美女と野獣探訪記04
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その日の夕飯はマスターが3秒で作ってくれた「カウント・ディッシュ(ダーミン風味)」だった。 僕はザルシャガル宙域になんか行った事はないから、どれだけ忠実に味が再現されているのかは分からないが・・・いつも食べている人間向けの食べ物の味と、味付けはそんなには変わらないから、ダーミン風味といっても、多分名前だけ、雰囲気だけなのだろう。 それにしても、とんでもなく広く豪華なダイニングの真ん中で、たった2人きりインスタント食品をつつくのは、とてもシュールな光景だった。 「タンパク質の合成はmRNAの情報に基づき、リボソームと呼ばれる細胞内粒子上で起こるのよ。リボソームには二つのアミノ酸の間に、ペプチド結合を形成させるために必要な酵素があるの。それに、mRNA結合部位 やポリペプチド鎖を組み立てる準備段階としてアミノ酸を取り込んで整列させる場所があって・・・」 さらにシュールなことに、僕は夕飯を食べながらマスターの分子生物学の講義を受けていた。 場違いの2乗もいいところだ。 マスターが熱心に講義している内容も、僕には1/10も理解できてはいない。 |
「タンパク質合成が開始される前に、リボソームは大小2つのサブユニットに解離するの。合成は、この解離した小サブユニットとmRNA分子、ホルミルメチオニル−tRNA、開始因子の3種のタンパク質、およびグアノシン5’−三リン酸の会合によって、30s開始複合体を形成することから・・・」 突然マスターが言葉を止めた。 僕の瞼が落ちそうになっているのに気づいたからだ。 「コラッ!」 「あ、ゴ、ゴメンなさい!」 マスターは僕を睨みつけた。 絶世の美女の怒った顔というのは、とっても怖い。 「ま、いいわ。最初から、ちょっと難しすぎたわね」 僕は許してもらえたので、ホッとした。 「次からあたしの話の最中に寝たら、罰としてウチに遊びにきた時に食事の準備をするのね。寝なかった時はあたしが作るわ」 なんだか不公平な罰な気がしないでもない・・・だって、マスターが作るのはインスタント食品だけのはずだ。 「それより・・・あんた、怒られて尻尾が丸まってるわよ」 マスターが苦笑して言った。 僕は情けなくて泣きたくなった。 |
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というわけで、僕は初歩の初歩から生物学の講義を受けることになった。 テーマは、「生命とは何か?」だった。 「広義には自己複製と自己維持を行うものと定義できるわね。けど、ここでは生物としての生命を考えていきましょう。この意味において、生命の基本的営みを行う自立的単位 は細胞ということになるわ」 今度は眠らないように、僕は話を食い入るように聞いた。 「この細胞は、外界と適当に隔離された空間を提供し、生命の設計図であるゲノムを持ち、遺伝を行い、また生命維持に必要な物質を作り出し、環境に適応しながら自己維持や自己複製、増殖などを行っていくのね」 フムフム・・・。 「それと、細胞のもう一つの重要な機能として、生命活動に必要なエネルギーを作り出すことがあるわ」 何とか話についていけそうだ。 「現存の地球産生物は、ゲノムとしてDNAを持ち、その情報に基づいてリボソームを用いてタンパク質を合成し、それ自身が細胞の構造を作ったり、酵素として働いて生命維持に必要な物質を作り出す・・・。つまり、現存の生物というのは、細胞から成り立っている“細胞性生物”ということになるわね」 いや、無理かもしれない。 「もう一つの生物の重要な性質は進化するということ。ウイルスも、自己複製のためのゲノムを持っていて、一見生命のようだけれど、細胞に進入してその機能を利用しないと自己複製ができないわよね? それに、ウイルスのゲノムはDNAやRNAよ」 うん、やっぱりついて行けそうにない・・・。 |
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「極端な言い方をすれば、ウイルスは必要なときに細胞に感染させるため、ラベルを貼ってビンに入れて保存しておく化学薬品のようなもの、そう考えることもできるの。いくら保存しておいても、変質・減摩していくことはあっても、決して新たに増えていくことはないし、進化もしない・・・」 僕はまた眠りの国に落ちていった。 「やったー! 次から3回、あんたが食事当番よ!」 マスターの嬉しそうな大声で僕は目覚めた。 「え、え?」 「何食べようかなっ」 マスターは僕の腕を取って振りまわし、それだけでは足りずに僕のほっぺをツネりあげた。 マスターは嬉しいことがあると、すぐに僕の身体の一部を引っぱったり、ツネったりする。被害にあいやすいのは、主に耳、頬、鼻など顔に集中している。 「あ、あの・・・僕だってそんなに料理できませんよ」 僕は両頬を伸ばされたまま、ブルドッグみたいな顔で言った。 マスターはピタッと動きを止めて、ジト目で僕を睨んだ。 突然ビシッ!と指を鼻先に突きつけて宣言した。 「料理を勉強しなさい! これは命令よ!」 理不尽な、と思ったけれど僕に反論の権利はないようだった。 そして、この日から遊びに行ったときの全ての食事は僕が作ることになった・・・。 |