 りの挨拶や社交辞令が交わされる。
 やがて、話題はマスターの強引な誘導で惑星ループのモンテルガル遺跡や、惑星ヨーバントの巨大な地上絵に移っていったようだ。時々、1万何千年前、とかの言葉が聞こえる。
 すると・・・どんどんラスラップ卿と呼ばれた紳士の相好が崩れ、まるで安酒場でギャンブルの勝ちを自慢するオヤジのような表情で、様々な遺跡についての知識を披露し始めた。
 この人も無類の好き者、つまり考古学馬鹿の同類らしい。どうやら世の中には結構な割合で馬鹿が生息しているものらしい。
 ラスラップ卿はトラベラー協会の理事で、トラベー・ダイジェスト誌の主幹だった。
 マスターは、この旅や探検の大好きな大物から、紀行文や学術資料の提供と引き換えに、宇宙船購入時の便宜と、資金援助の約束を取り付けた。
「ね、簡単だったでしょ?」
 マスターはニンマリと笑って僕に言ったのだった。


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