・・・・・・えー、ワッハマンという漫画である。
どんな漫画か一言で説明すると・・・・・・・・・できないな。
ジャンルで言うと・・・SFアクションヒーローギャグ???????
化夢宇留仁があさりよしとおを知ったのは、確か高校の頃だったと思う。
怪しげなエッチ漫画雑誌に読み切りが載っていた筈。
その時の印象は、吾妻ひでお現代版といった感じだった。
線の少なさ、ベタの効果的使用、間の取り方、ギャグの意味不明さなどが共通しているように感じたのだ。
今では二人の相違は明らかになった。吾妻ひでおはインナースペースにどっぷりと浸かって行き、あさりよしとおは見せかけのオープンスペースへ向かったのだ。
あさりよしとおの作品は表面的にはほのぼのとしており、ちょっと見には小さい子供向けの漫画ではないかとさえ思わせる。
しかし一皮むけばドロッと黒いものが詰まっている。
ワッハマンは特にそれが顕著だ。
最初はよくある日常に異常なキャラクターが飛び込むギャップを利用した、ほのぼのギャグ漫画なのだが、ドラマが進むにつれ皮が剥かれてゆき、最終的にはどちらを向いても闇ばかりで、希望の見えない陰鬱な展開になる。
正体が見えてくる、という感じなのだが、実は本当にドロッとしたところはほのぼのギャグを展開しているところにこそ現れているのだ。
そもそも、あさりよしとおには現実世界、そして人間性を受け入れていないところが見受けられる。
ワッハマン以外の作品のほとんどが、何処とも知れない異世界を舞台に、得体の知れない生物達が登場人物だというのも頷ける。
ワッハマンは設定上では現代の日本が舞台で、色々な立場の人々が登場するが、それもどこか夢の中の話のようで、現実味がない。感覚的には悪夢で見る、現実と似て非なる、注意をしている部分しか存在しない世界に似ている。しかもそれは登場人物の立場が、一般的なものであればあるほど顕著になる。ラーメン屋の店員しかり、小さい子供しかり。
どうやら中途半端に生活感が出ると、そこにある筈のものが無いのが浮き彫りにされるらしい。ここが上記の見せかけのオープンスペースの由縁でもある。
というわけで、あさりよしとおは空想癖の強い、現実の日常社会をはっきり認識していない人物なのではないかと、化夢宇留仁は思う。
が、実の所そんなことはどうでもいい。要は作品が面白ければいいわけで、実際化夢宇留仁にとって、彼は好きな漫画家の一人である。
ただその作品が形作られる背景を考えてみただけのことだ。
妙に堅苦しい論文みたいになってしまった。
少し柔らかくしよう。
「えー、オシリスは可愛くてナイスバディーで、すぐ脱ぐから好き。」って、おい!
宇宙の戦士
STARSHIP TROOPERS
ロバート・A・ハインライン/矢野徹訳
この本が原作の笑える映画を観て、中学時代に読んだ本書をもう一度読みたくなり、古本で購入。
早速読んでみた。
面白い。流石である。
1959年に書かれた本書が、いまだに支持を得ており、映画化までされるのも分かる。
化夢宇留仁が最初に読んだ中学の頃には、分からなかった要素も多く、(と言うか、ほとんど分かってなかった)一気に読んでしまった。(最初読んだ時は結構苦労した)
ちなみに化夢宇留仁は知力と自我の成長がすごく遅かったらしい。
中学の頃など、ほとんど本能のままに行動していたように思う。現在とほぼ同一人物になったのは、大学に入ってからのような気がする。
先に映画版の感想を書いたが、御多分にもれず、本書は映画とはまったくの別物である。
表面的なディティールの違いも多いが、もっと根本的な、目指すもの自体が違っている。
この本で書かれているのは、正義でもないし、友情でもなく、 反戦でさえない。
テーマは一つ。国の為に戦う精神を薦める、プロパガンダである。
もちろん上記のような、いろいろな要素がちりばめられてはいる。だがあくまでそれらは、たった一つのテーマに向かう小道具でしかない。
機動戦士ガンダムのモビルスーツは、これに出てくるパワード・スーツがモデルだといわれている。しかし内容のノリ的には宇宙戦艦ヤマトに近い。
そういえば映画版では女性も一緒に訓練を受け、戦場に出ていたが、本書では女性の姿はほとんど見られない。ひたすら男臭い世界である。
化夢宇留仁はと言えば、テーマはともかく、そういう雰囲気やノリが基本的に好きなので、どっぷりはまってしまった。
今度TRAVELLERで、こういうシナリオもやってみようかな。
バーチャライズド・マン
THE SILICON MAN
チャールズ・プラット/大森望訳
表題のバーチャライズドマンというのは、表紙で頑張っている爺さんをはじめ、脳に記憶された情報を全て記憶装置に移し、完全なバーチャルリアリティの世界に生きる人達を指している。
この小説はコンピュータによって再現されたバーチャルリアリティ世界の可能性を提示する事を目的としているようだった。
ストーリーは武器の密売までして極秘で研究を続けるグループを、調査員である主人公が調べる。
結局主人公は捕まってしまい、バーチャライズドマンの実験台にされてしまう。
ミステリタッチの前半から様変わりし、後半はバーチャル世界で苦悩し、何とか生身に戻れないかと模索する主人公と、独自に調査を進めるその妻の視点で進む。
このあたりの描写は目新しくてなかなか面白かった。
最初に目的がバーチャルリアリティ世界の可能性の提示だと書いたのは、最終的にはその技術を世界が認め、主人公とその妻がバーチャルリアリティ世界で再会を果たすという風に、完全にそれを肯定した形になるからである。
しかしどうだろう?
バーチャルリアリティの世界に生活空間を移すという事に意味があるだろうか?
化夢宇留仁は疑問に思う。
単に小説としての一つのアイデアとしては面白いが。
小鼠 ニューヨークを侵略
THE MOUSE THAT ROARED
L・ウィーバーリー/清水政二訳
あらすじ
ヨーロッパは北アルプス連峰の脇の、400エーカーの葡萄畑を有する5×3マイルの小さな国、それがグランド・フェンウィック大公国である。
葡萄畑で作られる良質の葡萄から作られるピノー・グランド・フェンウィックというワインが唯一の輸出品のこの国は、600年にもわたって自給自足で、質素ではあるが自立した国家として保たれてきていた。
それが近年の人口増加により、自給自足では国民の生活を賄えない事態に陥った。
大公国では輸出ワインを10%水増しすれば自給自足を続けられると主張する<水割り党>と、それに反対する<反水割り党>に別れ、激しい議論が交わされていた。
両党の議論は平行線をたどり、最終決定は若き大公女グロリアナ12世に委ねられることになった。
グロリアナは<水割り党>の意見を今回それで自給自足は保てても、人口は増え続けており、来年再来年にはまた同じ問題を迎えるだろうと却下。<反水割り党>にも、代替案が無いのではどうしようもないと言い、新たなアイディアを求めた。
通常こういう小国では記念切手を発行して収入源としているが、大公国切手はすでに大量に発行され、今や印刷してある金額ほどの価値も無いありさまだった。
借金をするという意見もあった。特にアメリカ相手に借金すれば、取り立てらしい取り立ても無く、問題は解決される。
これはいいアイデアに思えた。
ただし借金するには理由が要る。単に自給自足が難しいというだけでは、説得力に欠ける。
そこでアメリカに借金する理由として、大公女が考え出したアイデアが共産党の結成。
アメリカは共産主義がヨーロッパに広まるのを警戒していて、そういう兆候が見えたらがむしゃらに援助をして、何とか資本主義に属させようとする。これを利用するのだ。
そもそも完全自給自足で、共産主義どころか資本主義も成立しないような状態のグランド・フェンウィック。共産主義者などいよう筈も無い。
結局信用のおける人物に、国のために共産党を結成してもらい、政府打倒のアジテーションをしてもらおうということに・・・
というわけで王女自ら自転車に乗って(笑)、フェンウィック一番の変わり者のところに共産党を作ってもらうよう頼みに行くわけだが、頼まれた森林レインジャーのタリイは、それを断る。
理由はどうあれそれはアメリカを騙すことになり、騙し取ったお金で独立を維持しても、それは真の意味での独立ではない。
ではどうしたらいいのか?
ラリイのアイデアは共産党結成よりも意外なものだった。
アメリカに宣戦布告するのだ。
アメリカは変わった国で、戦争で勝った後、負けた国の復興に全力を掛け始める。日本がそのいい例で、アメリカと戦争をして負けた国は豊かになるのだ。これを利用する。
結局アメリカに金を出してもらうことになるが、これは借金ではなくくれるものだし、こっちから頼む必要も無い。
さっそくアメリカにピノーワインの偽物が出回っているのを理由に、大公国はアメリカに宣戦布告。
・・・・・・・・・・
このあとアメリカで開発されていた究極の破壊兵器などが絡み、結局戦争に勝ってしまうのだが、化夢宇留仁にとっては開戦にいたるまでの紆余曲折が一番面白かった。
アメリカ大統領が宣戦布告を知り(この時点ですでに終戦していたのだが)、その裏の苦労をおもんばかって哀れに思えてくるくだりとか、大笑い。
全編大公国の小国ならではの苦労と努力が滲み出している。
キャラクターも魅力あふれる顔触れがそろっており、楽しい。
この本はおもしろい。しかしどう面白いのか、説明が難しい。
あらすじを読んだ方は、なんかしょうもないコメディーだという印象を持ったのではないだろうか?そう言われればそうかもしれないのだが(笑)、それだけでは片付けられない何かがある。
なんとか言葉にしてみると・・・頭脳の余裕・・・・だろうか。
ドキドキするわけでなし。泣かせるわけでなし。大どんでん返しがあるわけでもない。
脳味噌に直撃する面白さではないのだ。
文章の一行一行を文字の示す意味だけでなく、その奥にある設定と、それから導き出されるこめられたユーモアを楽しむ・・・・そんな感じなのだ。
この面白さは、精神的な余裕がある時しか気付かないような、派手でなくおとなしい書かれ方がされている。
その地味なところがまたなぜかいとおしい。
そんな佳作である。
ちなみに続編が2作ある。
近いうちに読む予定。
また映画化もされているのだが、どこかにビデオないかなー・・・・・
aha!ゴッチャ
aha! Gotcha
マーチン・ガードナー/竹内郁雄訳
化夢宇留仁の屁理屈暇つぶしコラムに、確率という考え方が、如何に日常生活の中で誤解されているのか、また誤解しやすいものであるか、をテーマにしたものを書こうと思い立った。
内容を検討し、頭の中で組み立てているうちに、いろいろ問題がある事に気付いた。
そもそも内容的に難しすぎる。
基本的には過去に化夢宇留仁が勘違いしたり、間違っていた考えなどを紹介して、実は本当はこれこれで、こういう事によって勘違いしていたのです、と説明をつけようと思っていた。しかし考えてみれば、その為には現在の化夢宇留仁の認識が間違っていないという前程が必要である。そしてそんな前提は立てられる筈も無いのだ。
だいたい昔から哲学者や数学者とかが頭を悩ましてきた問題なのだ。そんなところに下手に足を突っ込んでも、痛い目を見るだけである。
その辺を発展途上(すでに脳軟化?)の化夢宇留仁の脳味噌の有り様を紹介しているのだと、割り切ったとする。
しかし今度は説明文の問題があった。
確かに昔思っていた事で、現在はそれが間違いだったと分かっている事柄はある。しかしそれがどう間違っていて、これこれこういう理由で、この考えの方が正しいという風に説明できるかというと、はなはだ疑問である。
だいたい多くの確率論に根差した問題は、その証明に計算式が必要になる。ところが困った事に、その計算式がすぐに思い付かないからこそ確率というのは勘違いしやすいわけで、また面白いところでもあるのだ。
つまり分かってはいても、その証拠提示能力が化夢宇留仁には欠けているのだ。
こういう時に登場するのが、おなじみ化夢宇留仁の先輩のマッドハッター氏である。
驚くべき事に、今まで氏にこれこれについて資料はないですか?と相談して、なにか本が出てこなかった事は一度も無い!
必ず何がしかの本が氏の本棚から現れる。
今回も当然なにか出てくるものと思い、相談してみたら、予想通りまさにこういうのが読みたかった!というのが出てきた(笑)。
まさに博学不思議図書館状態である。
なんて便利な、いや、なんてありがたい先輩なのでしょう!。感謝の涙がちょちょぎれる思いである。
それにしてもこんな人が古本屋やってたら、そりゃもうかるわなー・・・・・・・。
というわけで内容だが、章の初めにイラスト入りでパラドックスを紹介し、その後に分かり易い解説が続くという形になっている。勿論簡単には説明しきれない問題は多く、その先を知りたければ、という形でそれぞれの問題に応じた専門書の紹介もある。
第1章は嘘つきのパラドックス(「この文は嘘だ」とか)に始まる「論理」、第2章が単純な計算なのに盲点を突く「数字」、第3章が図形に関するトリックと理論の「幾何」。以上が第1巻。
第2巻では、とうとうきました第4章「確率」、第5章更にその先を行く「統計」、最後が第5章「時間」である。
こうやって書くと、あたかも専門書風で難しそうだが、そんな事はない。いや逆か。難しいのだけど、難しくないような気にさせてくれる。
中にはいきなり目の前が開けるような、驚きを味わった部分もいくつかあった。
化夢宇留仁のパターンでは、解説を読んでもすぐには納得できず、しばらく本を閉じて考え込んで、10分くらいして「ナルホド!」と手を打つものが多かった。この辺がまさに因果関係と数式という、形は違えど同じ概念を現すものを処理する能力が影響するところである。要するに右脳と左脳がちゃんとリンクしているかどうかである。化夢宇留仁の場合はどうもリンク能力が低いようで、思考に折り合いをつけるのにいちいち考え込んでいた。
特に分かりづらい概念だったりすると、眠くなったりもする。
主に電車の中で読んでいたのだが、その様は異様だったと思う。
目をらんらんと輝かせて本を読んでいたかと思えば、本を閉じて神妙な顔で考え込み、しばらくすると、こくり・・・こくり・・・と舟をこぎ始め、そうかと思うとまたいきなり本を開き、突然「なるほど。」とか呟いたりしている。
うーん、デンジャラス(笑)。
で・・・・コラムの役に立ったのか?
確かにいくつかの問題はクリアされた。まさに書こうと思っていたそのものの解説さえいくつかあった。
ただし、そこには更なる疑問が大量に・・・・・・!!!???
どうやらコラムを書くのはもう少し先になりそうである。