美女と野獣探訪記01
 陽光の下、『シュペトレーゼ(遅摘み葡萄)号』の白銀の船体が輝いていた。
 所属はイクユスタム調査財団。
 財団といっても名ばかりで、財産はこの宇宙船ただ1隻だけだが。
 財団の活動目的はスピンワード・マーチ宙域での博物学的実地調査及び蒐集活動。
 後援はトラベラー・ダイジェスト誌。
 調査を実行するのは、生物学者にして考古学研究家のラシェル・イクユスタム博士。
 そして、「シュペトレーゼ号」のパイロットが僕、チューリ・エヴェンヴァイルだった。
   僕がはじめてラシェル先生に出会ったのは、第五次辺境戦争の始まる前の前の年だから、帝国暦1105年のはずである。
 僕はその時、18歳だった。
 18歳といえば、自分で言うのも何だが、純真無垢な影響を受けやすい年頃だ。
 そんな年で、あんな出会いをしてしまったことから、僕の人生は大きく変わった。
 これは、喜んでいいことなんだろうか?
 当時、僕はリジャイナ大学文学部の歴史文化学科の新入生で、やたらと向学心に燃えて勉学に勤しんでいた。
 家がそんなに裕福でなかったので、いい成績をとって少しでも多く奨学金を貰いたかったからというのもあるけれど、単純に勉強が好きなこともあった。
 特に、3回生になる時に選ぶ専修コースは考古学にしようと心に決めて、これらの分野については必死に勉強していた。
 勉強、と言っても所詮そこは基礎科目に追われる1回生の身だから、しょせん独学だ。
 それらしい本を探してきては、乱読する程度のささやかなものだった。それも、あまりお金がないから図書館を利用することが多かった。
 で、僕は図書館に通ううちに、ラシェル先生と知り合った。
 欲すれば叶うというか、念ずれば通ずというか、あるいは、類は友を呼ぶ、同病相憐れむというべきか・・・僕は、朱に交われば赤くなる、という言葉を主張したいけれど。
 その女性からは化学薬品の匂いがした。
 身長165Cmで、モデルのようなスレンダーな体形。
 シワだらけの白衣が、第二の皮膚と化していた。
 そのくせミーハーなところもあって、ラシェル先生はブランド品がけっこう好きだ。
 黒のスーツに、タイトのミニスカート、ハイヒール。上にヨレヨレの白衣さえ着ていなければ、すごく格好良く決まっている。
 いや、一見スーツと全く合わない、あの白衣こそがラシェル先生の人となりを現わしていて素晴らしいという意見もある・・・いや、これは僕の私見なのだが・・・。
 目鼻立ちがはっきりと整っている、少しきつめの凛々しい顔つき。
 僕はそれまでの人生で、これほどの美人に出会ったことはなかった。
 本人もそれを自覚していて、悪用することをためらわない。
 何か困ったことがあると、男相手に“自慢のスマイル”を振りまいて愛想良く乗りきろうとするあたり、したたかでフェミニストとは程遠い。
 
 ラシェル・イクユスタム博士、当時22歳。
 ライラナー工科大学を弱冠17歳で次席卒業し、21歳の時に生物学の博士号を取得。
 大学入学から博士号取得まで、たった6年半。
 その6年半で、ラシェル先生は斬新な研究を次々と成功させ、分子生物学、遺伝子工学、動物学、植物学、生態人類学、細菌学、有機化学、医学、薬学、物理学、地質学といった幅広い方面 で数々の論文を発表し、注目を集めた。
 おまけに、大学、大学院の在学中に考古学、歴史学、文化人類学といった分野にも興味を持ち、図書館の主と化しながら、独学で学部生顔負けの知識を吸収していったという。
 そんなことがたった6年半で出来るのか、と言われれば出来るのである。
 それが可能な人間には・・・。
 ラシェル先生は『完全記憶力』の持ち主で、読んだ本や会話の内容は一字一句に至るまで絶対に忘れないし、数年前のある日の朝食のメニューまで覚えていたりする。
 しかも、コンピュータのように単に完全に記憶している、というだけではなく、それら知識を一瞬で細かく分析して相互に関連付け、系統立ててネットワーク化していくのだから物凄い。
 だから、ラシェル先生が一つの学問を習得するのには、数ヶ月もあれば十分なのだ。
 もちろん、本を読んで知識を知っただけでは第一人者にはなれないが、研究活動に必要なことぐらいはそれで十分事足りる。
 ついでに、ラシェル先生は『絶対数学力』の持ち主でもある。
 119083456に908435685をかけた答えは?とか、帝国暦−1873年248日は地球暦で何年何月何日何曜日か、とかの問題に瞬時に答えられる。
 暗算などではない。本当に瞬時に、計算もせずに自然に答えが頭に浮かぶのだそうだ。
 僕はそんな凄いラシェル先生を、尊敬と親愛の情を篭めて「マスター」と呼んでいる。
 本当は「ドクター(博士)」で「マスター(修士)」よりも上なのだが、僕は「師匠」とでもいうべき意味でマスターと呼んでいるのだ。
 これがどうも他人やマスター自身には「ご主人様」という意味に聞こえるらしいのが、僕の悩みの一つだ。
 まあ、とにかくマスターがとてもすごいのは分かってもらえると思う。
 
   
 だが、何かに卓越した能力を持つ人間は、それだけ深い溝を持つものらしい。
 完璧な人間などこの世に存在しないのだ。
 マスターの場合、一部の能力が山脈を越えて成層圏にまで達している分、他の部分が海溝を突き抜けてマントル層まで落ち窪んでいる。
 能力は有り余っているのに、自分の気に入った研究以外には渾身の力を込めて手抜きをしようとする。
 ツリー・クラーケンを産することで有名なフォーボールドン星など、わずか4ヶ月の間に3億5000万年に及ぶ進化の詳細な系統図を作成して周囲を驚かせて見せたそうだ。
 それなのに、フィーリ星の植物を調査して、人類にとって有益な医薬品として活用できると思われる天然成分を探す研究などは、課題を与えられて1年が経っても全く手をつけず、無関係な鳥類の生態調査に執念を燃やしていた、という有様だ。
 要するに能力の発揮にムラがありすぎる。
 それどころか、マスターには自分の能力や研究を世の中のために役立てよう、なんていう考えは1ミクロンもない。
 マスターは自分の知的好奇心を満たすためだけに行動する人で、その行為がたまたま周囲に画期的と評価されたり、あるいは1クレジットの価値も無い道楽と思われたりするだけなのだ。
 また、協調性や社会性は皆無で自己中心的、傍若無人で厚顔無恥。
 周囲の計画などとは無縁に、思いつくまま好き勝手な研究活動をするから、全体のスケジュールに迷惑をかけ続ける。
 一言多く、シビアな物言いをする毒舌家タイプで、人間関係の機微といったものには全く配慮がない。
 さらに、本人は自覚していないが、例の“自慢のスマイル”を恋愛感情と勘違いした男とのトラブルや、周囲の女性からの反感など、人間関係の揉め事も頻繁に起こしたという。
 そんなことからチームのトラブルメイカーとみなされて、単独での簡単な研究や資料整理しか命じられないようになっていったそうだ。
 もっとも、そういったルーチンワークはすぐに飽きて、ほったらかしにしたまま勝手な研究課題に取りかかり、先行して研究を行っていたチームなどを尻目に、たった1人でいとも簡単に研究を完成させてしまう。
 ルーの海洋生態系調査のプロジェクトチームが2年がかりで出した調査結果を、1週間の夏季休暇中に“暇つぶし”で検証して覆してしまったこともあるという。
 マスターにプライドを傷つけられ、大学院を去っていった者も少なくないらしい。
 本人はそんな周囲の憎悪や嫉妬には無頓着に、悠悠自適と勝手気ままな研究を続けていたらしいのだけど・・・僕はその人達のつらさがよく分かる。
 今では僕がそれらのマスターから受けるストレスを一身に背負っているのだから。
 マスターには常人としての一般生活能力も極度に不足している。
掃除洗濯や整理整頓は苦手で、大学入学時に購入した家事用ロボットは、部屋のどこかに埋もれたまま行方不明になったという。
 やがて大学を卒業して引越しの時、部屋を片付けていたら崩れたゴミ山の中から、行方不明だった家事用ロボットを発見したそうだ。
 突然の救出劇に感動し、せっかくなのでコイツも新居に連れて行こう、などと思っているうちに、マスターは部屋の掃除を続けるのを忘れてしまっていたそうだ。
 なんてイイカゲンなんだろう!
 得意な料理はインスタント食品全般。
スターンメタル社の「カウント・ディッシュ(イレリシュ風味)」が現在のお気に入り。
 3秒加熱するだけでレストランの味がご家庭に・・・嘘っぽい宣伝文句に騙されてみよう、と思って買い始めたら「なかなかどうして嘘ではなかった」そうだ。
 動物や植物が好きだが、世話が出来ないことは自覚しているので、研究したり写 真集を集めることで欲求不満を解消しているらしい。
 確かに、動物が部屋で行方不明になって数年後に発見されたら・・・バッテリーの切れた家事用ロボットとは訳の違う再会が待っているだろうから、これは賢明な判断だ。
   

 と、少し話が脱線したが、マスターはライラナー工科大を卒業した後、様々な研究施設からの引き合いを全部袖にして、リジャイナ大学の文学部に3回生として入学したのだった。
 このマスターの突然の文系への進路転換というニュースに、宙域の多くの科学者達が大いに嘆き、またマスターと研究が重なる一部の者はホッと胸を撫で下ろしたりしたらしい。
 で、そんな派手な経歴を持った白衣の美人が、図書館に高く本を積み上げて、次から次へとページをめくり飛ばして読んでいくのだから、自然と大学中の噂となっていった。
 僕はマスターと本棚の前で何度も同じ本やディスクに手を伸ばし、奪い合ったり譲り合ったりしている内に顔見知りになり、挨拶ぐらいするようになった。
 それでも、最初はお互いに距離を取り合っていた。
 僕からしてみれば、マスターは年上の有名人で、知れば知るほど自分が惨めになるような才能の持ち主だったし、マスターから見れば僕は単なる視界の隅っこをうろつく一生物に過ぎなかったのだろうから当然だ。

 だが、同性愛者が大勢の人間の中から同じ嗜好の人間を見つけ出すように、あるいは、絶滅寸前の滅多に見られない幻の虫のオスが、フェロモンに誘われて滅多に見られないはずの同じ虫のメスを探し出してしまうように、馬鹿は馬鹿同士互いに引き合うものらしい。
 試験前の混雑で席が足らず、たまたまマスターと相席することになった時、僕達2人は互いに目の前で同じ本を読んでいたのに気がついた。
 『黄昏の峰伝説の起源について』
 その後マスターと僕のバイブルとなるこの本。作者自身は大まじめだが、考古学界や読者、果 ては出版社までが、異端に位置付けているトンデモ本だ。
 けれど、僕はこの時、手に汗を握ってこの本を読んでいた。どうしても、その内容には何らかの宇宙の真実が隠されているような気がしてならなかったのだ。
 そして、目の前には同じ本を貪るように読んでいるマスターがいた。
 馬鹿は、互いが馬鹿であることを見抜くと急激に接近する。
 マスターと僕、少年から青年になりかけだったチューリ・エヴェンヴァイルは、あっという間に意気投合した。
 伝説やら太古種族やらの話に花を咲かせ、僕はマスターの知識と見識に感心した。 
 それがいけなかった。
 それが僕達の腐れ縁の始まりだった。


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