美女と野獣探訪記03
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僕がマスターの部屋にはじめて招待された時のことだ。 |
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まず驚いたのは、マスターの住居だった。 それなのに、このマンションにはバスルームの他にわざわざシャワールームまでがあって、それが僕の実家のバスルームの3倍は広いのだ。 |
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こういうのを“人生のシュクズ”と呼ぶんじゃないだろうか? 僕はプールから上がった後のような虚脱感に襲われた。 そんな僕の居心地の悪そうな態度に気づいたらしい。 「親がお金を出してくれてるだけだから、別にあたしがすごいわけじゃない」 マスターはつまらなそうに言った。 僕は、ハァ、と間抜けな声を出した。 「ご両親は何をされてるんですか」 そう聞くとマスターは「食べ物屋と薬屋」と素っ気無く答えた。 食べ物屋と薬屋・・・確かに間違ってはいない。 間違ってはいないが・・・(それがマスターの実家の会社だとは後で分かったのだが)スピンワード・マーチ、デネブ両宙域で、11万店舗を構えるファーストフード、ドラッグストアの一大チェーン「イクユスタム・フード&ドラッグス(IFD)」を単に食べ物屋とか薬屋なんて呼んでいいのだろうか? 何にしても、その時の僕はとんでもない生活レベルの違いを見せつけられ、才能も容姿もそして財力も、何一つマスターと釣り合わないことを思い知って、意中の人との巨大な溝に打ちのめされていたのだった。 「ちょっと!」 マスターのイライラした声が飛んできた。 「あたしはあんたに部屋自慢をしたくて呼んだんじゃないの! それとも何? あたしが金持ちだと相手してくれないわけ!? あんたはヒトを財産の有る無しで差別 するような奴なの?」 僕はすぐに「いいえ」と首を振った。 マスターは「よろしい」と頷くと、僕の手を引いて奥の部屋に連れこんだ。 |
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そこで次に僕を驚かせたのは、部屋のそこかしこに散らかる膨大なゴミの山だった。 これは、けっこう不気味な光景だった。 これなら家事用ロボットが遭難するのも無理はないと思った。 そして、アレだ・・・。 「そんなに落ち込むことないじゃない・・・科学的実験のためだったんだから」 マスターが僕に慰めの言葉をかけた。 僕は暗い表情で広い部屋の隅っこに座り、いじけていた。 マスターの部屋に来てから、たった20分。 僕はマスターに精液を搾り取られた。 別にマスターが男に飢えて僕を襲った、という意味ではない。 マスターが言った通り、それは科学的実験のためだった。 僕の祖先が地球上のどんな種類のイヌ科生物だったのか知りたい、というマスターの個人的興味を満たすためだけの、意味のない実験だったけれど・・・。 |
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6000万年前、犬と猫の祖先である「ミアキス」という動物が森林で暮らしていた。 森で待ち伏せによる単独狩猟を行う「ミアキス」は「ヤマネコ」に進化し、「猫」になった現在も独りで生きている。 猫の自由な生き方は単独狩猟動物としての本能によるものなのだ。 一方、森から出て草原で暮らし始めた「ミアキス」は、獲物を群れで狩るようになった。 これが、2600万年前に「トマークタス」という動物になり、数々の枝分かれを経て約50万年前に「オオカミ」となり、やがて「犬」へと進化した。 進化とは言っても、オオカミと犬が枝分かれしたのは数万年前、ごく最近のことで、生物学的にも遺伝的にもオオカミと犬は非常に近い存在である。 両者の遺伝子は99%以上の高確率で一致していて、異種交配して生まれた子(「オオカミ犬」)も繁殖能力を持つため、オオカミは犬にとって先祖というよりも、ごく近い親戚 のような関係にある。 そして、オオカミや犬は群れの中で順位を決め、リーダーに従うことで生きていく。 |
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ヴァルグル人にも犬科動物の本能が強く伝わっている。 僕は師匠であり、不本意ながら一目惚れしてしまったマスターの命令には逆らえず、泣く泣く精液を提供させられた。 「ほらほら、結果出たわよ」 マスターが、自己嫌悪で落ち込んでいる僕を元気付けるように言う。 僕の祖先は、地球から太古種族によって連れ出された約37万年前の時点では、オオカミ種からイヌ種へと枝分かれの最中にあった動物であることが分かった。 だが、そんなことは今更確かめてみるまでもなく、ヴァルグル人の起源として広く知られていることだ。 「たったそれだけのために、あんなことさせたんですか?」 半分涙声で僕が言う。 マスターは僕に試験管を押し付け、無理矢理トイレに押し込んで精液を採取してくるように命じたのだ。 |
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言っておくが、ヴァルグル人は普通自慰などしない。 年中発情している人間と違って、年2回の発情期以外にはそれほど性的興奮は覚えないからだ。 僕は、今は発情期じゃないから無理だと言い張ったが、マスターはちゃんとリジャイナに住むヴァルグル人の発情周期を知っていた・・・。 そう、僕がマスターを見て一目惚れしてしまったのも、発情期の真っ最中だったことが大きく原因していた。 しかし、この行為は後に徴兵検査で直腸検診を看護婦にされた時に数倍する、死ぬ ほどの恥辱として今も人生ワースト1の消したい記憶になっている。 よく、当時の僕が自殺しなかったものだ。 「大体、遺伝子を調べるだけなら血液でも良かったんじゃないんですか?」 僕の抗議を、マスターは鼻で笑い飛ばした。 「フン、あたしをバカにしないでよ。これだけのわけないでしょう?」 ホログラフに数枚の犬の写真が映し出される。 どこから見てもハスキー犬だった。 |
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「これ、何ですか?」 僕が不思議そうに聞くと・・・。 「あんたの祖先が太古種族に誘拐されず、地球上で進化を続けてた場合のあんたの予想図」 「・・・・・・」 僕はより一層落ち込んだ。 「ミアキスの子孫には、イヌとネコの他に、クマ、キツネ、タヌキ、イタチなんかがいるのよ。この中でも・・・」 マスターは僕の様子などお構いなしに、生物学の講義を始めている。 僕はいつまでも落ち込んでいても無意味だと悟った。 他人の心情に配慮するということを知らない人間の前で落ち込んでいても、ただ自分がミジメになっていく一方だ。 それより、この人と少しでも親交を深めておこう。 僕は話を盛り上げようと、できるだけ明るい声を出してこう言った。 「ミアキスって凄いんですね、そんなに沢山の動物の先祖だなんて」 だが、そんな僕の心配りは無駄に終わった。 「あんたバカ!?」 マスターの言葉の暴力が突き刺さる。 |
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「進化の系統図を反対に辿っていけば、一つの動物に多くの動物からの線がつながってくのは当然でしょ?」
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